☆三国志
- カテゴリ:その他
- 2013/03/24 00:08:44
以前に少し出てきたホウ統のその後のことです。
赤壁の戦の直前、周瑜に「連環の計」を進言するような才能を持ちながら、呉ではあまり重用されることはありませんでした。ところが、周瑜が死亡してから転機が訪れます。
周瑜の葬儀に孔明が参列していました。二人は遠い親戚であり学友でもありました。孔明はホウ統の才能を高く評価していたので、劉備に仕えることを勧め推薦状を書きました(この時魯粛からの推薦状ももらっていました)。
さっそく、ホウ統は荊州へ向かい劉備に会うのですが、外見がよくないということで呉の孫権と同様に重用することは考えず、僻地の来陽県へ赴任させました。
また、来陽県に来たホウ統は仕事もせずに飲んだくれているという情報が劉備に届いたので、劉備は張飛を派遣しその確認をさせました。
ところが、ホウ統は「こんなちっぽけな県での仕事はたいしたものではない」と言ってのけると、滞っていた公務を半日で片付けたと言います。そして、張飛に魯粛からの推薦状を見せました。
張飛からの報告を受けた劉備は態度を一転させ、ホウ統を呼び戻し孔明とともに要職に付かせました。
このホウ統は、かつて司馬徽から鳳雛と称されるほどの人物で、劉備は天下を取るための臥龍、鳳雛の両方を手に入れることになりました。
為になるね☆
副軍師の鳳雛さんに合掌~ー人ー。