兄と妹 余談
- カテゴリ:小説/詩
- 2013/07/05 22:06:53
余談
殺す事を許してくれた妹がいたから…闇をくぐり抜けて光を見た。
光を見たら…自分は光の世界から落ちようが無い事に気づいた。
悪を許す。
自分の中でこれだけはどうしても許せない悪の先に光はある。
それが無償の愛である。
光である。
幼い時に親からこれを受け取る事のできた人は億の財宝をもらった事よりも素晴らしい。
無償の愛をもらった人は…自然と「死」を愛せる。
もらうには…いただくには…無償の愛をマネてみることである。
マネて初めて…自分の闇が見える。
そんな事は決してできないのが…このリルル・ガランドであったのだ。
リルル・ガランドは過去に何度も挑戦し、いずれも敗れたのだ。
そこに光がある。
光は一度出会うと消えない。
死ぬまで消えない。死んでも消えない。
無償の愛を為すことのできない自分と、一緒に必ず、平和なる場所へ行く事がわかる。
それは約束されるとか、そういう事ではない。
わかるのである。
そのための道は無償の愛をマネる事なのだ。
無償の愛…コメントをして「コメントを返してもらう」という見返りさえ求めない。
メールをして「メールを返してもらうという行為」さえ求めない。だが、愛情飢餓者は別である。
愛情飢餓者ならば…ボクならば…ボク自身に無条件にやさしくするのである。
ボクは誰にも頼れない。誰も理解してくれない。という…どうしようも無い自分から理解する事を務めた。
その理解を助けてくれたのが、キリスト教であり、浄土真宗なのだ。
無償の愛について宗教ほど、わかりやすく書かれた本は無い。
だが、それはボクの無償の愛のマネの仕方であり、あなたのマネの仕方では無いと思う。
あなたがどう無償の愛をマネるか、それはボクにはわからない。
だが、無償の愛を他人なり、自分なりに…注ぐマネをしていくと。
必ず本当の無償の愛に出会うのだ。
そうボクは体験した。
だが、出会っても苦しみが無くなるわけではない。
何かが大きく変わるわけでもない。
ただ死を愛せるようになる。
つらくても生きようと思えるようになる。
生きる理由がわかる。
こんなつらい人生にどんな意味があるのかわかる。
それが一番不思議なことだ。
あい
記事、ありがとう。
リルル・ガラントさん、
読ませてくれて、ありがとう。
コメント書いてたら、長くなりすぎました。
コピペして、記事にします。