龍馬最後の手紙
- カテゴリ:コーデ広場
- 2014/05/20 18:02:35
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歴史秘話ヒストリア
「新発見!龍馬最後の手紙~風雲児の筆が語る幕末の真実~」
長さ1メートルに及ぶ手紙。
今から147年前に書かれた坂本龍馬の手紙が発見されました。
って、
私ぜんぜん知りませんでしたわ~^^;
それは4月12日放送「突撃!アッとホーム」という番組で、
道を歩いてる人に「家のお宝ってありますか?」
のインタビューがキッカケでした。
一般の人のお家から奇跡の大発見ですよ@@;
専門家の間では、龍馬の生前最後の手紙なのでは?と言われているそうな。
姉 乙女への手紙は、
当時珍しい話し言葉で擬音を使ったりの現代に近い素直な表現で、
絵を描いたり「少し泣きそうになります」なんて、
その時代の男子がそんなん言って良いのかしらん@@;
でも大丈夫。
龍馬は人によって筆跡や内容をちゃんと使い分けていたみたい^^b
今回みつかった手紙は草稿(下書き)で訂正した跡もも多くみられ、
推敲を重ねていたことがわかりました。
自分の考えを余すところなく伝えたい!という意思を感じます。
おおらかなようでいて、慎重で緻密な面があったと。
私は特別龍馬好きじゃありませんが、
やっぱりすごい人だなぁと思います。
世界や未来を見渡す目を持つコミュニケーションの天才だったんじゃないかな~と。
彼がフットワーク軽く人と人とを結び付けなければ、
いったい日本はどうなっていたことでしょう・・
手紙によく出てくる「三八」こと三岡八郎。
福井藩の侍。
福井の龍馬みたいな人でした。
その三岡が影響を受けたのが思想家・政治家 横井小楠
国が富むにはまず外国と交易し
人々を豊かにする
そのために人々の生産性を高くするのだ
という考え。
素晴らしいです。
話はずれますが、
福井県鯖江市はメガネフレーム国内シェア96パーセント世界では約20パーセント。
明治に貧しい農村を救うため産業を興さねば・・と、
大阪から職人を呼び眼鏡づくりを学ばせたところから始まったのですが、
貧しい→経済的になんとかせねば
の発想は、福井の人は経済がいかに大切かわかっていたってことですかねぇ。
話戻ると、
龍馬が海軍を作る資金援助の口添えをしてくれたのが三岡。らしい・・
藩という枠を超えて日本のために!という考えを共有出来るふたりだったのですね。
その後、もう一度龍馬は三岡と会いますが、
それは新政府作りの根回しのため、福井藩 松平春嶽に会うためのついで(?)
でありました。
しかし、春嶽が多忙のため面会は果たされませんでした。
これは今回の手紙からわかった新発見でした。(スゴイね!)
その時、謹慎中の身であった三岡。
龍馬の熱心な懇願で面会することが出来ました。
なかなかに和やかな出会いだったようですが、
龍馬は新政府の経済政策について三岡の意見が欲しかったと。
夜を徹して意見交換がされたとか。
龍馬亡き後の新政府で三岡は由利公正と改名。
龍馬の構想を元に新政府の基本方針「五箇条の御誓文」原案を起草。
明治政府の財政担当に就任。
紙幣の発行など、新政府の経済基盤を築きました。
龍馬の想いを継ぐ人がいて良かった・・
その後、
147年の時を超え 発見された手紙は
龍馬の故郷・高知に里帰りした
地元の博物館でその全文が公開されている
ですって。
いや~
歴史って本当に面白いもんですね♪