一期一会を教えてくれた、北斎展 その1
- カテゴリ:アート/デザイン
- 2014/10/15 00:13:31
とある平日、お待ちかねだった「北斎 ボストン美術館 浮世絵名品展」(二〇一四年九月十三日─十一月九日、上野の森美術館)に行ってきた。土日はかなり混雑するというので…。美術館のある上野へ向かう。早朝バイトした後、家で早い昼食を食べてすぐ出かけたので、眠かった。電車の中でうとうとする。上野駅とアナウンスがあり、なかば寝ぼけながら、電車を降りる。ねぼけまなこの眼前に飛び込んできたのは、ホームに設置されたパネル広告…二つの展覧会のものだった。菱田春草展と北斎展。《黒き猫》とおもに(というのは、他の絵も配されていたから)《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》。先週出かけてきた展覧会と今から行く展覧会…。この二つが飛び込んできたので、『うわっ』と、思わず声に出して驚いた。そばにいた見知らぬ女性が、その声に驚き、あたりを見回していたほどだ。私の行動がそこに具現化されてあったようで、それが眠い頭にとても心地よかった。観てきた展覧会と観に行く展覧会。猫と波。
大好きな北斎…、もしかすると日本で限定すれば、一番好きな画家かもしれない、そんな彼の…、だったが、正直、展覧会としてはいまいちだった。
いや、ほとんどわたしの側の問題なのだ。いくら好きでも、冨嶽三六景、諸国瀧廻りなどは、もう何回も見ているものだ。そこが浮世絵だ。肉筆画と違う。何枚も同じものがあるということは、ここでいえば、ボストン美術館所蔵のものでなくとも、それらを観ることができるということだから。それでもなるほど、たしかにこの展覧会で見た浮世絵たちは、刷りの状態がいいものばかり…だと思ったけれど。いや、同じものを観ることになるのは解っていた。
回顧展っぽい展示の仕方なので、葛飾北斎(一七六〇─一八四九年)の、初期から晩年までの紹介をしているのだが、やはりわたしはどうしても、晩年のものが圧倒的に好きなので、それも原因かもしれない。本当なら、若い頃…といっても四十代とか五十代とかのものが多かったが、ともかくそうした頃の作品の中から、晩年の彼の筆致を見出し、感嘆するべきなのだろうけれど、どの北斎の展覧会でも、そうしたことが殆ど起きないのだった。だからそれもおそらく想定内だった。多分そうだろうなと思っていたので、それが原因でもない。原因の小さな一端は担っていたかもしれないけれど。
単純に、平日にも関わらず、混雑していたから、そのことが原因の最大要素かもしれない。美術館の外にまで長蛇の列…ということはなかったが、館内はかなり混んでいた。浮世絵は概ね小さい。おおざっぱに言うとB4とA3の間ぐらいではないか。それをひとの頭ごしに見るのは、結構疲れる。並べば、間近で見れるのだが、人たちに気おされてしまって、そうした気が起きない。ああ、若い頃のだし、人物だし(わたしは人物を描いたものが苦手だ。浮世絵は特に。北斎のものでも晩年の肉筆なら、別なのだが)、まあいいか、特に列に入らなくても…と、頭ごしに、なんとなく観て、なんとなくだいぶ来てしまう。具体的には百四十点以上の展示とある、そのうちの五十点ほどまで、章でいうと一章から五章半ばまで。その通り過ぎたもののなかには、冨嶽三十六景もあった。人の頭ごしに、見て…。あれはどこだったか。静かにゆっくりと眺めることのできた《冨嶽三六景 凱風快晴》(一八三一年頃)、通称赤富士は、何度めかに観たものだったけれど、わたしに語りかけてきてくれるものだった…。だが、この同じ赤富士はよそよそしい。雲の間からわずかにみえる富士山の姿よりももっと。それは他人の、他者のための富士のようだった。
それでも「諸国瀧廻り」(一八三三年頃)シリーズで、ようやく足を留めてみようかと思う。これらも何回か観たものだが、なんとなくそんな気になったのだ。《諸国瀧廻り 和州吉野義経馬洗滝》の蛇行する滝、途中で馬を洗っているのだが、そこに至るまでの大きな流れ、そして洗っている馬の足もとの、浜のような水紋の表れかた、またすこし下に下って、最後に岩にくだける波しぶき、ひとつの絵のなかで、三つ以上の水のうごきが見れて、水たちが凝縮しているように感じられた。
《諸国瀧廻り 木曽海道小野ノ瀑布》の、縦長の画面のほぼ上下大部分を使ってのまっすぐな流れ、蛇行とは対照的ともいえる、あまりのまっすぐさに、釘付けになってしまう緊張感…、ああ、この高さが描きたかったのだろうなと、見入ってしまう。
さらに《諸国瀧廻り 東海道坂ノ下清滝くわんおん》、これは今掲げた二つの絵とは、水の量が圧倒的に違う。というか、少なすぎるのだ、小さな、滝とはよべないのではないかというほどの、ほそい水の線が、岩肌を伝ってながれてゆく…。岩肌で分かれ、また分かれ、しずかな模様を描いてゆく…。これらを観て、ああ、こうした水たちの動きの違い、それらを描きたかったのだなと、しみじみ思う。そう思うことで、ようやく、なにかたちと近づけたような気がした。ようやく北斎展の世界に足を踏み入れることができた、というか。
だが、実は、こうしたなりゆきは意外ではなかった。わたしの北斎によせる信頼は絶大なのだ。展覧会のどこかで、きっとこうなるだろう…とはわかっていたようだったのだ。もちろん、同時に、失望したままにならなくて良かったなとも思ったけれど。そこには直観的な信頼が勝っていたのだ。
これ以降は、年齢的にも北斎七十歳代以降の作品ということもあり、あるいは滝の水によって、顔を洗ったとでもいうのか、何か水を受け取ったとでもいうのか、北斎の作品たちがすっとわたしにやってきてくれた。相変わらず混んではいたが、何故だろう? たいていひどく混むのは入口付近で、その後は少しだけ、混雑が緩和されるということが多い。みんな混んでいることに少し飽きてしまうのだろうか。ともかく、第一章の頃よりも、それでも隙間が見えるようになってきた。それもあって、絵を観るために並んでいる列にすっと潜りこむ。
第六章は「華麗な花鳥版画」。やはり冨嶽三十六景や瀧廻りとほぼ同時代の、一八三四年頃のものたち。ここにチラシなどでも紹介されていた《芥子》、風に なびくそれがある。最近…いつだったのか、ずいぶん前のような気がしていたのだが、六月十五日のここでちょっと採り上げていた…好きな《芥子》があった。 風を感じるこの絵が、昔から好きだったのだ。
会えた嬉しさはあったけれど、今回はそれほど、感動はなかった。いや、あったのだけれど、もうずい ぶん前から、《芥子》もまたあの“赤富士”たちのように、わたしのなかで大切な作品のひとつになっていたので、今回は、脇にいってもらっていたのだ。親し い友人に甘えるように。彼は放っておいても大丈夫だから。そうして、その間、あらたな客だか知人たちと接するのだった。彼らと親しくなるために。(続く)