小学校のおもひで
- カテゴリ:学校
- 2009/08/25 20:50:18
私が小学校に入ったとき、場所が首都圏とはいえやや田舎だったというのもあるのでしょうが、入学した小学校の校舎は木造でした。ゴキブリ、ムカデ、大グモ、カマドウマなんでもありです。学校まで新興(当時の)住宅地から3キロ近く。近所の子同士、数人で待ち合わせて歩いて通っていました。
1学年17クラス。今では考えられないマンモス校でした。
学校の近くには木造の長屋などもありましたし、舗装道路と非舗装道路も半々くらい。下水も完備してなかったです。(今もそういう箇所がぱらぱら・・)
そんな猛烈に昔でもないんですがねw
学校のトイレも水洗が来ておらず、いわゆる「ぽっとん便所」。
しかも、校舎から出て、トタン屋根を張っただけの簡素な渡り廊下をずっと歩いて、校舎の隅に建てられた、木造の小屋まで行かねばならないのです。
うっそうと桜が茂った中にその小屋があります。照明は幾つか灯された裸電球だけ。いやに暗く、陰鬱な感じだったのも手伝って、嫌がる子が多かったのも無理はありません。
雨の日なんかはもう、辺りの薄暗さも手伝って大変気味が悪く、いろんな「伝説」があったのも当然といえましょう。いつ行ってもすいてはいましたが。
冬場になると、ストーブがつくのですが、石炭ストーブです。毎朝石炭当番(コークスだけどね)が2人、石炭小屋に燃料のコークス入りバケツ(ブリキ)を取りに行くのです。
暖房効率はそう良いものではありませんが、エリアが暖地だったので冬はさほど寒くないので結構事足りていました。
ファンヒーターより便利だったのは、お湯が沸かせる、食べ物を焼けるという点で、1年生ではさすがにいませんでしたが、3年生くらいになると、餅やおにぎり、みかんを乗せて焼いたりしていたようです。
2年に進級する際に、別の小学校ができ、学区の関係で私はそちらに転校。
同年にその木造校舎も取り壊され、鉄筋コンクリートの水洗トイレつきに建て替えられました。
湿度保持のためにね~。うちのほうはやかんですたw
>あとらちゃん
村とか、まだありますものね~。ウチの近郊にもあった気がするわ。
>pikkoさん
なんかこの小学校はすごく昔からあったらしいです。鉄筋校舎が2棟ありました。
そのほかに残ってる木造校舎がw
人数は半端なく多かったです。当時首都圏ベッドタウンとして開発が始まって数年後でしたからね。
あたしも小、中と、一年だけその学校で、2年からは新設校へ移動になってます。
>トゥルクさん
マンモス校だったんですよ。というか、人口の急増に、学校補給が間に合ってなかったw
汲み取り式はもうほとんど無いですね~。
>日月さん
高齢じゃないですってばw
>ダバさん
ほぼ同世代でしょがww 田舎だったからよw
>かもめさん
一部地域の子は、何故かみかん焼いて食べてましたよ。
>沙羅さん
地域的なものだと思います~。
まだウチの近郊は水洗完備じゃないエリアが散見されますし。
>くりりちゃん
京都のほうだと古い校舎とかまだ残ってそうですよね。
ああいうのもなかなか風情があっていいんですけどね。
低学年は木造で,高学年になると
憧れの鉄筋校舎に入れました^^;
その後,校舎も体育館も鉄筋に建て替えられたけど
職員室だけは当時のまま、京都で唯一の木造らしいです
沙羅は すでに鉄筋で水洗でしたぁ^^
でも 今思えば楽しい思い出かな?
マンモス学校だったんですね。。。
中学、高校と9クラスでした。 それでも多いと思っていましたが。。。
好きな人と同じクラスになる事がなかなか出来なくて歯がゆい思いをしてました。(中学時代)
ぼっとんトイレも少なくなりましたね。
うちは1学年3クラスでした。
弟のとき急に人数が増えて、それでも5クラス。
そんなにいたら、知らない人多そうですね〜。
中学でも5クラス程度でした。
小学校も中学校も私が通ってる時は
新しかったんですよ〜。
小学校は設立7年・中学校は設立3年。比較的新しい学校ばっかりでした。
なので、田んぼも多かったです。(元々、人がいなかった場所、だからこその新しい学校(笑))
さすがに、木造の校舎にはお目にかかった事はありません。
旦那は小学校と中学校は木造だったようです。
おいらは元村人です!イヒイヒ
ストーブの上に水の張ったたらいをおいて、給食の牛乳暖めて、そのあと掃除につかってましたw
ストーブなつかしすなー。
こっちでは「ぼっとん便所」と呼んでたあるよw
すごいでしょ?中学はさらにすごくて、1年19,2年21、3年36クラスありましたw
今は1クラス40人弱で2~3クラスだとか。
学校って普段は人が大勢いるところなので、人が少ないと
ちょっと違う場所に来た気がしますよね。