秋きぬと… 山椒がプルースト的に私を連れ去る
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- 2013/08/22 23:41:00
またとても暑い夏だった。
けれども、わたしは夏がきらいじゃない。
すごしにくいし、たおれそうになるけれど、
太陽がいちばん近い季節だと、たとえば思う。
ひざしの、じりじりと肌をさす感触に
太陽のちかさを思うのだ。
入道雲、かなしげなヒグラシの声、
太陽のようなヒマワリの花、
昼にはしぼんでしまう、色とりどりの朝顔の花、
朝晩みずやりをしないと、
へたってしまう鉢植えの植物たち。
きょう、日中は、近所の外回りの仕事をしてた。
汗だくだ、ひざしもきつい。
鎖骨のあたりから玉のような汗がふきだして
いるのが、めずらしかった。
けれども、午後3時頃、太陽のかたむきが
早いと思った。七月よりも。
そして、ときおり、ふく風に、わずかに涼しさをかんじた。
秋きぬと目にはさやかにみえねども風の音にぞおどろかれぬる
そう、この時期になると、いつも古今和歌集のこの歌をおもいだす、
まさに、そんな風を、かんじたのだった。
まいとしのように感じて、そこに想い出たちがかさなって
じゅずつなぎに、わたしをつくりあげているようでもあって。
どこかの家の庭先で、山椒の葉の香りがした。
山椒の葉の匂いをかいたとき、アゲハの幼虫を育てた小学生の頃のことを思い出した。
山椒の葉を、芋虫のえさにしたから。
虫籠のなかにいれてやる。そのうちさなぎになり、アゲハになる。
蝶になったら、にがしてやる。
そんな行為たちを、そして父を思い出す。
庭で植物をそだてていた父の姿。
プルーストの紅茶にひたしたマドレーヌ。
思いがけず、わたしは時間をさかのぼったのだった。