Nicotto Town



帰宅




家族旅行で東海岸行から帰宅
去年に引き続きロードアイランド州のニューポートに行って来た
海は東北の東側の海と同じなので「泳ぎたい」とならないのですが
だって私は砂だらけになるのが嫌なんです
透明性もないしねえ
東北でも西海岸なら海へのイメージもかなり違ったといつも思うのだけど
それでも天気のよい時の海辺の開放感は爽快ですね

ニューポートでは北米唯一の芝のテニス大会があるのよ
ウィンブルドンの後アメリカ選手を中心に芝が好きな選手がやってくる
ヒューイット対ハリソンの試合を間近でみれる席を買えてよかった
ヒューイットはいつも奥さんが試合をみていてね
目の前にいらっしゃいました
何度も洗ったちょっと毛羽立ったTシャツ着てたりして
一見セレブ感ないんだけど
腕時計とかでかいダイヤの指輪とかシャネルのサングラスとか
小物をみるとセレブなのが確認できたりw
この大会は初日から最後まで通い続けたいくらい居心地がよい

旅行をしているといつも日本の外食の選択肢の豊富さと価格の低さが羨ましくなります
海辺だから確かに新鮮な魚があるのですが
アメリカときたら何でも揚げてしまう
それか生牡蠣。。。
牡蠣は当たったら旅行が台無しだから食べる気にならない
新鮮な地元でとれたアサリの酒蒸しとか。。。食べたいけど無理
高いレストランに行けば食べれるのかも、しれない

アメリカ旅行中は食事に悩まされます

そういった食事に飽きてしまって
4日目にボストンにレッドソックスの試合を見に行った時
割り当てられたボストン大学の駐車場に停めて歩き出したら
「ヌードル」が入った店名に釘付けになり
丁度持ち帰りにしたらしき袋を下げたアジア系男子学生さんが出てきたので
「美味しいですか?値段は手頃?」
学生街=値は手頃で美味しい
というホームズさん的推理を働かせて質問!
そうだという返事をもらったのでいざ入店
タイ系でごじゃった
店内アジア人経営な装飾、店の人みんなアジア人(たぶんタイ人)、いい感じじゃない?
初めての店だしねー 何がいいのかわからないじゃない?
カウンター脇に写真入りで「当店ナンバー1!」というのにしようかなー
とまあでもカウンターのお姉さんに聞いてみて
勧められるままに3品注文
バミセリヌードルともやしと鶏肉の香料を効かせた品
そして「ああタイのカレー味〜♡」ともう嬉々とした
ココナッツカレースープに入ったラーメンのような麺の品
なんかもう救われた感じっすよ
これこれこういう味がいいのよね〜〜〜
一皿12ドル前後だった 相場かな
でもさあ この程度なら日本だったらひと皿500円もしないで食べれるはずなのよねー
日本のラーメンは偉大です
美味しくて満腹感もあってそして500円前後なんだから

ボストン大学が道の両側に立ち並んでいるんだ
テクノロジー学部の道に面したビルはなんとガラス張り
勉強?研究している様子がすっかり見える
そしてここがあの銃撃戦があった。。。大学かあ

ボストン大学の裏側にレッドソックスの球場がある
これがまあすんごく雰囲気のいいスタジアムなのよ
だから見に来たんだけど
センターフィールドの一番後ろの席だったけど
丁度日影になってるの
そして後ろだからゲームから隔離されてる〜 っていうのがないのよ
ボストンのレッドソックスの試合はすべてあっというまに売り切れになってしまう
この日も満席だった
観戦客の独特の一体感というのもすごいんだ
ホットドックや飲み物やら売り子がきて
客の手から手を伝って客に渡ったと思うと
今度はその客の金が客を伝って売り子に届く
ゲームの合間に知ってる歌が流れて来ると立ち上がって踊って歌ってとか
定番の歌はみんなで大合唱とかとか
ブルペンも丸見えになるように作られていてね
田澤投手と上原投手のウォーミングアップはばっちり見えた!
田澤投手が8回表をしっかり守り
上原投手が9回表に登板。。。が、ラッキーなヒットが出て、次にホームラン打たれちゃって、同点に ;;
延長して11回裏で点をとって勝利

だったのだけど
田澤投手と上原投手をみれちゃったりしたりしてすんごいラッキーだったんだけど
延長戦になっちゃって
暗くなる前に車を出してボストンを出たかったから別な意味でハラハラ;;
子供と一緒だしよそ者ナンバープレートだし
治安を考えてハラハラっすよ
明るいうちに終わって、それも勝って嬉しかったー

最後の日は数時間だけダウンタウンをブラブラ
観光地らしい店が並ぶ中
アイリッシュアイテムだらけな店があった
お店の方は一人だけ、聞いてみました
「この土地はアイルランドと関係があるのですか?」
すると
「ここにはアイルランド、イタリア、ポルトガルから移民が多くあった土地なんです。特にアイルランドから」
ということでなぜかセーターと結びつき
毛100パーセントのセーターを見つける事がほぼ不可能な自宅周辺事情ゆえ
見回した店内にやっぱりあったセーターに飛びついてしまいました
自分で編もう編もうとは思っているのだけど
毛糸を買ったりするとやっぱりこのぐらいの値段になってしまう
160ドルで買いましたよ
アメリカでの買い物の何が良いって税金がほとんどかからないこと
州によって課税アイテムが違うから一概に解らないのだけど
セーターは値札通りの160ドルきっかりだった

帰宅して留守を頼んでいた隣人に
ロードアイランドといえばこれ「Del'sレモネード」ということで
お土産にポカリの粉状態になっているレモネードを持って行った
そこでアイリッシュの店の話になったら
隣人のひいひいおじいさんがアイルランド移民ということで
アイルランドからの移民が多い訳を教わった

ここモントリオールにいると春はアイリッシュのお祭りがある
特に考える事もなく毎年眺めていたのだけど
それは特にモントリオール独特のお祭りだとググって知った
隣人のお話からググって知識を仕入れました

アイルランドでは1845〜49年に「ジャガイモ飢饉」が起こった
ちょっと前にイギリスに併合されたというのに
この飢饉をイギリスは助けるどころか
搾取し続ける結果となった
飢饉で苦しんでいるアイルランドからイギリスへ食物が輸出され続けたというんだから
これだけだと日本語のwikiでも読めるのですぐ解る
餓えたアイルランド人はカナダに渡った
当時欧州からの移民はケベック州の海路の玄関口にある
「Grosse Isle(大きな島)」の検疫所に入る事になっていた
次から次へと到着するアイルランド人の多くが船上や到着してチフスで亡くなり
健康だと判断された人々は上陸するにも収容される場所がなく
食事も足りず弱った体はどんどん衰弱してチフスが蔓延
おびただしい人が亡くなった
この検疫所を通過して送られた先は
モントリオールの「Village-aux-Oies(ガチョウの村)」という
隔離された村だった
そしてここでも沢山の人がチフスで亡くなった
この村の近くにビクトリア橋が建設された時
建設員だったアイルランド移民の子孫である男性3人は
おびただしい数の墓を発見して「The Black Rock」と現在呼ばれる
記念碑をブリッジ通りに設置した
この時生き延びた移民の子孫がフォード社の創設者だという
この記念碑が建つ通りは何度も通っているのに知らなかったな
車だから横見てられないしな

アイルランドからの移民はこうしてモントリオールから南下して
アメリカはニューイングランドへ移動していったそうだ

アイルランドはこの飢饉での人口減少そして人口流出以来
人口が激減して今に至るそうだ

覚え書き内容でもあるので
読んでも面白くない内容で申し訳ない




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2014/07/19 13:24
>次郎丸さんw
ただいまですーっ!
ものを大切にする、のでしょうねw
まあ、ヒューイットも名のある選手ですが、フェデラーには及ばない収入ですから、セレブ感もレベルが違うのかもですが。。。
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2014/07/19 13:22
>koronさんw
そのうち写真付で本家ブログにupする予定ですので、そちらもよろしくお願いします
とさりげなく宣伝?!をしておきますw
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2014/07/19 13:22
>ラトさんw
エリンのことググってきました。
神話なんですね。
アイリッシュはほんとに大変な歴史を乗り越えてきていますね。
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2014/07/16 06:17
アイルランドのお話、興味深く読ませて頂きました〜
無事帰宅のご様子、お疲れ様でーっす!

セレブだけど毛羽立ったTシャツ、物を大事にする人なのね、と好感を持ったのは私だけかしら(笑)
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2014/07/15 11:11
はぁ~~~~素敵^^
猫ニさんのブログを読んで、私も旅行した気分になりました。
また読みにきます!
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2014/07/14 22:29
いえいえ、いろんな意味で面白いですよ。

アイルランドの歴史は、イギリスの歴史と切っても切り離せません。
現在のアイルランド系移民のご子孫の新大陸での活躍は…苦難の歴史を乗り越えた努力の賜物かなと。
アイルランドの古名エリンは、私にとって魔法の言葉の一つです。



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