オウムと中国の関係その1
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- 2013/05/29 01:05:34
ウィキより
『
1994年2月22日より、麻原彰晃一行は中国を訪問した。この旅行には、村井秀夫、新実智光、井上嘉浩、早川紀代秀、遠藤誠一、中川智正らの教団幹部が同行した。麻原は明の太祖朱元璋の生まれ変わりを自称しており、南京(朱元璋時代の明の首都)の孝陵(朱元璋の陵墓)などの縁の地を巡った。旅の途中、麻原は「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早くポア(殺害)しなければならない」と説法し、日本国を武力で打倒して「オウム国家」を建設し、更には世界征服をも念頭に置いている旨を明らかにした。
帰国後の2月27日には、都内のホテルで「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリンを東京に70トンぶちまくしかない」と話した。
「11月戦争」 [編集]
1995年3月の警察による強制捜査により頓挫することになったが、教団は同年11月に「11月戦争」と呼ばれる「無差別大量殺戮計画」を企てていたことが明らかになった。
「11月戦争」計画によると、1995年11月の国会開院式に乗じて、教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布、天皇・閣僚・国会議員を含む東京都民を大量殺戮する。教団のヘリは、その後短期間のうちに全国を飛び回り、日本各地の主要都市にもサリンを散布する。そして日本の混乱に乗じて、国家機能が消滅した首都圏を自動小銃や爆発物で武装した白い愛の戦士たちが制圧し、新政府を樹立する。新政府は日本国の意思として米・露・朝の各軍隊による核戦争を誘発させる。その間、教団はサティアンに造られた屋内退避シェルターに篭り、核戦争終結後に日本を統治するというものであった。
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