Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


土方歳三と葛飾北斎


尊敬する人物で、まっさきに連想するのが
土方歳三。

ぶれない生き方に、小学生のころから憧れている。


今なら葛飾北斎だろうか。
有名な冨嶽36景は、70歳をすぎてからの作品だ。
今でもかなり高齢だが、当時は今の8掛けの年齢だから
今の年齢でいうと、95歳をすぎてからの作品ということになる。

 亡くなったのは90歳(1849年)だ。大往生といっていいだろう。けれども。
 
「 嘉永2年4月18日、北斎は卒寿(90歳)にて臨終を迎えた。そのときの様子は次のように書き残されている。

 翁 死に臨み大息し 天我をして十年の命を長らわしめば といい 暫くして更に言いて曰く
天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし と言吃りて死す
 
 これは、「死を目前にした(北斎)翁は大きく息をして『天があと10年の間、命長らえ ることを私に許されたなら』と言い、しばらくしてさらに、『天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たで あろう』と言いどもって死んだ」との意味である。」(Wikipedia「葛飾北斎」より)

 わたしは死を前にしてのこの言葉に、頭をたれつつ、感動してならない。もともと北斎は、その十五年前、七五歳の時に書いた絵本『冨嶽百景』(富嶽36景で、冨士を描きたりなかったので、発行した)の跋文で、こんなことを書いている。

「己 六才より物の形状を写の癖ありて 半百の此より数々画図を顕すといえども 七十年前画く所は実に取るに足るものなし
 七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
 故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶(なお)其(その)奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん
 願わくは長寿の君子 予言の妄ならざるを見たまふべし
「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりであ る。(そのような私であるが)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上 達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように 生きたものとなろう。長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。」」(同上、Wikipedia 「葛飾北斎」より) 

 この姿勢に、探求に、心底力をもらう。わたしもそういえるようになりたいと思う。
ずっと言葉を書きつづけること。




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