Nicotto Town


グイ・ネクストの日記帳


ジャンヌ・ラピュセル10


 戦場に向かう馬車の中で、流れる草原を見ながら、ジャネットはほほ笑む。
 (ニュクス様…あなた様の手記をいただきました。こんなに嬉しいことはありません)と、そこで茶色の手提げカバンから黒い日記帳
を取り出して、膝の上に置き、目をつぶり、胸で十字を切ってから日記帳をめくった。
最初のページには
「この手帳は私の落書きである。私の心を整理するために私はここにペンを手に取り、文章をつづる」

 そんな他愛の無い言葉が書かれていた。それを読んで少しほほ笑み、日記帳を抱きしめてしまうジャネットであった。
手提げカバンに日記帳を仕舞い込み、自分が着ている銀のイブニングドレスを確かめる。
ほんの少し前までエプロン姿でずっといた自分がどこか遠い世界のようだ。
ニュクス様に救われてから「しあわせ」な結果ばかり・・・。
私はそんな結果を手に入れることのできる人間ではなかったはず。それなのにどうしてこうなったのかしら。
それとも私の人生はマリア・ウクライナに出会った時から変化していたのかしら。
あの頃の私は、私は寂しい自分を許せないでいた。心が弱いと他人に知られるから…。だからいつも強がっていなければいけなかった。

泣けば弱みを握られる。隙を見せれば奪われる。そんな毎日しかやってこないと信じていた。
食べ物に困っていたあの日も…レンガを片手に持ち、ご馳走を持って帰る修道女マリアを襲った。
「寄こせ!」…大声で言ったつもりだったが、向こうは笑顔で聞き返してきた。
「こんにちは、よくお越しくださいました。何かご用でしょうか?」と、金髪の修道女マリア・ウクライナは言う。
「…調子の狂う奴だ。お前の持っているその食べ物を寄こせと言っている!」と、私は相手を睨む目を強めた。
「まあ、マリアの大好物…あなたも大好きなのね。あなたに出会う事もニュクス様のお導き。ほんと、出会えて嬉しいわ」
マリアは私を抱きしめてきた。食べ物を持ったまま。
マリアは笑顔で私に果実をくれた。私はレンガを捨てて、果実をもらい、かじった。
「…」私は何故か泣き出していた。(夢だ。これは夢だ。私の世界はいつもそう、殺伐としていて…やさしさなんてかけらも無い世界だ
ったはずなのに)そう戸惑いながらも横で上機嫌なマリアは鼻歌を歌っていた。
「なあ、ニュクス様って誰だ?」と、私は聞いた。
「あなたをお救いになる唯一のお方よ…マリアも助けられたの。想像することのできないお力で、消える事の無いしあわせを与えてくだ
さる王の中の王…唯一の所持者。宇宙の主。闇の支配者にして神の代理。そんな方がいるってわかる?」
「…どうすれば会える?」と、私は聞いた。
「そうねぇ…マリアと一日遊んでくれる?食べ物ならいくらでもあげるから」
「そうすれば会えるのか?」
「うん」と、マリアは頷く。
「わかった…遊ぼう。何をして遊ぶ?」
「その前にカツラを取ってもいいかな?」
「カツラ?」
「うん。今のこの髪の毛…私の毛じゃないの。マリア、髪全部抜けちゃったから…」と、言って彼女は金の髪を取った。
髪は無かった。そして彼女が決して元気な人間でも無いという事に私はやっと気づけた。
「お前…やっぱり変わった奴だ。でも面白い」と、私はつぶやく。
「…えへへ。あはは。そう、マリアって面白い?すごい事聞いちゃった。嬉しいな」
「それで何をして遊ぶ?」
「お手てつないで」と、マリアは初めて泣きそうな顔になる。
「手を?ああ。かまわない」と、私は手をつないだ。
「わあ、嬉しい。嬉しいなーーー。すごい、すごい。ニュクス様、ちゃんとお願い聞いてくれた。すごいすごい」
「私と手をつなぐことをお願いしたのか?」
「そうよ。マリアはね。同じ背格好の女の子と一緒に手をつないで歩かせてください。ってお願いしたの」
「恥ずかしい奴」と、私はマリアから視線を外して前を向いた。
「ああ、そういえば大切な事を聞き忘れていた。マリア、おちょっこちょいだね」
「何だ?」
「あなたの名前はなんて言いますか?」
「私の名前は…ジャネット・ヴァスカ・ダルク。元貴族だ」
「まあ、すごい。じゃあ、マリア、ジャネットと呼べばいいかな?それともヴァスカ・ダルク?」
「ジャネットでかまわない」
「嬉しい!ありがと、ジャネット」
 私とマリアは手をつないだまま噴水を見て回ったり、飛び去る鳩を見たり、夕暮れの教会の鐘を一緒に聞いたりした。
「ねえ、ジャネット。今日はここに泊まって行ってよ。お願い」と、マリアにお願いされて…私は仕方なく泊まることにして、マリアの
部屋に案内された。
マリアはベッドに倒れるように…いや、倒れた。「おい、マリア」と、私は叫び、マリアの手を握る。
「あはは。マリアね。もう長くないの…だから見舞金を貰って大好きな果実をたくさん買ったの。友達欲しいなって思ってるところに…
ジャネットが果実を奪いに来てくれた。嬉しかった。願いが叶ったと、思った。ニュクス様は宇宙の主。最後の最後に私の望むモノを与えてくださったと。ジャネット…私にはジャネットこそが、ニュクス様に見えましたわ」
「マリア!馬鹿を言うな!馬鹿を言うな…何を言っているんだ!私は何もしていない。何もしていないんだ」
「ううん、マリアのほんとの姿を見ても逃げずに「面白い奴」って言ってくれた。手を握ってくれた。マリアの行きたい所についてきて
くれた。マリアはしあわせモノです。その上、ジャネット…マリアのために泣いてくれている。こんなに嬉しいことはないわ」

「これはあれだ!目にゴミが入って…。違う!いなくなるな!マリア!」
「ジャネット、マリアの友達。マリアはジャネットにこの部屋を譲ります」マリアの手がするりと落ちた。

何だこれは!?彼女は私に食べ物と寝泊りのできる部屋を譲るために現れたとでも言うのか!?
世界を恨む事しかしてこなかった、この極悪人のために。
うわぁああああああ
声をあげた。マリアの部屋に次々と人が集まってきた。その後、私はマリアー、マリアーと叫び続けていたらしい。
マリアの死体を埋める時も、離れようとせずに引き離すのが大変だったとも聞いた。
私はマリアの命と引き換えに暮らせる場所と食事を手に入れた。
私はマリアの友達になっただけなのに。
それも「ニュクス様」に会いたくて。
………ちゃんと会えた。
こんな私をマリアという名のニュクス様は救ってくださった。
それも友達になっただけで。それも大好きな果実を奪おうとしていたのに。
ありえない。と、考えた。
ありえない…そんな愛は人間には無理だ。
だが…マリアは言っていた。人間では想像もできないお力で消えることの無いしあわせをお与えになると…。
想像もできなかったわ、マリア。
私はマリアの死からほんの少し言葉使いが変わったわ。うん。ほんの少し。

「ただ一人の聖女よ…そろそろ戦場に着くが、準備はいいのか?」と、ハーメル公爵は髭をさわりながら聞いてきた。




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.