中国の本当の歴史を中国人が知るべきだ。
- カテゴリ:30代以上
- 2014/04/23 16:52:56
★毛沢東の失政
中国の毛沢東がやった「大躍進政策」が失敗し、飢餓を生んだ。
しかし、毛沢東は其の兆候も出ていたのに其の政策を強行し更に酷い飢餓状態になり、
地方では某動が勃発し、無政府状態になるところも在った。
更に其の暴動の勢いは天安門に反共産主義のビラが貼り続けられ
人々が集まって抗議集会も開かれた。
其の勢いは中国共産党政府の存続も脅かす自体となっていた。
毛沢東がやっと自分の政策の間違いを認めて謝罪する事態で収めようとしたが
具体的な飢餓に対する政策はないので更に飢餓が進んだ。
其の時出てきたのは「文化大革命」のスローガンである。
中国の民衆の体制批判をそらす様に出てきたが其れによる自国民への殺戮
歴史文化の破壊は地球上で類を見ない残虐な物になった。
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第8期11中全会以後、中国共産党中央は麻痺し、陳伯達・江青らにより「中央文化革命小組」が結成されて取って代わった。文化大革命について最もはっきり述べているのは1969年4月の第9回党大会における林彪の政治報告である。その報告には、
党内の資本主義の道を歩む実権派は中央でブルジョワ司令部をつくり、修正主義の政治路線と組織路線とを持ち、各省市自治区および中央の各部門に代理人を抱えている。(中略)実権派の奪い取っている権力を奪い返すには文化大革命を実行して公然と、全面的に、下から上へ、広範な大衆を立ち上がらせ上述の暗黒面を暴き出すよりほかない。これは実質的にはひとつの階級がもうひとつの階級を覆す政治大革命であり、今後とも何度も行われねばならない
と書かれており、林彪は文化大革命を、国内の反動的勢力に対する新たな階級闘争としてとらえていたことがわかる。なお、前半部分は1965年に周恩来が政治報告で意見した内容と同一であり、当時の毛沢東の認識と一致している。
==============ウィキより
扇動は知識層、商人、工業技術者、歴史学者、歴史的建物、寺院、僧、歴史的な文化製品、其の継承者、果ては服装に多少の模様がついていた、髪留めが花の模様だったと
あらゆる物が批判の対象になり、殺しあった。
その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれている。
1970年代になると此の混乱の為に中国経済の疲弊は文化大革命の殺戮加害者自体も
食べれない状態になって行った。
其れを救ったのが「日中共同宣言」を実行した日本の多額の経済援助であった。
★「天安門事件」
真実の映像と日本のNHKが日本国民に何をやったのかも含めて
此のURLを紹介します。
*映像には残虐なシーンが多数出てきます。R20にさせていただきますが、
それでも不快に思うと思う人は見ない事をおすすめします。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-0f04.html
しかし日本人の多くは既に中国共産党の出した数字が違うことは
ご存知だと思う。
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中国共産党の発表では、「事件による死者は319人」となっているが、この事件による死傷者については上記の中国共産党による報道規制により客観的な確定が不可能であり、数百人から数万人に及ぶなど、複数の説があり定かではない。
============ウィキより。
此処で何ども書きましたが、私の小学校の帰り道に文化大革命で逃げて来た
美しいおばさんが住んで居ました。
理科の夏休みの宿題で「生物(生き物なら何でも良い)」の観察日記が出ました。
私は其のおばさんの観察日記をする事にしました。
頭はムーミンに出てくるリトルミィにソックリで赤いコートを来て居ました。
手に触らせてもらいました。瀬戸物の様にツルツルとして真っ白でした。
毎日覗いて居ました。少しずつ話をする様になりました。
最初は中国、そして北朝鮮に逃げてしばらく住んで商売をしていたけど
其処も危なくなったのでソウルから神戸に逃げて其処も危なくなったので
北海道に逃げて来ました。
中国の古書の番人の様な家と説明をしてくれました。
中国の王朝にはそんな役職があったのかもしれません。
電話が来て身内が捕まって近所の人達に集団で殴り殺されたと言う話を聞かされました。
毎日電話をそばで泣いて居ました。
同じ身分だった知人達も近所の人達によって残酷な殺され方をして行きました。
私は窓越しに其の話を日々刻々と状況が変わる様子を聞いて居ました。
ある日ここも危なくなったのでおばさんは逃げる事にしたのでしょう。
アメリカに逃げる事にしたと言ってトランクに本を詰めて居ました。
何故衣類では無く、靴でもなく、本だったのか意味が解りませんでした。
日本政府は彼女の身の安全を補償してはくれなかったのです。
アメリカ政府は政治亡命者を受け入れて保護してくれたのです。
其れも後で知りました。
トランクにどうしても入らない本を私のランドセルに私のランドセルから私の本を出して手に持たせて
強引に入れて背中をとんと押してすぐに走って逃げるように言いました。
おばさんは待たせて在ったタクシーに乗ったと思います。
私はおばさんの言われた通りに振り返らないでトントコトントコと走って家まで逃げ帰りました。
家についてボーゼンとしていると祖母に何があったのかと聞かれたのでこれまでの事を話しました。
其のおばさんが私に預けた本はもうありません。
住み込みの従業員の人が死んだ父の部屋に在った父の本棚から数冊の本を
古本屋に売りに行って遊興費にして居ました。
祖母が買い戻しに行った時は売れてました。
其の価値が解る人が買ったのでしょう。
大人になってから文化大革命の事を知りました。
その後、伯母と会えたのはたったの2回だけ。
それも国が動かなければ渡航許可が下りませんでした。
割と裕福な環境なので、個人旅行をしようと思えばできるのですが、中国政府から許可が下りません。
日本に来た時は、大量の電化製品を買って帰りました。
お金があってもモノがないそうです。
私たちのお土産は、わざわざ香港に寄って買ってきたくらいです。
中国政府のあり方に疑問を覚えずにはいられません。
中国が早速反論しましたね。
あの自国民大虐殺というか、所謂知識階層、教師学者、文化遺産、歴史遺産をターゲットにした「文化大革命」も
地方からの暴動が天安門にまで起きてきた事による共産党への批判をそらすのが目的だったと言われてますが
虐殺された人数と10年に及ぶ長さを考えると其処までやってしまうと言うのが中国人気質なのでしょう。
現在に反共産党の暴動の意識をそらす目的で反日や南シナ海での侵略に持っていこうとしたら
かなりの戦争状態になり、しかも長引くと思われます。
日本が其れ以前にちゃんと国家として国民を守れる国になっていれば良いのですが・・・。
あす1日出勤したらGWだ!
「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲内」とアメリカ大統領が初めて名言。
当たり前と言えば当たり前なのですが…。