Nicotto Town



自作小説倶楽部 お題「水溜り」

彼女が走っていました。足元の水たまりがしぶきをぱっ、ぱっと上げて。きらきら光っていました。翻ったスカートから細くて白い足が見えて、一瞬、僕は見とれました。

ええ、もう遅い時刻でしたがはっきり見えましたよ。うちの庭は母が目を悪くしてから特注で照明を取り付けたので夜明るいんです。庭の工事ででこぼこになってしまって危ないし、あの雨だから点けっぱなしでした。彼女、真魚美は突飛な言動をよくしました。考える先に身体が動く。僕がプレゼントした時計を突然投げ捨てたり。原因? 彼女が嫉妬深かったせいです。僕が他の女性に親切にするだけで烈火のごとく怒りました。僕の母が交際に反対していたせいもあります。母は旧華族のお嬢様で、真魚美は貧しい母子家庭じゃ無理もありません。しかも真魚美の母親は娘を海で拾った子供だと言っていたそうです。本当かもしれないと思いました。あんな母親から生まれたとは思えない程、真魚美は美人でしたから。浮気だなんて飛んでもない。心に決めた女性は彼女だけです。彼女はもともと野生児なんです。海で魚のように泳ぐことが出来ました。一度カナヅチの僕を水に突き落として溺れさせたことがあります。息を吹き返してから怒ろうとしたんですが、彼女がこの世の終わりみたいに泣くので許してしまいました。
 
その時、彼女は何かに向かって夢中で走っていました。さすがに危ないと思って僕は玄関を飛び出して後を追いました。えッ? 怪我? そう言えば何か踏みました。痛かったけれどそのまま僕も走った。そうか、だから僕の右足には包帯が巻かれているんですね。花瓶の破片が落ちてた? 婆さんを叱らなきゃ。うちのお手伝いさんですよ。生意気な婆さんです。
 兎に角僕は彼女を追い掛けた。僕の手が彼女の髪に触れた瞬間、彼女が躓いて倒れました。僕は慌てて抱き起こそうとしたのですが、彼女の身体は僕の手をすり抜けたのです。指の間をするりと抜ける小魚みたいに。深い水たまりにひざまずいて手探りで彼女を探しました。その時手に魚の尾鰭みたいなものが触れて、反射的に手を引っ込めました。そして僕は見たのです。下半身が長い尾鰭のようになった彼女が水底に沈んで行くのを、僕を一瞥してぞっとするような美しい顔で笑っていました。

「もう我慢出来ない!よくもそんなでたらめを!!」
 頭を包帯でぐるぐる巻きにした男が椅子を蹴って話していた彼に飛び掛かる。即座にスーツ姿の男と制服姿の警官が割って入った。
「はーい、待った。待った。気持ちは理解するけど警察の前で暴力は困るよ」

スーツ姿は奇妙に明るい調子で飛び掛かった男をなだめると、彼に向き直る。途端に眼が鋭く光った。

「さて、磯谷和男さん。大変興味深いお話を聞かせてもらいました。でも、もっとよく思い出してください。あなたが妄想の檻に閉じ籠ることを自らを罰したのだという人もいるでしょうが、我々警察はそれじゃ困るんです」

「何を思い出せって?あんたは誰だ?」

「再度自己紹介します。私は県警N署刑事課強行犯係の獏田遊平といいます。事実を思い出してください。まず、中島真魚美さんがあなたに別れ話を切り出したことです」

「そんなバカな。僕たちは愛し合っていた。母が死んでやっと結婚できるようになったのに」

・・・・・もうあなたのことを愛してないの。

 彼は耳の奥から浮かび上がった言葉に思わず首を振った。

「今夜、いえ、もう日付が変わってしまいましたね。昨日の十八時、真魚美さんはそこにいる幼馴染の多々良郁太さんと一緒にあなたの家を訪れた。この家にはあなた以外には年取ったお手伝いさんしかいないから一人であなたと会うことに不安があったからです」

 獏田の言葉に彼は憎悪をたぎらせて自分をにらみつけている男を見た。

 そうだ。真魚美の知り合いの多々良という男だ。不恰好に包帯を巻き、顔が赤黒く変色している。いつか殴ってやりたいと思っていたが。

「あなたが殴ったんですよ」

 獏田が言った。

 そんなバカな。と言おうとしたが声が出ない。彼は自分を見下ろす獏田に反発を感じたが顔を上げることが出来なかった。

「激昂したあなたが花瓶で多々良さんを殴ったので驚いた真魚美さんは逃げ出した」

 走る真魚美の後姿が甦る。捕まえなくては、永遠に彼女を失う。

彼女は汚れた人間の世界から逃げ出したんだ。人魚だったんだ。

 獏田は彼の右肩を押さえて言った。

「あなたの手が掴んだものは尾鰭などではない」

 掴んだ? 手をすり抜けたのではなく、掴んで、絞めた。手に濡れた黒髪が絡み付く。美しい彼女の顔が真っ白で、恐怖に歪んだ。

「昨夜の十九時三十分ごろ、あなたは逃げ出して水溜りで転倒した真魚美さんの上にのしかかり死にいたらしめた。直接の死因は窒息ではなく水溜りに頭を沈められたことによる溺死です。事件に気が付いて腰を抜かしていたお手伝いの若狭メイ子さんがやっと通報するまであなたは水溜りの中で茫然自失の状態にあった」

 嘘だ。

 彼は自分自身に向かって否定しようとした。しかし指と手に甦ってくる分厚い肉の感触を消すことは出来なかった。

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2014/07/11 05:58
オカルトというかサスペンスというか
そんな終わり方が不気味で凄いです
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2014/07/08 06:03
私の属しているペイジが、アクアポリス・ミステリー大賞会期と重なっていたため全体に低調であったことと、昨今は巡回をしていないという悪条件の中、かなりの健闘だと思います。転載作品中第4位、目標値40アクセスは突破しています。お疲れ様でした。転載先『小説家になろう!』のアクセス値は以下の通りです。

らてぃあ様 82アクセス
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2014/07/07 21:12
おもしろーい。

人を殺すような壊れた人の頭の中ってこんな感じなのかもしれないと思いました。
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2014/07/07 20:20
PCで読むには段落が長く、
目がヘタっている私はワープロソフトにコピペで
読ませていただきます。

感想は後ほど・・・
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2014/07/05 07:44
転載させて頂きました。ご寄稿に感謝いたします^^

●転載させて頂きました。下記の点は先のペイジで次のように改めました。
 「 ・・・・・」 → …×2

●その他、気付いた点
 ラノベでよくある、「!!」は、なろうで横書き読みするときはいいのですが、縦書きにすると「!」の縦連続になるし、内容・文体ともに、しっかりしていらしゃるので、ここは大人向けの小説風に、「!」一つか、「。」でしめてしまうとよいかなあ、と思いました。
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2014/07/01 23:50
ストーカー殺人とか、現実にある事件も、実は犯人はこんな心境だったりして…と思うと、ゾッとしますね(^_^;)
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2014/07/01 20:26
確かにこんな供述を聞かされると刑事もうんざりするでしょうね^^

この長さでうまくまとめられていると思いました。

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2014/06/29 22:12
キャッキャウフフのカップルの情景のはずが実は……
人間の脳って本当に不思議ですよね。
都合の良いように受け取り、妄想できる。
お話の暗転具合が見事だなぁと思いました。

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2014/06/29 20:49
とても不思議な世界です
初めての世界。
凄いです。
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2014/06/29 19:48
 上手い。一気に読みいってしまいました。
 1つだけ問題点といえば、小説特有のお約束で、記号の使い方。

「掴んだ?手をすり抜けたのではなく、……」
    ↓
「掴んだ? 手をすり……」

 のように、「?」「!」といった記号の後は必ず1字アケをして下さい。

 
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2014/06/29 19:39
普段から人に読ますものは平和なものでありたいと思っているのですが。
文章の最初のほうのイメージで始めたのに
こんなオチになったのはわたくしの不徳の致すところです。



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