☆三国志
- カテゴリ:その他
- 2013/03/03 14:39:45
荊州をめぐって呉と蜀が争うわけですが、これは周瑜と孔明の駆け引きであったといえます。周瑜はまず、曹洪の守る夷陵城を攻め、続いて曹仁の守る南郡に攻め入ります。ところが、わき腹に毒矢を撃たれてしまうというアキシデントが起こりました。しかし、さすがの周瑜、このことを逆手に使うことを考え出します。つまり、周瑜は毒矢の傷がもとで死んだという偽の情報を流すわけです。そして、その虚を突いて曹仁軍を破りました。
やっとの思いで勝利を収め南郡の城にやってくると、そこには孔明の指示を受けた趙雲が陣取っていました。さらには、襄陽は関羽に、荊州は張飛が陣取っていました。この時周瑜は悔しさのあまりわき腹の傷が張り裂けたといいます。
このようなことがあり、周瑜は孔明をすぐにでも討ち取りたい気持ちだったのでしょうが、周瑜は曹操の存在を考え対立を避けるようになりました。その後、周瑜は毒矢の傷が悪化し最期を迎えます。享年36歳の若さだったといいます。
「なぜ天は孔明を、私と同じ時代に生ませたのか」
これが周瑜の最後の言葉だったそうです。
・・・最初に惚れたのは趙雲でしたがww
とっても良かったですよ〜〜。
アタシも好き!!
最後の言葉感動でした……
実は、ファンなんですよ……