送り火に火をつけて。
- カテゴリ:人生
- 2013/07/16 21:53:54
16日の陽が落ちて、
送り火を焚かなくてはいけないのだけど、
まあ、もう少しごゆっくり…
これはスイカね、これ桜桃。
もらった桃もお供えしちゃう。
お盆に定番の素麺を茹でて、
ちょっと生臭物かもしれないけど、
季節がてら、ホヤ酢なんかもいいでしょ。
とはいえ、
ま、しかたない、
名残惜しいけど、
一度お帰りなさいな。
来年、
また来ればいいし、
私も、もうそろそろ生きているのが面倒くさくなってきたから、
私がそっちに行ってもいいよ。
そう思いながら、
苧殻を折り、
山を作るように積み上げて、火を点せば…
ううう~、煙い。
煙が眼にしみる。
でも、涙ぐんでいる理由はそれだけではない。
そうは言っても、お迎えする私もいずれいなくなるわけですし、
お盆は私にとって何かのお役目というより、
私自身の慰めにすぎないのです。
仮に輪廻があるとしても、
人間ばかりが人間に生まれ変わっては不公平ですから、
私は次はミミズでもオケラでもいいです。
生きているだけで十分悪業を積んでいますから。
安寿さんがいなければ、お精霊さまをお迎えしたりお見送りする人がいなくなってしまいます。
立派にお役目を果たされているのですから、ご先祖の皆々さま、
きっと現世を十分に楽しまれて戻られたと思います。
人はよほど悪徳・悪業を積まない限り、来世でも人に生まれ変わると聞きました。
逆はあるのですけどね。例えば徳を積んだ犬が人に生まれ変わる。でもかなり稀だそうで。
来世は現世の行いで決まります。
今が良ければ先もよし。また逆も真なり。
苦難から逃げても、また同じタイプの苦難に遭遇するそうですね。
生きるというのは業にも似た・・試練のような・・ものだそうです。