自分に気づく心理学 加藤諦三 著を読んで。
- カテゴリ:日記
- 2013/10/14 10:32:40
自分の心の中のさまざまな状態に気づかないと積極的な感情は育たない。信頼、親しさ、情熱、喜び、魅力などさまざまな人生の良いものは、実際の自分から眼をそむけると同時に逃げて行く。
p222ページの後ろから4行目~。
ボクは「世界も自分さえも拒絶する」ルキフグスという悪魔が好きである。何故ならそれこそが自分であるから。
実際の自分がそうであるから自分は「物(存在)を大切にする」のが下手な自分を納得できた。
つい最近の旅行でもそうであった。一番最初に旅行のしおりをもらって・・・同じ時間と場所にいたにも関わらず、ボクの旅行のしおりはボロボロな姿に変わり果て・・・となりの人の旅行のしおりはまるで今、もらったかのように綺麗であった。
「学びたい」と、心から思った。
「物(存在)を大切にする」という事を学びたいと。
「すべての物(存在)を無視してしまう」自分はなかなかそれができなくて当たり前だ。
今まで関心の「か」の字も無かったのだから。
そう、それがボクの本性なのだから。
今までは「フリ」をしていただけだ。
関心がある「フリ」をしていただけに過ぎない。
それでは本当の関心を持つ、という事が分からない。
実際の自分に気づき、そこから一緒に歩く。
自分さえも拒絶してしまう悲しい悪魔ルキフグスと一緒にボクは歩いて行く。
そこからしか始まらない。
そこからじゃないと、「信頼、親しさ、情熱、喜び、魅力などさまざまな人生の良いものは、」と、加藤諦三さんが言われているモノに出会えない。
世界も自分さえも拒絶する悪魔ルキフグスと一緒にボクは歩く。
自分の本性と共に歩き、人生の良いもの。
信頼、親しさ、情熱、喜び、魅力を味わいたい。
そのうちの一つ。信頼はすでに手に入れている。
世界も自分さえも拒絶する自分と歩くと決めた時こそが
魂の卒業であり、第二の人生の始まりであった。
生きる事が辛かったわけだ。
世界も自分さえも拒絶する自分を「隠す」ためにエネルギーを使用していたのだから。
だが、間違い無く、そういう心になってしまった自分を今では恥じていない。
母に経済的に依存した事、その事で毎日母と喧嘩した事・・・旅行先でその記憶がよみがえった。
しかしながら・・・母もまた身を切る思いで・・・ボクを経済的に助けてくれていた事もわかり、また身を切る思いで、ボクと喧嘩していた事も理解できた。
相手の立場に立てたのは「世界も自分さえも拒絶する自分」悪魔ルキフグスを認める事ができたからだろう。
その自分と一緒に歩く覚悟をしたからこそ
過去の出来事の別の側面に心をかよわせる事ができた。
不思議だ、不思議だ。
実際の自分を愛する事はこんなにも不思議だ。
今、ここ。
ボクたちに生まれてきた理由があるとすれば・・・
どこかに置き忘れてしまった「実際の自分」
自分の本性と手をつないでください。
「実際の自分」こそが・・・あなたの魂の姿です。
あなたは死んだらその自分になるのです。
肉体を失えば、「実際の自分」になるのです。
だから・・・「実際の自分」と歩く事はあなたの「魂の喜び」を感じる事につながる。
信じなくてもいいです。
それはボクの死生観。
「実際の自分」と手をつなぐ決意が本気であるならば・・・あなたは宇宙の最高の宝に巡り合う。
あい
あの加藤諦三さんも、そんなこと、考えておられたのね。
ちょっと安心しますね。