ドラマ【信長のシェフ】
- カテゴリ:テレビ
- 2014/08/09 14:46:44
【感想】結局、夏は貞操を守り岐阜に無事に帰り、ケンも信玄から見逃されて信長の元に戻ることになりました。しかし休む間もなく、次はその信玄から手痛い目にあわされる、家康の下に行くことに。信長、信玄、家康と、この時代に活躍した武将の間を渡り歩くという、戦国物の同人誌のような内容になってますなw ただ、不思議と信長の元にだけいたシーズン1より刺激が少ないような気がします。やはり瑤子の存在がないのと、主人公の記憶が完全に戻っているからでしょうかね。あと、当時の食材を使いフレンチを作るという目新しさが、今シーズンは薄れてきたような気もします。というか、もうケンが作る食事のうち、半分以上はフレンチではないですよねw 和食も中華も何でもござれ、栄養学の知識も豊富で、本当に一介のフレンチシェフだったのか、疑問が持たれます。また、それまでケンを始末するよう信長に働きかけていた帰蝶が、ドリア風飯玉を食べた途端、グルメ番組のゲストのように、味を語りだしたのが、ちょっと滑稽でしたw 普通ああはならないですよねw でもこういうところが、信長のシェフがシェフたる所以ではあるのですが。さて、信玄の上洛ですが、wikipediaの武田信玄の「西上作戦」という項に大体のことが書いてあります。この西上作戦が始まったのが、1572年10月。そこから破竹の勢いで遠江を攻め、徳川方の城を攻略していきます。恐らく次回放映予定の三方ヶ原は、同年12月22日なので、当時としてはかなりの勢いですね。しかし翌年にはもう信玄の死が迫っています。立ち上がるのが少し遅かったですね。ちなみに遠江というのは、静岡県の西部地域で、「遠江」の言葉自体は、琵琶湖が「近江」と呼ばれたのに対し、浜名湖が都から遠いことから「遠江」と呼ばれたことから、地名になったようです。そのすぐ西隣の、今の愛知県東部が三河で、その西が尾張になります。wikipediaに頼りっきりでアレですが、「令制国」の項のの地図を参考にすると、当時の位置関係がわかりやすいですよ。
三方ヶ原についてについて調べると必ず出てきます。
で、確かこの時ですよね。家康がおもらし(しかも大)をしたのは。
おもらしのエピソードが地名にまで残っているらしいですね。
大河ではこの時代の10年以上後をやっていて、
かぶる役も多いので、多少混乱しています。
あれっ、寺尾聡の家康ってどっちだったっけとかw
何かと批判も多い大河ですが、やはりこのドラマと比べると本格的。
それで見劣りするのも視聴率不振の原因の1つでしょうかねぇ…
惨敗して命からがら逃げ帰った家康は、即刻、絵師を呼び、その姿を
描かせて、終生、自分への戒めにしたと言う逸話が残っています。
一度、見たら忘れられない、何処かユーモラスにも見えるけれど、この
作品の背景を知っていたら、笑えないです。
さて、信玄の次は家康とは。
次から次へと大物武将の所へ渡り歩くケン。
帰蝶の絶妙なグルメ解説には、確かにええ~って思ったけれど、でも、
これが、この話の、この話たる所以です。
はい。