ドラマ【八重の桜】
- カテゴリ:テレビ
- 2013/04/15 11:16:08
【感想】いやぁ、これは最後まで坂本龍馬を出さないつもりだなw まぁ本筋にはあまり関わってこない人物なので、これはこれでいいのかもしれません…。下手なキャスティングをするとヲタがうるさいからね。薩長の密約ですが、ドラマでは西郷・大久保・木戸の3人しかいませんでしたが、本当はもうちょっと人がいたようです。実はそれについて詳しく書いてあったサイトを、以前龍馬伝の感想を書いていた頃見つけたのですが、久しぶりにそこを見てみたところ、肝心のそういう史料解説が全然見れなくなっていて、簡単な年表と龍馬の写真くらいしかない、つまらないサイトになっててがっかりしました。あれはかなり貴重な史料だったのに、何故見れなくしてしまったんだろう…。ともかく長州側は木戸しかわからないのですが、薩摩側には西郷・大久保の他、小松帯刀以下4名がいたようです。このドラマは小松も出さないつもりか…。篤姫では重要な人物だったのに。まぁ実際薩摩の志士の中では、西郷と大久保の名が傑出しており、小松は目立ちませんよね。そしてこの年、若くして将軍職を継いだ家茂が病没してしまい、元々軍制改革もあまり進んでおらず、ただ数だけが頼みだった幕軍の命運を、一気に変えてしまいます。その後徳川宗家を渋々継いだ慶喜は、元々あまりやる気はなかったんでしょうなぁ。皆さんご存知の通り、この後慶喜は最後の将軍となるのですが、周囲に計算高いと言われているわりに、損な役割ばかりで、肝心な時に踏ん張らず、結局は幕府を滅亡に追い込んでしまっています。こんな人物しか将軍になれるような人がいなかったということは、幕府には相当優秀な人物が欠落してたんでしょうな。300年近く続いた徳川の世がこれで終わってしまうとは、考えていなかったのかもしれません。今の窮地を脱すれば何とかなると思っていたのかも。それは、会津での山本家での話を聞いていれば、何となくわかりますよね。幕府が出て行けばすべて収まるだろうと、信じて疑わない。それが情報弱者の考え方であり、日本の主流だった。長州への出兵を拒んだ広島や宇和島は、渦中に近いところにいたから、時代が見えていたということでしょう。ただ、薩摩ほど有能な人物もおらず、資金も潤沢ではなかった。そして次回、会津にとっては致命的な出来事が…。これが1866年に1度に起きたことが、偶然ではない何かを考えさせられますが、それはまた次回の感想で。あ、あと、覚馬の娘のみねですが、どうやら父親方の血を深く引いているようで、八重によく似ていますね。これも後々の伏線になってきそうです。しかしあんな頭ごなしに叱るような母親だったらやだなぁ。実は私、「ならぬことはならぬ」の言葉があまり好きではないのです。例えば取扱説明書に、コレしちゃだめ、アレしちゃだめってよく書いてあるじゃないですか。なんで?と思うんですよね。理由がわからないと納得できない。まぁ、今の世の中では一応男女平等だし身分も差別もないことになっているので、理不尽な決まりごとってあまりないですが、当時は「ならぬことはならぬ」で言い聞かさなければ、説明できない決まりごとがたくさんあったんでしょうな。だからといって今の世の中の方がいいかといえば、微妙ですけどね。
-
- saeko
- 2013/04/15 15:19
- 歴史くわしいですね~このあたりのことは全然わからないので、参考になりました^^
-
- 違反申告