3月自作/蛙『雪の中に蛙の声も』
- カテゴリ:自作小説
- 2013/03/26 01:38:32
畑の端を流れる水路にその蛙が住み着いたのは、末の子将太が二歳の夏だったろう。
歳の離れて家業の手伝いをする兄姉はとうに遊び相手にはならず、いつも一人で居た童にちょうど良い遊び相手となったその蛙を、彼は『ゲコ』と呼んだ。
とはいえ大人の掌大もある黒光りする蛙が小さな蛙のようにゲコゲコと鳴くかと言えばそうではない話なのだが、言葉を覚え始めたばかりの童にとって、蛙の形をしていればそれは全て『ゲコ』となっただけである。
ゲコはその夏が終わる頃、何処とも知れず姿をけし、一時将太を悲しませたが、翌春雪が融け新芽の出始めると、当然のような顔をして馴染の場所に現れて将太を破顔させた。
しかしその翌年、将太が四歳の春には待てど暮らせど姿を現さなかった。
奥深い山村とはいえ通年ならば立春が過ぎれば融けてゆくはずの雪が、啓蟄の声を聞いても融けるどころか、更に重く降り積もり続けていたからである。
このままでは芋の植え付けもままならないと家族総出で空を見上げる日が続く。
思えばある日、突然ラジオが発信を止めてただの箱と成り果てた頃から、空は光を失った。
村は互いの蓄えを出し合い各々の家の頭数に会わせて均等に分けた。
鶏舎は卵を出し、牛飼いは乳の出の悪いやつから捌いて分ける。将太の家ならば備蓄小屋に敷き詰めた芋だ。
そうして飢えをしのぎ雪の融ける日を待った。
しかし暦が八十八夜を指しても雪は消えない。
入梅を超えても空から落ちてくるのは滴ではなく、ふわり舞う冷たい雪のみ。
とうとうその年は地面に土を見ることなく翌の冬至を迎えた。
やがて穀物の備蓄はなくなり、各家はこぞって雪を掘り、木の根を探す。幸い山深く外界から閉ざされたような小村のこと、火を起こす木と飢えを凌ぐ為の根っこには事欠かない。
五つになったばかりの将太もこの仕事に駆り出されたが、小さな手は何も掴むことなく、到底腹の足しになりそうもない凍った木の実を掻き集めた。
両親は働き盛りの兄姉にまとまった木の根を茹でて渡し、将太は仕方なしに自分の手の中の木のみを殻を割り頬張った。
急いで噛み砕いてしまってうっかり呑み込んでは次にいつ、木の実ですら口にできるかわからない。幼い将太にもそれだけはわかった。
「隣の村じゃ最後の牛も潰したそうや。こん村もとうとう最後の一頭じゃ。仔の産まれるのを待っておったがもう限界やろう。
明日には潰して干し肉にするらしい。
それでこの冬くらいは持つやろう……」
三日に一度ほど分けられる干し肉の欠片を、大切に頬張りながら父親が話す。
雪の中で、ずっと誰もが飢えていた。
肉は平等に働きの多い者ほど、目に見えて大きい。
長兄は自分の物より僅かに大きな父の肉をちらり見て、それを噛み千切りながら将太の手元を睨み見た。
既に諦めた顔の女たちは、指先ほどの肉を口の中でくちゃくちゃといつまでも味わいながら白湯をすする。
その中で将太は手の中にある爪の先ほどの欠片を睨む長兄の目から逃げるように目をつむり、口の中に放り込んだ。
翌朝、これが最後の分配だと牛飼いの旦那が包みを持って訪ね来ると、父親は頭を深く下げ、この数日で掻き集めた木の根と薪を渡す。そして二人暗い空を見上げながら白い息を吐いた。
「こん世の中はまったくどがいなってしもたんか」
「ラジオも全く動かん。隣の村も知り得た事は無いて言うし、街に行く道はとうに雪で埋まって誰も通りゃせん。
わしらには知る術はまったく無いというわけじゃ」
街へ出る唯一の国道は街側の役所が管理している。毎年雪が降れば道が凍らないように融雪剤などを撒くのは街の仕事だ。
それが来なくなったという事は、街も何らかの異常に襲われているのだろう。
「あるいはここらより深刻やもしれん」
人が多いという事は暮らしも豊かだが、その分悪さを企てる人間も増える。『物は無いし貧しいかもしれんが、疑わなならん隣の無いだけ、ここの方が安気じゃ』将太の父の口癖だった。
この異常な雪も人と人との摩擦が国同士に発展した挙句やらしれん、牛飼いは最後に電話で話したという街に住む息子から聞いたらしい事を言い残して背を向けた。
電話もとうに線がどこかで切れたのか、冷たい無言の箱と成り果てて、山間の集落は完全に情報を持つ世界から切り離された。
冬の終わりは遥かに見えない。
降り積もり続ける雪に、山は形すら変えてゆく。常緑樹で一年中緑なしていたかつての姿は白く聳える違う世界と成り果てた。
山間とはいえ南国と呼ばれたこの地域で、雪は楽しいもののはずであったのに。将太は小さな手に薪を抱えて崖を滑り降りた。
もう将太の手で木の根を掘り探せるほど、雪は浅くない。雪の上に僅か出た枯れ木を薪にする為集める事が唯一の仕事となった。
案の定、最後の分配の肉はひと月と持たずに家族の胃に収まり消えた。
いよいよ本格的に木の根だけを齧り生きながらえる毎日が訪れる。
飢えで異様に腹が膨らみ背中は歪み、動きが緩慢となってゆく中、長兄・次兄の血走った赤黒い目だけがらんらんと光る。
二人は苛々するように畳を掻き毟りながらぶつぶつと口端で何かを口走り、やがてぶらりと外に出て木の根を抱えて帰ってくる。
それらの分配も平等に、働きの量によって差をつけられる。将太はそれに納得がいかず、一度だけ聞いた。
既に生きているだけの屍のような女達より、自分の方がまだ薪など拾って働いているのに女の方が多く食べられるのはおかしいと。
長兄は薄ら笑った。
『女は生きてりゃ役にたつ。お前は薪を拾うしか能がねぇ』
幼い将太にはその意味が解らない。
納得のゆかなかったが、兄の尖った目つきが恐ろしくてそれ以上は聞けなかった。
やがて暦の読み方など意味も失った。
とうとうこの年も春は訪れず雪の切れ目も見られない。
そんな中、突然次兄が掌大のふくよかな塊を持ち家に駆けこんだ。
「肉だ! 一人一口ほどしかない。ゆっくりと食えよ」
平等に、上の物から大目に千切り渡されたそれは皮を剥がれて見た目に何の肉かは解らない。見つけた者の特権と、次兄が掘ったその場で川を剥ぎ食べたのだろう。
けれども口答えなどする気力も無い将太は、黙って放られた小さな一切れをつまんで見た。
あぁ、この形は……
見覚えがある。懐かしい。小さく別れた四本の指と三つの水かきを持つもの。
久しぶりに見たそれを、将太は黙って口にする。長兄の指すような視線に異様な気味悪さを感じながら。
そして将太は久しぶりに得た肉の力でよろよろと立ち上がり、庭に向かった。
薪を探すふりをしながら納屋に入り、獲物を手にした。
小さな草刈り用の鎌をそっと服の下に忍ばせて夜を待ち寝床に入る。
誰もが寝入った暗闇の中で、ふっと何かの気配が揺れるのを感じて将太はぎゅっと鎌を握りしめた。
……僕はゲコやない、僕は……
呪文のように口の中でぶつぶつと唱えながら、揺れる気配が布団を剥ぎ取る瞬間を待った。
たまたまに掘り当てられた、ずっと夢の中に居たのだろう肉の塊の味は、人を獣に変えるには十分すぎた。
雪は降り積もる。
山の息吹は緩やかに枯れゆき沈黙する。
真白に。
何もかもが真白に覆われ埋め尽くされてゆく。心も。生命も。
~ 了 ~
読んでくださってありがとうございます^^
カテゴリ…うーん、意識してなかったのだけど、ホラー?
実は「トワイライトゾーン」観ていないんです><
タイトル、直しました! ご指摘ありがとうございました(´▽`)
直したら消しておいてください。恐れ入ります
映画ならパニックものというところでしょうか
幽霊はいなくとも、この構図は実にホラーな感じで
「トワイライトゾーン」風に
楽しめました
読んでくださってありがとう(´▽`)ノ
下の方でやあさんという方が書いているコメントですが、日本にもそういう事件の記録があります。
ひかりごけ という実際の事件をベースにした映画を探していただくと辿り着くと思います。
生き延びたいという本能は、地峡上の全ての生命体に宿された物なのでしょうね。
人間だけが持つ理性が、生命体すべての持つ本能に勝てないのは当然の事なのかも、しれませんね。
私達に出来る事は、そういう未来を造らないように……反戦を訴える事なのかもしれません。
あ、マジメにちょっと書いちゃった(^_^;)
それが本能であれば、理性がついた人間でも、やはり動物であるという事なのでしょうか?
最後に、どちらが食料になったのか?
わからんけれど、これが起きないとは限らないのが人間の世界。
こんな世界に遠い未来で、ならないでほしいもんだなぁ。
読んでくれてありがとう~(´▽`)
読後感が微妙に悪くてスマンです~
救いは…兄弟で熾烈な争いをした後、息絶え絶えの将太の所に気まぐれな仙人が降りてきて
将太は仙人に体を貸す代償に世界を救う旅に出る…
という可能性が無きにしもあらず、という感じで…(ヲィ)
極限の飢えって経験した事がないのでわかんないけど、想像するだけでも怖いです~
そして、結末が・・・
どこかで救いがあるかな?なんて読んでたのが甘かった。
飢えって、恐ろしい現実にあったことですもんね。
うちも近所が畑をしてるので、隅に大量に放置されて腐って行くキャベツとか青菜とか、よく見ました。
子供の頃はごく自然の風景の一部だったので何とも思わなかったものですが、
大人になって自分で稼いで自炊など初めて、色々疑問に思いはじめたものです。
過去廃棄処分になっていた一部の野菜や果物は、最近
ジュースやチップス加工されたりして使われてますが、それでもまだまだ、ですね…
今までの大人達が捨ててきたぶん、これからの子供たちがツケを払わされて
食糧難になりませんように、と祈るばかりです。
今の世の中も、食べる物には困らないけど違う意味で
まともと言えるのかどうかなぁ、とも思いますけど…^^;
袋詰めだと曲がった野菜も入りますので。
我が家は昔、畑を少し耕して居たので
曲がったきゅうり、ヒビの入ったトマトは普通でした。
大量に捨てられるのは日本も同じです。
漬物工場や、加工場が農協の側に出来て居れば良いと思いました。
後は強力乾燥野菜を作れば良いと思いました。
山登りをする人はそれを持っていくそうです。
水を入れて煮ると戻るそうです。
無いでしょうね・・・
無いでしょうね・・・
読んでくださってありがとう(´▽`)
そっか、ブラックジョークとしてとらえてもらえばいいのかww
こういう話を書いていると、油断してるとどんどんそういう描写が増えてゆくので、
抑えて書直したり、削ってみたり、書きあがってからの方が困りますww
日本の廃棄問題もかなーり問題ですよねぇ…
出荷調整なんたらで畑単位で廃棄されるんですよね…><
食べ物を処分しないですむ暮らしがこんなに難しくなるなんて、
どうかしてるとしか思えませんが、これが現実なんですねぇ…
とりあえず今からでも自分や周囲の子供たちには
そういう問題を考えていけるように畑でも漁業でも経験して欲しいものです。
ちなみにうちの職場にはコンビニでアルバイトしているお兄ちゃんが居ますが、
ここでも廃棄処分が…でもこの廃棄品、こっそりあたしたちに回ってくるのでこれはありがたいですww
その視点からはとくに暗いとは感じませんでしたよ^^
アメリカやオーストラリア、ドイツなどの事情をドキュメントしてたんだけど、すごかった。
曲がったきゅうり、くぼみの大きなじゃがいもなどは引き取り手がないからと
収穫してもまた畑に捨てられ、実際に出荷できるのはなんと半分の量だという。
店に豊富にものがあるのが好まれるため、どこも実際に売れるより多くのものを棚に並べ、
賞味期限よりはるかに前にゴミとして捨てる。
消費者も大量に購入し、大量に捨てる。
ドイツのパン屋では、廃棄するパンを回収して燃やし、電気を作り出しているという。
この取り組みを進めれば、原発一基分の電気が生み出せるという・・・いや違うだろw
それでエネルギー問題を解決しようってのは、かなりずれてるw
アメリカでは食べ物がどこでどうやって育ち供給されているのか知らない子供が増え、
それを学ばせるために、ビルの屋上で野菜を作り蜂を放す。
これって、本当に現実なんだろうかと目を疑いましたです・・・・・。
極限の飢えは困るけど、自分がなにによって生かされているか、知ることは大事だよね。
ウンウン。
コメントへのレスに書き忘れまくりましたが…
みなさま、読んでくださってありがとうございました(´▽`)
次はもちっと元気な話を頑張ります~…多分?^^;
極限状態では同じ仲間もただの食物と化すのかも…
と思いながら、自分がそういう立場になったら、という想像ができません^^;
実際にそれを選択しなければならない状態にならないように、と祈るばかりですねぇ^^
ゲコは食用ガエルでした~(´▽`)
別名ウシガエルですね^^ モーモーと鳴きます^^
これから……兄弟でいろいろあった後、絶命しかけた将太に気まぐれな仙人が乗り移って
世界を救うファンタジーの旅に出るのかもしれませんねぇ…^^;
メダカとかの単純生物は極限状態になると仲間をまるっと生きたまま飲んじゃうので、
殺してから食べるという意識があるだけ、まだ人間は余裕があるように思います。
この余裕が悪い方へ作用されるか、良い方に作用するかで、
これからの時代の極限状態のあり方も変わるんでしょうね(´▽`)
何でか、ここ数日で実際にあった事件の映画化されたものが話題になりますww
ひかりごけは観た事がないので一度観てみたいなぁと思ってるのだけどなかなかに叶わず><
どっかの国が簡単に怖い兵器を使ったりしないで、兵器開発に使う予算を農業に充てれば
この現代ならそうそう簡単に飢饉にはならないような気がするんですがねぇ(^_^;)
結末は、兄と末弟で凄惨に戦った後、絶命しかけた末弟の素に欲深な仙人が現れて
生き延びたければ我の願いを叶えよ! さすればそなたの命は…
とかなんとか言って、冒険が始まるのですよ(´▽`) …多分…
食用蛙、昔は美味しいと思えたはずだけど、今はもう食べれませんねぇ><
同じ理由で子供の頃は好きだったはずの蜂の仔も今は食べられません…
平気で食べられてた時代に、アフリカかオーストラリアで原住民の中に入っていれば
今でも食べられたでしょうにねぇ…
何かちょっと食の可能性を自分で減らしてしまったようで、勿体ないですねぇ
戦中よりも、源平や鎌倉の頃の飢饉にこそ、近いものがあったのではないかなぁと思います。
歴史がダメダメな人間なので詳しくは知りませんが(^_^;)
「家族を守る」という意識が出来たのはごくごく現代のもので、
ほんの少しさかのぼれば優先されたのは「家族」ではなく「家」であったように思います。
家族を優先させることができるようになった現代は、それだけで裕福になれた証明なのかもしれませんね^^
小さくて儚いものを守りたいと思えるこの豊かな時代を大切にしたいものですね^^
なんという結末
飢饉のときはあったのでしょうねWWW
小説でお料理してしまうとは、さすがちょみさんw
と、冗談はさておき、前の氷河期にはどうやってすごしていたのでしょうね。
きっと、これから狩猟生活が幕あけるのね。
極限状態って人を変えますね・・。
一瞬、ひかりごけを連想しちゃいました・・・。
飢饉は人間を変えてしまうものですよね。
ひところ凝ってました♪ カエルの肉出す焼き鳥屋通いですが^^
人間は生きていく限り、何かを奪い、破壊していく業の深い生き物。。
私も「守るべきもの」のために今一度、できること、願うことのために
全力で日々を送っていけるよう改めて思いました。<(_ _)>