罪と罰Ⅱ【言霊のロンド】2/6
- カテゴリ:自作小説
- 2014/02/23 17:40:56
そして感じたのは、他の者を無造作に透かし見たのとは比べ物にならないほどの情報量と、抱えきれないほどの感情の嵐。
でもそれは全て、私と、お父様に捧げられる愛。カズサ様に向けられる、感謝と信仰がないまぜになった愛。
同時に恐怖も感じた。何に怯えてるの?誰もヤエを傷つけたりしないのに。
けれど、その答えはすぐに見つかった。
ヤエは、〝まだ〟お父様を愛し続けてる。私もろとも、カズサ様も。だから、それが誰かに奪われるのが嫌なのね。私と一緒。けど、此処にはどれを奪う者も居ないわ。カズサ様が私たち二人のことだけ見てくれるなんて有り得ないのは、ヤエだって良く解ってるでしょう?
少女はそうして更に潜り込んだ。心の奥底まで。
これは小さい頃の記憶ね。私の肩についた毛虫、ヤエが泣きながら取ってくれたの。ヤエってば男の子なのに、虫が嫌いなのね。
少女は思い出し笑いした。他にも、他にも、楽しい思い出がたくさん。
悲しいことなんて何一つ無かった。だって、転んで涙が出たって、ヤエが居てくれた。ヤエが怪我をすれば、私が寄り添った。悲しい夜は一緒に寝た。もしもザクロが居なくなっちゃったらって思ったら、凄く悲しくなったんだ、ってヤエは良く言って泣いてた。
だから私は、そんなことないわ、ずっと一緒よ。死んでも一緒よ、って言うの。
ヤエは笑ったわ。私を抱きしめてくれた。温もりと感じられる鼓動が愛おしかった。
幸せだった。あの頃が一番。でも、今も幸せよね?
え?私が昨日はあんまり話してくれなかったから寂しいって?ああ、ごめんねヤエ。カズサ様に呼ばれてたの。今日は一緒に寝ましょう?
そうして少年の心を覗いているうち、少女は気づいてしまった。自分たちは、兄弟であるということ以上に――心の奥底で繋がっているということに。
けれどそれがわかった少女は嬉しくて嬉しくて堪らなかった。これで、この印さえあれば、いつだってヤエと一緒に居られる。感じられるのは此方側一方通行だけれど、それで十分だった。少年の何もかも読み取れる、それはある種の愉悦にも感じられて。
だが、深く深く潜っていくうち、少女は見つけてしまう。
心の奥底、愛と愛が交じり合う白濁の向こう側に、何かある。
ドス黒くくすんだ、明らかに兄妹の持っているものとは違う、別の感情が。
少女の神の視点さえ遠ざける、果てしない闇を封じた鋼の扉が。
それは荊棘に覆われ、触れようとすると指先に鋭い痛みを感じた。意識がまるごと押し戻される感覚に襲われる。
少女は顔をしかめた。どうして?いえ、そもそもこれは何?何故私たちの心に巣食っているの?どうして私たちの心にありながら、私たちを拒むの?
____許さない 私たちを引き裂くつもり?
『〝ミせろ〟』
少女は呟く。低く、飢えた獣のような声で。見開いた両目、その紫の瞳孔を彩る真紅が、禍々しく煌めいた。
少女から発せられる膨大な力はもはや恐れるものを知らなかった。脈打つ波動となり空中を伝われば、痺れを伴うそれは要塞内に拡散した。
本を開いたままの指先に力を入れれば、荊棘は一瞬にして燃え尽き灰になる。
鋼の扉に手を伸ばすイメージを描く。途端に扉は、あれほど拒んでいた少女の心をすんなり受け入れた。聴こえた耳障りな音は、誰かの悲鳴だったような気がした。
*
扉から溢れ出したのは、ミルク色の奔流。誰かの記憶。
少女の意識は逆に呑み込まれ、いつの間にか、そこは。
あの、八重桜の前だった。
「…………お、父……様……、?」
――まただ。
父が、居た。八重桜の下で、一心に願いを捧げる、男が一人。
泣きじゃくる言葉の端々に響くのは、父が愛してやまない妻の名前だった。
何故、父の求める人が妻か解ったのは。この記憶が、父のものだとようやく理解したかただった。
3年前、父に捨てられた日に見た夢を思い出す。丸きり同じなこの光景で、唯一違っていたのは、今目の前にある八重桜が枯れていること。
あんなにも美しく咲き誇っていた八重桜は、見るも無残に枯れていた。
少女は動けないでいた。近くて遠い父親との距離を、詰めることが出来なかった。脚に根が生えたように動けなかった。
父は、私たちに妻の記憶が戻ってくるように願っていた。
父が私たちを捨てる前に日に、言っていた言葉を思い出した。
――〝**/ヤエ〟って言ったの。そういう、ことなんでしょう?お父様。
父の悲しみが、痛いほどに伝わってくる。小さな胸を締めつけ、絞り切るように。
でも、少女には見ていることしか出来なかった。父親だった男の慟哭を。
どんな印を結ぼうが意味がない。魂だけは、どんな治癒の印にだって呼び戻せない。
だが、やがて男は端と静まる。ザァァ、と冷たく髪と頬と打つ風が止まぬうちに、男は八重桜に手を伸ばす。
何かに取り憑かれたかのように血走った目。恍惚に彩られた口元が笑みに歪む。
やがて、一つの単語が吐き出される。
それは、禁断の能力に目覚めた瞬間。授けられた力を、解放した瞬間。
あってはならぬ禁忌が、覚醒してしまった瞬間。
「 ―――― 輪 廻 転 生 」
少女は息を忘れた。瞬きを忘れた。
直後。
桜が咲いた。
枯れ果てた八重桜が、再びその逞しい枝を伸ばし、可憐に花咲かせた。
忘れていた時を遡り、再び蘇った。
転生した。
広場が眩い光に包まれる。
少女は堪らず目を覆った。
強い風が吹き、徐々に弱まる光に少女は薄く目を開けた。桜の花弁が視界を埋め尽くすほどに舞い散る。
八重桜の下。舞い落ちる花弁のシャワーの中。男は再び涙を流した。
そこには、頭を垂れて眠る、二人の子供が座っていた。
「 」
―――― ヤエ ザクラ
男は名付けた。ヤエには妻の名を。ザクラには、産まれるはずだった子供の名を。
少女の意識は、そこで途絶えた。
*
「――――ッはぁ」
目を覚ますと同時に跳ね起きた。そこは倉庫とは名ばかりの図書室で、私は本に突っ伏したままいつの間にか眠っていたらしい。
でも、息が苦しかった。心臓が凄い速さで脈打っていた。
今見たものは、幻なんかじゃない。悲しいくらいに、憎らしいほどに真実でしか無かった。
ステンドグラスから差し込む光は、自分にはただ眩しいだけの白い西日――既に夕焼けで。
瞬きして頬を伝ったのは、生温い液体だった。