ドラマ【八重の桜】
- カテゴリ:テレビ
- 2013/07/08 15:20:11
【感想】会津の攻城戦の真っ只中。次々とおなじみだった面々が消えていきますね。公式サイトの登場人物紹介のページで、故人の写真が1つまた1つと色を失っていくのを見ると、次回は誰が消えるのか暗鬱な気持ちになります。金田一少年の事件簿の登場人物紹介がこんな感じでしたよね…。「自慢の娘」というサブタイからして、次に消えるのはあの人かな、と思いますが、それだけじゃないかもしれないですしね。今回死んだ中野竹子の実際の最期は、頭に銃弾を受け、敵に首を取られるよりはと、妹の優子が介錯したようです。テレビでは下腹に銃弾を受けてましたが、あれだと痛みで気絶するくらいで、即死はしないでしょう。恐らく額に銃弾という女としては悲惨なシーンを再現したくなかったんだろうと思います。また、修理の妻・雪子の最期の詳細はわかっていません。竹子たちと一緒にいたことは確かなようです。ドラマでは描かれませんでしたが、この頃新政府軍は女と見れば強姦していたようで、彼女たちも決死の覚悟だったのでしょう。女には理解ができないことですが、殿方というものはああいう極限の場においても、そういう生理が働くものなんでしょうかね。ましてや、事に及んだ後相手を殺すとか、死体を相手にするなどのおぞましい行為が、何故できたのか不思議でなりません。精神構造が違うのでしょうか。一方、今回の一番の見所だった彼岸獅子を装い敵陣を突破しての堂々たる入城。立役者はもちろん山川大蔵です。このドラマでは、大蔵と八重は幼なじみで、大蔵が八重に淡い恋心を抱いていたという設定のようですね。この頃大蔵はなんと23歳。23歳でこの奇策を弄し、一平たりともその命を失わせなかったのはまさに快挙です。しかも、序盤で別の村の彼岸獅子同士が争った時のエピソードが、ここへの長い伏線となっていたのは驚きです。実際、彼岸獅子をやっていた人々が加勢し、中には少年もいたと言うので、今回はかなり史実を忠実に映像化していたことになりますね。大蔵が知将と言われたのに対し、猛将と言われたのが佐川官兵衛です。私はこういう、とにかく大声を出して他人に言うことを聞かせる人間が大嫌いです。鬼のような顔をして怒鳴りつけられるのですから、もし言うことを聞かなければ何をされるかわからないという恐怖によって人を支配する。暴力と何ら変わりません。暗君容保が彼の言うことに流されてしまったのも仕方ないかなとも思いますね。大体容保は今までの言動を見ても、自分というものがない。春嶽に言いくるめられ京都守護職になり、孝明天皇に傾倒したり、慶喜にそそのかされたりして守護職を続け、今は強硬派の家臣に乗せられ会津を滅亡に導こうとしている。すべてが受動的であり、能動的な言動をしたことがないんですよ。この点からしても、暗君と言わざるを得ませんね。会津の中で会津の立場がしっかり見えていたのは頼母だけですね。頼母だって、臆病で降伏しろと言っていたわけではありません。自分は腹を切るつもりでいたし、長男はまだ存命していましたが、妻を初め他の家族は全員自刃済。命を賭して、彼なりに会津を守ろうとしていたのに。恐らく彼らの言う「会津」のニュアンスがかなり違うんだと思います。官兵衛が言う会津は、祖先から受け継がれてきたお家とか、誇りとか、武士道とか、なんかそんなわけのわからないふにゃふにゃしたもの。方や頼母の言う会津とは、実際にそこに住んでいる住人や土地のこと。どっちが腑抜けだって話です。いつ、いかなる時でも、生き続けることこそ難しく、死ぬことは簡単なのです。いくら猛将とはいえ、安直に死を選んでしまえば腑抜けと言われても仕方ない。死を選ぶことを褒め称えてしまう日本の間違った価値観が、この後80年近く、日本をおかしな方向に動かし続けることになってしまうのです。