☧:いのること しゅうちゅうすること
- カテゴリ:勉強
- 2013/10/25 23:19:56
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As Jesus and the disciples continued on their way to Jerusalem,
they came to a certain village where a woman named Martha
welcomed him into her home.
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。
するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
Her sister, Mary, sat at the Lord’s feet, listening to what he taught.
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
But Martha was distracted by the big dinner she was preparing.
ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、
She came to Jesus and said,
“Lord, doesn’t it seem unfair to you that my sister just sits here while I do all the work? Tell her to come and help me.”
イエスのところにきて言った、
「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、
なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
But the Lord said to her,
“My dear Martha, you are worried and upset over all these details!
主は答えて言われた、
「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
There is only one thing worth being concerned about. Mary has discovered it, and it will not be taken away from her.”
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。
マリヤはその良い方を選んだのだ。
そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
聖書バージョン: JA1955
英語聖書バージョン : NLT
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あ、これはまたお勉強になる解析ですね。
素晴らしい知恵を見せて下さって感謝します。
僕も4Bさんの意見が正しいと思います。はい、常識的にですね。
詳しい解析は✜茉莉香✜のコメントが完璧だと思いますのでご参考にどうぞ。^^
僕もマルタと同じ考えです。w
多くの女性はマルタの味方になると思います。
これはマリヤとマルタのどちらが良い悪いを言ったことでないと考えます。
この時代、女性は男性と共に学ぶことを許されていませんでした。
しかしイエス様は男性の中に入ってマリヤが直接、イエス様から学ぶことをお赦しになっていたとわかる
すばらしい箇所です。
マリヤがイエス様の話を聞きたいという強い意志を誰も妨げてはいけないということでしょう。
マルタはイエス様の言う意味をきちんと理解したと思います。
マルタもそう望めばマリヤのように座って話を聞いてもよかった。
でもマルタは自分の賜物をもてなす賜物として用いることを選んだのだと思います。
すごく忙しいと誰でもマルタのように焦ってしまいます。
それをイエス様は注意してくれただけのこと。
焦った心ではよい「おもてなし」はできませんから。
マルタとマリヤ
どちらも素晴らしい私の憧れの女性です^^
自己中心的な考えに陥りやすいのは確かです。
でも、忙しそうにしている人や助けが必要としている人が目の前にいるのに
手伝わないのはどうかと思うのは私だけ?
ここで記載されているマリヤの良い方とは、信仰心的なものなのでしょうか?
主の足もとにすわって、御言に聞き入ることが悪いとは言いません。
ただ、御言を聞き入ることが出来るのも、マルタが接待してくれている
おかげだと思いますが・・・
感謝の心があれば、マルタも"心とりみだす”こともなかったような気がします。