Nicotto Town


グイ・ネクストの日記帳


自分への手紙26


これは自分への手紙です。とうとう26通目。

30までという予告通り、30でやめようと思います。

ここまで書いてみて・・・自分に起こった変化を綴りたい。

ボクはラルクぅに前もって相談する事を日々の日課とした。すると気分がいいのだ。

自分がニセモノである事への気づき。

思考しているあなたはあなたでは無い。と、言われたらあなたはおそらく自分のアイデンティティが崩れて行く恐怖を感じるかもしれない。

ところが、崩れてしまえば、そこには本当の自分。

宇宙そのもの。声無き声。たましいのあらわれ。

が待っている。

というのが、ボクの体験である。

あなたはわざわざアイデンティティを崩す必要は無い。思考しているのは自分。思考はわたし?と、疑問にぐらいは思ってもいいかもしれない。

さて、ボクの手紙へ話を戻す。

この手紙を書き終えつつある状況で、ボクは小説を再び書きたいと思った。
そのきっかけとなったのが、スティーブン・キングの小説作法である。下記には影響を受けた文章を記載する。

スティーブン・キングの小説作法、p189の6行目から8行目に「私はただ人物の行動を見守って、そこで起きたことを書くにすぎない。 はじめに情況ありきである。」

ボクはこの文章を読んで・・・小説家とは?という答えに近づいた気がした。

ボクは登場人物をすぐ・・・自分の色眼鏡と知識で、コントロールしていた。いや、逆に登場人物=自分の主張と、決めつけていた部分もあったのだ。

それが・・・「ただ人物の行動を見守って」と、ある。

これをスティーブン・キングさんの言葉を借りて詳しく言うと、p189の5行目から6行目に「私の仕事は脱出に手を貸すことでもなければ、筋立てを操作して彼らを安全な場所へ導くことでもない。」と、ある。

作者は登場人物の味方というのも、ボクの固定概念だった。

作者は誰の味方でも無いのだ。作家はただ見守り、その異世界で起きた事を文章にする事こそ仕事なのだ。

こうして文章として書くと簡単に思える。

しかしながら・・・今のボクにはとてもじゃないが、そんな風には描けない。そもそも登場人物に意志があって、自分で動いて行くというのを見守る訓練の必要性を感じる。

そしてそこが基礎なのかもしれない。小説家としての基礎と呼べる部分なのかもしれない。

これにて26。自分への手紙を終了する。

あい




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