夢飼い。【13】
- カテゴリ:自作小説
- 2013/01/16 22:45:57
―― 一歩踏み出す勇気。
深夜の学校は誰も居なくて、
夢遊病のように私はいつのまにか屋上に居た。
夕方、由貴と別れて家に帰った記憶は無い。
ただ、その時から靄の中を歩いているみたいにぼんやりして、
もういいや、って思った。
あんな騒ぎがあったのに鍵をかけていなかった屋上の扉。
錆び付いたこの取っ手を悠里も触ったのかと思ったら、妙に浮き足立った。
同じものに触れて、同じものを見るだけで嬉しい。
変な方向に傾き始める思考に気づかないフリをして、真っ黒な空から降り注ぐ真っ白を見上げた。
冷たい。寒い。さむいよ。たすけて。
バランスを崩しそうになりながらローファーと靴下を脱ぎ捨てて、
赤茶の錆だらけの柵に脚をかけた。
足裏と太股に伝わる、鉄の純粋な冷たさが神経を焼く。
でも、気にする意味はなかった。
柵を乗り越えて、屋上のヘリとその隙間に爪先立つ。
後ろ手に握った柵が、やけに心細い。
「………………、」
分厚いレンズ越しに見えるのは、だだっ広い漆黒の海原。
泳ぐ魚は見当たらなくて、遠い水面から差し込むのは白い、欠片。
腰で柵に寄り掛かって、悴んだ指先を目の前に持ってくる。
赤白くて、細くて、小刻みに震えていた。
こんな手じゃあ、上手く泳げそうにない。
――私は、今まで何を糧に生きてきましたか。
わかりません。
――私は、今まで誰かの役に立ちましたか。
わかりません。
――私は、今まで楽しかったですか。
わかりません。
――――私は、自殺する人の気持ちが解りますか。
「……わかりません」
なら、とびおりてみればいい。
おなじばしょから。おなじふうに。
でも、前を見るのは怖いから。
柵を掴んで爪先でくるりと向きを変えた。
がりがりとやわらかい足裏を削るコンクリートの痛みも寒すぎて感じない。
死んだら、何が起こるんだろう。
ライトノベルの主人公みたいに、どこかの世界にトリップ出来るのかな。
だったら、良いな――、
ね。
「…………由貴」
ぱっ、っと、てをはなした。
うしろにいったじゅうしんがいっきにかたむいて、わたしはりょうてをひろげてせなかからおちる。
漆黒の空が遠ざかった。
髪の隙間に冷風が入り込んで、頭が直接冷やされているような悪寒。
背筋が今更、凍った。
叫びだしたいくらい怖い。こわい。コワイ。
どうしようもない浮遊感。自由落下感。どこまで堕ちる?終わりはない?もうすぐ終わり?
舞い上がる髪の毛が邪魔をする、煌めく星は数えるほどもなくて、
オリオン座を探そうとした視界が黒くぬりつぶされせぼねがめき。
痛い、と思った。
電撃的な激痛はぶっとい注射針みたいで、
でも、そんなに言うほど痛くないような気がして、
なにをかんがえているのかわからなくなって、
わたしは、わたの、いぬい です
最後に呼んだ名前は、 好きな人 でした 。
_________________暗転。
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乾が最後に見たもの。
「自殺する人の気持ちが解らないから飛び降りてみた」
あなたなら、どう思いますか。
――それでは、ここまでお付き合いいただいた画面の向こうのあなたに、精一杯の感謝を。
-糾蝶-