あの頃ハッ!
- カテゴリ:日記
- 2014/04/22 22:53:07
================
1972年9月29日、中華人民共和国の北京で行われた「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)の調印式において、田中角栄、周恩来両首相が署名したことにより成立した。
=========ウィキより
1970年代の中国はどうだったのか。
中国人は自分達のおじいさん、おばあさんに聞いてみるが良い。
==============
大躍進政策(だいやくしんせいさく、繁体字:大躍進、簡体字:大跃进、拼音: dàyuèjìn、英: Great Leap Forward、1958年 - 1960年)は、中華人民共和国が施行した農業・工業の大増産政策である。毛沢東は数年間で経済的にアメリカ合衆国・イギリスを追い越すことを夢見て実施した。結果は推計2,000万人から5,000万人[1]の餓死者を出す大失敗に終わり、毛沢東は国家主席の座を追われた。
============ウィキより
★中国は毛沢東の失策によって飢餓が拡大し、其れは1962年の「7000人大会」で、あの毛沢東が自己批判をしなければならないほどになっていた。
★しかし、更に飢餓は進んで行ったのである。
1966年代には党への批判が相次ぎ、暴動は全国へ広がって行った。
やがて人々の不満の目を逸らす様な意図も含めて「文化大革命」が起きた。
=======
プロレタリア文化大革命(簡体字:无产阶级文化大革命 繁体字:無產階級文化大革命)、通称文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1966年から1977年まで続いた、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動。
==========ーーーウィキより
=========
文化大革命中、各地で大量の殺戮が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれている。またマルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。特にチベットではその影響が大きく、仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりした。
内モンゴル自治区においても権力闘争に起因し多くの幹部・一般人を弾圧、死に追いやった内モンゴル人民党事件が起こったほか、旧貴族階級などの指導階級を徹底的に殺戮した。
毛沢東の1927年に記した
革命は、客を招いてごちそうすることでもなければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そんなにお上品で、おっとりした、みやびやかな、そんなにおだやかで、おとなしく、うやうやしく、つつましく、ひかえ目のものではない。革命は暴動であり、一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動である。
という言葉が『毛主席語録』に掲載され、スローガンとなって、多くの人々が暴力に走った[4]。
==========ウィキより
◎其の中国を救ったのが日本である。
日本は「「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」で両国の基本的な意志を確認すると最初に膨大な資金を「日本国民の税金」から投入すると中国の飢餓を救った。
即ち
==============
なお、当時はまだ戦後30年も経過しておらず、交渉には日中戦争の傷が影を落としていたが、周恩来は「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分断するロジックによって「未来志向」のポリティクスを提唱し、共同声明の成立に邁進した。この論理によれば、抗日民族統一戦線の戦いをどれほど賛美し、日本の軍国主義の侵略をどれほど非難しても、それは日本との外交関係にいささかもネガティヴな影響を及ぼすものではないとされる。この「未来志向」の政治的合意は現在にも引き継がれている[1]。
==============ウィキより
↑の意志のお互いの確認で在った。
其の為に「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」には★ 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
が明記されて居る。
日本から中国へ行った金額は有償・無償の援助を含めて、これまでに約3・7兆円にも及ぶ巨額のものです。
更に日本が中国に戦後置いてきた不動産、資産を入れると計り知れない金額になります。
更になんと中国人留学生にどれだけの金が日本国民の税金から行っているのか知ってますか?
===========
在日中国人留学生の人数(在籍数)は、戦後初めて公式に受け入れを開始した78年の23人から、90年には1万人、00年には3万人、01年には4万人を超え、05年には8万592人と、ついに8万人を突破した(07年は7万1277人)。現在では、外国人留学生全体の6~7割を中国人留学生が占めている。
中国人留学生の大量流入を後押ししたのが、日本政府の資金援助である。さまざまな資料からその総額を試算してみた。
07年度、文科省は日本の国費で賄う外国人留学生(国費留学生)に対して、総額約223億円の奨学金を給付している。加えて、「短期留学生支援制度」に約17億7000万円、「短期留学推進制度」に約5億5000万円、私費留学生に対する「学習奨励金」に約80億8000万円、合計約327億円を外国人留学生の奨学金として支援している。
文科省は、なぜか対象国ごとの支援金額を公表していないが、単純に7掛けで計算して、「年間約230億円」が、日本人の税金から中国人留学生たちに支払われていることになる。さらに、160以上の自治体・独立行政法人による奨学金、国公立大学の入学金免除制度と授業料3割免除制度がある。この他にも、外務省から補助金を受けている日中友好団体からの住宅補助や、経産省が支援する理系中国人留学生だけを対象とした研究開発予算などの中国人留学生関連援助がある。
http://bikuni.blog33.fc2.com/blog-entry-126.html
=========
★しかも未だに日本から年額300億円もの金が日本国民の税金から行っているのです。
日本国民の老人の医療費を上げて、年金の支給額を減らしてです。
其の中国があの「「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」のお互いに確認した意思に反してなんと中国は日中戦争勃発前の船舶賃貸契約をめぐる訴訟で、中国の上海海事法院(裁判所)が商船三井の船舶を差し押えたのです。
日本が国際裁判所への提訴も視野にと言うと
===========
中国外務省の秦剛報道局長は21日の定例会見で「この案件は戦争賠償の問題とは関係ない」と強調。戦争賠償の請求放棄で合意した1972年の日中共同声明に触れ、「声明の原則を守るという中国の立場に変化はない」と述べた。
http://www.asahi.com/articles/ASG4P722NG4PUHBI03S.html
==========
しかし1936年の案件である。
その時代は中華人民共和国政府も無かった時代。
こう言う事をし始めたら此の国は一切信用がおけないと言う事で
全ての海外の企業は撤収をはじめるだろう。
日本も元寇の時代まで遡て謝罪だの保証だのと言い始めたら
世界はどうなるであろうか?
だが、結局は中国はこう言う事を正に目の前でしているのである。