たまには
- カテゴリ:日記
- 2014/02/17 20:03:36
悩ましいことが多いのであまり深く考えないのだけれど、たまにはコーヒーを飲みながらつくづく考えてみたりもする。
自分が今生きている意味、とか。いや、たぶん意味などは無い。子孫を残し、自分の遺伝子をあちこちにばら撒こうというのは、生物としての必然なのだろう。そこに『自分の』という一言が入ると、わからなくなる。
ただ、命というものを考えると、私の頭の中には大きな木のようなものが浮かぶ。私ははじっこの細い枝の先。枝分かれしているところをさかのぼるようにたどれば、私の親、祖父母、さらにその親、とどこまでもさかのぼって、なん世代になるのか、木の根元にたどりつく。
その根元に当たるのが、アフリカの海岸をとぼとぼ歩いていたサル顔の女なのか、それとも、たった一つの細胞なのかわからないけど。
すごいなぁと思うのは、その途中でとにかく命が受け継がれてきたんだということ。どの祖先も、繁殖が可能な年齢までは生きて、子供を作ったということ。
中には、子供と引き換えに自分の命を失った女もいるだろう、戦に出て、自分に子供がいることも知らずに死んだ男もいるだろう。
好きでもない男の子供を産んだり、身を売って父親のわからない子供をうんだ女もいるだろう。跡継ぎを作れと言われて、好きでもない女と添った男もいるのだろう。
その途中で誰か一人でも欠けたら、私はここに存在しないのだ。そう思うと、気が遠くなるようだなぁ。
雪うさぎさん、時の海に漂ってますね^v^