此れはもう陰謀でしょう。こいつらを許せとでも!?
- カテゴリ:30代以上
- 2014/08/16 14:21:57
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週刊新潮・河野談話を出世の踏み台にした「福島瑞穂」売国の履歴書
中略
それにしても、「河野談話」のお陰で日本人はどれおとしほど貶められて来たことだろうか。何しろ、世界中で繰り広げられる反日キャンペーンは、この談話をもってして”日本政府も慰安婦の強制連行を認めているではないか”と正当化されてきたのである。
中略
日韓で”付け火”
そもそも慰安婦問題が日韓の外交問題になったのは、91年8月、元慰安婦が”挺身隊の名目で連行され従軍慰安婦にさせられた。と名乗り出たことだった。そして12月、日本政府に対し損害賠償訴訟が起こされるのだが、そこに弁護士として参加したのが政治家になる前の福島氏だった。
「日本の活動家が慰安婦問題に目をつけ、韓国の慰安婦団体を焚き付けた。人権派の高木健一弁護士①らがこれに乗り、福島氏も訴状に名前を連ねたのです」(政治部記者)この問題は、朝日も同年8月11日付で大々的に報じ、 大騒ぎとなる。後に報道はウソだったことが判明するが、それはしばらく経ってからの話。時の宮澤政権は追い込まれ、翌年1月の訪韓では慮泰愚大統領の前で8回も謝罪させられた。さらに92年7月、加藤紘一官房長官が元慰安婦に向けて、
「改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい」
と談話を発表する。だが、それでも一向に収まる気配がない。福島氏らが日韓をまたいで”付け火”して回ったからだ。彼女はNHKなどに元慰安婦のインタビューを売り込む一方、韓国でも騒ぎまくった。
だが、その手法は真実を求めるというよりはプロパガンダそのもの。長年、市民運動や女性の人権擁護に関わってきたフリージャーナリストの舘雅子氏が振り返る。
「私は92年8月にソウルのYMCA 会館で聞かれた『アジア連帯会議』に出席しましたが、それを仕切っていたのが福島さんと元朝日新聞編集委員の松井やよりさん(故人) でした。当日、私は会場内で迷って、ある小部屋に立ち入ってしまったのです」
そこで舘氏は仰天の光景を目撃する。
「お揃いの白いチマチョゴリを着た女性が4、5人いて、日本人と韓国人のスタッフが”ああ言いなさい!こう言いなさい”と一生懸命、振り付けをしているのです。本番の会議でも彼女たちが登壇し、言われた通りに悲劇的な体験と、日本政府に対する怒りを切々と述べているではないですか」
元慰安婦たちは操られている。舘氏はそう直感したという。ところが、台湾人の元慰安婦の番になると”日本の兵隊さんは私たちに優しくしてくれました”などと言い出し、ステージの下に控えていた福島氏や松井氏が大慌て。
宮澤改造内閣の立役者として、河野氏が内閣官房長官に就任したのはこの年の12月。そして、翌回年7月、政府による元慰安婦の聞き取り調査が開始される。その内容は、昨年同月、産経新聞のスクープで極めて杜撰なものであったことが明らかになっているが、
その、同席した原告団弁護士がこれまた福島氏だった。遺族会からの要請だったと言われている。
聞き取り調査は1人あたり約3時間ずつ、1日3、4人というぺースで行なわれたが、非公開のため詳細は明らかでない。だが、真相を究明しようというものでなかったことは明白だった。慰安婦問題を取材してきた産経新聞編集委員の阿比留瑠比氏が言う。
元慰安婦たちは操られている。舘氏はそう直感したという。ところが、台湾人の元慰安婦の番になると”日本の兵隊さんは私たちに優しくしてくれました”などと言い出し、ステージの下に控えていた福島氏や松井氏が大慌て。
「それ止めて! 止めて!と遮り、それでも止めないとマイクや照明を切ったりして発言を封じ込むのです。タイの女性も”日本の軍隊ばかり叩くな”
”イギリス兵はもっと悪いことをした” と反発していましたが、福島さんや松井さんが抑え込んでしまいました」(同)
ハプニング続出出にもかかわらず、会議は日本政府に強制連行の認定と謝罪と補償を求める決議を採択して終わる。そして、具体的なアクションも決められた。
ハプニング続出出にもかかわらず、会議は日本政府に強制連行の認定と謝罪と補償を求める決議を採択して終わる。そして、具体的なアクションも決められた。
「日本政府への働きかけは2班に分けられ、私たち外部の団体は内閣外政審議室(当時)に対して行い、福島さんや松井さんたちは”河野(洋平)さんのところに持ってゆく!”とはっきり言っていました」(同)
宮澤改造内閣の立役者として、河野氏が内閣官房長官に就任したのはこの年の12月。そして、翌回年7月、政府による元慰安婦の聞き取り調査が開始される。その内容は、昨年同月、産経新聞のスクープで極めて杜撰なものであったことが明らかになっているが、
「聞き取り調査は、ソウル市龍山区にある太平洋戦争犠牲者遺族会②の事務所で7月初日から初日まで行なわれました。日本からは内閣外政審議室の審議官らが4人、外務省から1人、そして民聞からも全国人権擁護委員連合会の弁護士と元慰安婦の国家補償を求める訴訟原告団の弁護士も同席したのです」(元ソウル特派員)
その、同席した原告団弁護士がこれまた福島氏だった。遺族会からの要請だったと言われている。
聞き取り調査は1人あたり約3時間ずつ、1日3、4人というぺースで行なわれたが、非公開のため詳細は明らかでない。だが、真相を究明しようというものでなかったことは明白だった。慰安婦問題を取材してきた産経新聞編集委員の阿比留瑠比氏が言う。
「聞き取りの前に、日本大使館の大使館員が打ち合わせのため遺族会の代表と会ったときのことです。そこで大使館員が”日本側の目的は真相解明です”と言うと、代表が激怒し”歴史を明らかにして何になるの。罪の意識はないのか!”と怒鳴って、謝罪と賠償を求めたそうです」
怒号と罵声の中で
当時、朝日新聞(93年7月却日夕刊) が福島氏から聞いた話として報じたところによると、聞き取りのスタッフは、最初に必ず「日本は、やってはいけないことをした。真相究明のために来ました」と言い、最後に「つらい話を聞かせていただき、ありがとうございました」「日本政府として、誠実に対応したいと思います」などとお詫びをしなければならなかった。
これだけでも、聞き取りが形だけのものでしかなかったことは明らかだが、今回の報告書にはこう書かれている。
93年8月4目、談話が発表されると前出の舘氏は、それを見て驚き、そして合点がいったという。
怒号と罵声の中で
「河野談話」の検証チームのメンバーである秦郁彦氏も、当時の様子を明かす。
「聞き取りの現場では、もの凄い罵声や怒号が日本のスタッフに浴びせられたそうです。ヒアリングはそういう中で行なうしかなかったのです」
当時、朝日新聞(93年7月却日夕刊) が福島氏から聞いた話として報じたところによると、聞き取りのスタッフは、最初に必ず「日本は、やってはいけないことをした。真相究明のために来ました」と言い、最後に「つらい話を聞かせていただき、ありがとうございました」「日本政府として、誠実に対応したいと思います」などとお詫びをしなければならなかった。
これだけでも、聞き取りが形だけのものでしかなかったことは明らかだが、今回の報告書にはこう書かれている。
〈河野談話との関係については、聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた〉
93年8月4目、談話が発表されると前出の舘氏は、それを見て驚き、そして合点がいったという。
「私たちが連帯会議の決議を外政審議室に持ち込んだときは、慰安婦の話は全く信憑性がなく身元も不明と門前払いでしたが、『河野談話』には決議そっくりの内容が盛り込まれていたのです。福島・松井チームは官邸に働きかけて主要部分を談話に入れることに成功していたんだ、と改めて感心したものです」
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/38968295.html
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国連人権委員会で日本に対する此の従軍慰安婦に関しての批難決議が出される。
此の朝日の捏造記事は真実として今も世界を駆け巡っている。
此れでも(⁰︻⁰) ☝こいつらを日本国民は許せるとでも思っているのだろうか?
日本国民は決してこいつらを許さない。
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/38968295.html
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国連人権委員会で日本に対する此の従軍慰安婦に関しての批難決議が出される。
此の朝日の捏造記事は真実として今も世界を駆け巡っている。
此れでも(⁰︻⁰) ☝こいつらを日本国民は許せるとでも思っているのだろうか?
日本国民は決してこいつらを許さない。
私もまさか福島みずほがこれほどまで深く関わっているとは驚きでした。
社民党(旧社会党)から民主党に逃げ込んだ連中が更に他の野党に逃げ込んで
延命を図っています。
彼らも合わせて日本国民は見つけ出して糾弾していくべきだと思っています。
そのためにも全ての議員への質問状を出して其の回答を
公に日本国民が知れるようにすべきだと思っています。
更に世界にはまだ朝日新聞のカミングアウトが知られていません。
記事のコピーの訳を世界に発信させていく必要を深く感じます。
大変参考になります。
事実を知らない人たちにこの事実を知らせて行かなければ!