まずそうなお弁当
- カテゴリ:スポーツ
- 2013/10/10 00:54:20
お題はスポーツ(^_^;)
ほんじゃ、スポーツできなかったころの話などw
アル中の亡父とのことはいろいろありますが、こういうこともあったな~~~と、思い出しています。
小学1年のとき大病をしまして、学校は行っていませんでした。小学校前の外科医院に入院していました。
入学して1か月もたたないうちに、腹膜炎を発病し、それが大変なことになって、大学病院に搬送してる時間がない、ここで手術しないと間に合わない、ということで、小さな医院で手術、入院していたのです。
いまは完全看護、なんてことになりましたが、昔は病人につきそいが必要でした。
また私は6歳になる前で、母親のつきそいが絶対必要。
幸い、兄弟もいなかったし、母は私のベッドの横に、パイプベッドをおいて寝起きしていました。
私以外に入院患者はいなくて、きっと私のごはんは、院長の奥さんか看護婦さんあたりが作っていてくれたんじゃないかと思います。
思えば、のどかな時代だったな~~
つきそいの母の食事は、当然病院は出してくれません。
いまみたいにコンビニがあるわけではないし、母も途方に暮れていたと思います。
その医院は、団地の自宅から駅の間にあります。
そこで父が、私を見舞いがてら、毎日母の朝食と昼食を作って、朝、寄ってくれました。
朝の出勤前ですから、病院は開いていません。
平屋の小さな医院なので、私の病室は道に面した1階の部屋でした。
7時前くらいに、窓がコツコツと叩かれ、母が窓をあけると、父が窓辺にたっていました。
朝食と昼食、ふたつの包みを母に渡し、私に手を振って会社に出かけていきました。
入院生活は半年くらいになりましたので、ほとんど毎日、来てくれていたと思います。
朝食はたいてい、真っ黒に海苔をまいた爆弾おにぎり!と、バナナが1本。
昼食はお弁当箱に詰められていましたが、6歳の私が見ても、まずそうなお弁当でした。
私は患者食が出ていたので、お子様ランチ風のいつも楽しい献立だったんです。
まずそうなお弁当を、母は毎日父に感謝して食べていました。
そして母は夕方になると一時自宅に戻って、夕食やおふろを父のために整えていたようです。
息子を一人暮らしに出して、3か月になります。
息子にも家族のために、お弁当くらい作れるようになってほしいと思っています。
うちは、母が私が5歳くらいの時に病気で入院し。。
母の入院中、父が男で1つで、洗濯と朝食等を作ってくれてたの思い出した^^
いつも、卵かけご飯だったけどwwおかげで?今も好きなのよ^^
家族愛を感じます。
お母様に聞いてみれば?おいしかった?って。
そんなエピソード一個もないなあ。
うちのお父ちゃんは口だけ番長ですた。いや現在進行形でそうだ(笑)
幼心にきちんと大切な物を見る目を養われた
いい思い出・お話ですね^^
息子さんにもきっと引き継がれていると思います、きっと。
いや、もちろん作ろうと思えば作れますが短時間で色々なおかずを作って箱に詰めるのが無理です。
料理はできますが基本的に一品料理しか作らないですからね。
お母さんにはごちそうだったんでしょうね
でもそれがお父さんとの忘れがたい思い出なんですね~
息子さんはまだまだこれから。。。
もっともっと苦労しないとね~ww
両親に感謝ですね。
親の恩に、報いるには、次世代の担い手になる若者を、荒波の社会へ送り出し、
そこで、沈没しても、這い上がる生命力を、教えることですね。^^
うちも妹が交通事故に遭って入院してた事があったけど、
あの当時は母方の祖母が健在だったから、食事の心配はなかったな~
うちは父の実家が旅館だったから、父がおかずを貰って来る事もあったしw
まあ、父も魚を三枚におろすのは得意だったっけw
家族って良いですね~♪
今お元気で何よりです♪
その心遣いがお母様も嬉しかったんでしょうね。
息子さん何もしてくれませんか?いずれはきっと、そういう日が来ますよ^^
・・・と勝手に妄想してホロりとしていました。
家事は一通りできた方が良いです(((uдu*)ゥンゥン
自分のためであり、家族のためですもの。