聴くというのはこちら側からの選択行為でもある
- カテゴリ:日記
- 2013/05/04 21:08:04
と現代文の教科書に書いてありました。
が、私はこの文章に疑問を抱いております。
例えば数名が同じ部屋にいてもどこからともなく響いてくるBGMも聞いている人もいれば作文しているワープロの音を聞いてる人や部屋の外の鳥の鳴き声を聴いている人がいるが後者の人にはBGMはほとんど聞こえない。
みたいに書いてありました。
…聞こえると思います。
走る電車の中にいても隣の人と話していたり本読んでたりするとほとんど電車の轟音は聞こえない。
みたいに書いてありましたが、
絶対聞こえてると思います。
そしてタイトルのような結末に至る訳ですが
このタイトルのことをずっとこの連休中考えております。
もともとどっちかというと私は音に敏感なほうらしいのですが
タイトルの文章にいまいちぴんとこない…。
実験もしてます。
車でラジオに耳を傾ければ車の走行音は聞こえないかな??
などいろいろと。。。
絶対あなたでも音の選択はしているはずだから。
と言われましたが。。。。
果たしてどうなんだろ。
三省堂の
現代文の教科書を使っている高校3年生の方。
だれか私と同じように感じた人はいませんか??