非現実
- カテゴリ:日記
- 2013/02/10 19:43:38
毎日、毎日。
ほんの数メートル先で、猫と日向ぼっこしていた。
座椅子に座り、ひざ掛けをかけ、編み物をしていた。
カシミヤに、アルパカに、アンゴラ。
ラムウールにメリノウール、ブリティッシュウール。
オーガニックコットンに、シルク。
どの糸も軽く、柔らかで、暖かい。
もとを正せば、私が着ていたセーターやカーディガン。
アクリルのセーターはかぶれるので、天然繊維のものを着ていた。
…洗濯を繰り返すと、どうしても縮んでしまう。
サイズアウトしたセーターは、母が丹念に解く。
湯煎してあみ癖を矯正し、いくつもの毛糸玉にする。
それをひざ掛けやショール、飼い猫の冬用毛布に編み直す。
TVを見ながら。
とりとめのない話をしながら。
大阪市長のしょうもないニュースにつっこみをいれながら。
…先月のダイオウイカだって、いっしょに見たのだ。
まだ、編みかけのショールがそのままあるもの。
それが、ここ数年の母の日課だった。
先週の日曜も、亡くなる直前までそうしていた。
その母がもういない。
こちらの世界のどこにもいない。
そんな日が来るのは時間の問題だ。
そう、覚悟していた。
覚悟していたはずだった。
けれど、あまりに突然過ぎて、その事実がどうしても飲み込めない。
非現実的で、夢の中にいるようで。
葬儀の日、柩の横で泣き崩れる姉と、ただ立ち尽くす私と。
その姿を見て、やはり、あの娘は冷たいと。
そう噂していると、ご丁寧に報告にきた人がいる。
やはりなあ、父の葬儀の時もそうだった。
別にどう思われてもいい、
わかってくれる人だけ、わかってくれたらいい。
泣くのは、泣けるようになってからでいいよね。
母と私、二人の生活は、やく20年になりますか。
赤ちゃんが成人する年月です…長いですよね。
母を看取ったのに、柩に眠る母を見たのに、お骨になった姿も見たのに。
頭では理解しても、それが現実感をともなわないんです。
胸の奥の奥に、なにかしこりはあるのですが。
心が現実として理解したとき、泣けるのかもしれませんね。
私の父が亡くなったのは、病院に入院して2ヶ月後でした。
入院する時から、もう父は帰ってこないだろう。
そんな予感がしてました。
それと、私がしっかりしないと大変だって自覚もありました。
葬儀の打ち合わせからお骨上げまで。
それはいろいろありましたから、今回もでしたけど。
今は、お猫さまの下僕として、しっかり務めさせていただいてますよ^^;
もとから気にしてはいませんが^^:
ご丁寧に報告にきはる方のほうが、ちょっと迷惑かもしれません。
知らなきゃ、全然気にもとめませんから。
報告される方も私のためを思ってこられるから、怒るわけにもいきませんしね・・・。
母の寝室も、ふだんの居場所だった、私の部屋も。
亡くなった日とほとんど変わりません。
ただ、母の姿だけが見えない。
猫は不思議がって、母を探しているのが不憫です。
ありがとうございます。
辛い時よりも、あれこれと雑事に忙殺されてました。
刑事さんの事情徴収なんてものまで体験しましたし。
もう、二度とごめんですが。
ほんとに急でした。
10分ぐらいのことでしたから・・・。
病院に長期入院とかではなく、本人が希望したとおりの逝き方でした。
そういう意味では、たぶん本望だったのではと思います。
泣けるときがきたら、思いっきり泣くつもりですが・・・はたしていつになるのやら。
そうだったんですか。
お祖父さまも、ほんとの急になくなったんですね。
私と同じような思いを、お母様も感じたんでしょうね。
ありがとう^^
無理しないように、体に気をつけます。
セレイユさんこそ、大変ななか、ありがとうございます。
お父様のこと、ほんとにお悔やみ申し上げます。
私の母は、私の腕の中で亡くなったようなものです。
ほんとに急でしたので、今も夢の中にいろような気がします。
少しは泣いたんですが…。
身近な存在の喪失は…慣れてきたとき、日常の一コマで実感するのかもしれませんね。
セレイユさんも、どうぞ、ご自愛ください。
人の噂も75日、そのうち、この噂も埋没していくと思います。
泣ける時がきたら、思いっきりなけばいいですよね。
いまさらかわいこぶりっこもできませんし、そんな年でもありませんし^^:
母も好きなように行きなさいと、後押ししてましたしw
悲しみは、本人以外、どう感じてるかわからないんですから。
小さい時から、私はかなりの人見知りw
まったく人見知りしない姉とは好対照やったな。
そのイメージは今も同じようです。
今じゃそれなりに社会人スキルがついてるので、愛想もふりまくけどね^^;
先に泣かれるとね、泣けない時が多い。
いつのまにか、そんな癖がついてます。
今回は、ほんとに実感がなくて泣けないんですけども。
その現実を頭では理解していても、
心の中では、もしかしたらずっと理解できないのかも知れません。
簡単に涙が出るほど、単純な絆じゃないんですよね。
泣きませんでしたよ。
悲しい時の感情表現は人それぞれで、正解なんてないんですもの。
私の父は癌で5カ月の闘病期間があったので覚悟する時間はありましたが
亡くなる2週間ほど前が一番つらかったですねぇ。ひとりで車の中で泣きました。
ラトさんにはその時間がなかった分、これからが胸にこたえるのでは・・・
さびしい時は猫に慰めてもらって、ここで吐き出しましょう!!
悲しみも痛みも人それぞれなように、表し方も十人十色ですもの。
何事も自分のモノサシでしか測れないようなヒトの言うことなど気にすることありませんよ;;
他人の心無い言葉で、お母さまとラトさんの絆が汚されることはありませんもの。
今はまだ、ラトさんご自身が感じてらっしゃるように、お母さまがいらっしゃらないのが非現実で。
きっと本当に実感できるようになるまでには、時間がかかるのでしょう(´・ω・`)
今は皆さん仰るように、ゆっくりと日々のことを重ねていってくださいませ。
何も知らずに脳天気にインしたら、
ラトはん、辛い日々を過ごしてたんやね。
何を書いても、無責任なきれい事になるから・・・
元気、出してな。
のこされた方々のお気持ちは察するにあまりあることですが、
お母様の逝き方は私のような年寄りにとって羨ましいような。。。
気丈に振舞っておられるようですが、泣けるようになったら沢山泣いて下さい。
ラトさんと同じ事を言っていました。
お祖父さんが亡くなった時も突然だったので
病院に連れて行こうと、朝起こしに行ったら亡くなっていたので
まだ生きているみたいだと、お母さんも言っていました。
ゆっくりして下さい。
私も劇症肝炎で父が急死して先週葬儀済ませたばかりで、同じようなお話を聞くと本当に胸が痛みます。
実を言うと私も泣いてないんです(;^_^A
グッとこみあげて目がうるむ瞬間はあったんですが、そこで我慢してしまいました。
泣くと、よけい辛くなる気がして。いつか泣きたいときがくれば泣けばいい、と思ってます。
いまだに死ぬ、という事の意味がよくわかりません。
もう会えないとか、一緒に出かけることもないとか、そういう事実はわかるんですが。
まだ実感できてないのかな?
今はひとつひとつ日常生活をこなすことで日々を過ごしています。ラトさんもお元気で。
相も変わらず口さがない人達が居てる……(--;
そんな人は無視しといて構わへんからね!
(実際、そうしてるやろうけどw)
泣きたい時に泣ける人は幸せなんやと思う。
悲しくてどうしようもないのに、泣けないと余計に辛い……
いつか、何気ないふとしたはずみで、大泣きするんやろうなぁ。
それまでは、とりあえず、日々の事をやればいいよ☆