Nicotto Town


小説日記。


夢飼い。【12】





Story - 2 / 1



12月中旬、徐々にクリスマス色に染まっていく街は今はまだひっそりしていた。
言えるのは――とにかく寒い。それだけ。
平日な上に、こんな日に外出しようって言う方が可笑しいんだ。
僕は家の鍵を閉め、コートのポケットから自転車の鍵を取り出した。
鍵がいくつもあるって面倒だなとまだ無意識の狭間を泳いでいる意識でぼんやり考える。
中学校の時に乗っていた自転車は、どう見ても大人用の自転車くらいの大きさはある、
俗に言うママチャリだった。
鍵を外して家の横に止めてあるそれを向かいの道路に引っ張り出すとサドルに座った。
尻から背筋に身震いするほどの冷気が伝う。
漕ぎ出したペダルは、途方もなく重かった。




ペダルを漕いで進んでいくごとに、視界に白がチラついた。
頬を掠っていく白――雪は、スピードの出し過ぎで身を切る風よりも冷たい。
でも、どうしても急がないといけなかった。




気持ちが急くと信号機の待ち時間さえ苛々してくる。
ようやく辿り着いた病院は、なんだか空き過ぎていて変な感じだった。
車のほとんど無い駐車場の一角に自転車を止めると、
しっかり鍵を閉めて乱れた髪を適当に整えた。
ほとんど感覚の無くなった指先で髪を梳くと微かに凍った感触がした。
指先を擦り合わせてポケットに押し込む。
首を縮めながらマフラーの中で上がった息を吐くと、もわりとマフラーから白い息が漏れた。


自動ドアをくぐると、待合室にはほとんど患者さんは居なかった。
受付に視線を向ける。
本当に大丈夫だろうか、と無意識に心配になりながら、足早に近寄って「すみません」ボリューム抑え目に声を掛けた。
振り向いた看護士さんは中性的な顔立ちをした青年だった。
僕より少し上くらいな気がする。


「はい、……あ、もしかして君、巽くん?」
「――ぇ、と」
「案内するよ。ついてきて」
「……、」

勝手に話を進められて、すっかりペースに飲まれる僕は、
受付から出てきてくれたヒトの良さそうな青年についていくしかなくなった。




待合室のロビーを抜けて真っ直ぐ進むと、


「あ、オレのことは未紗(みさ)で良いよ」
「……」

青年こと未紗さんは、顔だけ振り向いて小さく笑った。
顔ならず名前まで女性のようなのだからこれはもはや嫌がらせだろう。
でも、茶色く染めた髪は肩に掛かるほど長い。
わざとやっているんだろうか。
「女みたいな名前で嫌なんだけどね」突き当りを左に曲がった。
真っ白で、病院らしい清潔感の溢れる廊下には当然のように誰も居なくて、
大きな窓から広がる灰色の曇天からは相変わらず雪が降り続いている。
少し積もるかな、とか、なんでこんなことに、とか、
色々なことをぼんやり考えているせいで夢でも見ているような気分だった。


やがて未紗さんが白衣の裾を揺らして立ち止まった。
かつん、とローファーの踵が硬い音を立てる。
シェルターのような両開きの半透明の自動ドアの隣には、網膜認証システムのようなパネルがあった。
未紗さんは右手をパネルに翳すと、ピッ、と軽い電子音と共に扉が音もなく左右に開く。
今まで進んでいた廊下と同じで、だけどどこか違う、異世界。

目の前には巨大な曇り硝子があった。
その手前には左右にまた通路があって、
それぞれの廊下の奥にはたくさんの個室がどこまでも連なっていた。
一体何人の人がベッドの上で眠っているんだろう。

僕はもう何も言い出せなかった。
こんな場所に運ばれた患者がまともであるはずがないのだ。
直感的に理解した。

……ここから先は、〝ちょっと変わった〟人たちが収容された病棟なんだ。



「ここだよ」

扉の向こうの世界は水を打ったように、ただ静かだった。
なぜか胸が締め付けられるような、いやな、静けさ。

未紗さんがもう一度立ち止まったのは、左右に伸びる廊下を左に行って、右手側10番目の扉の前。
ネームプレートには「綿野 乾 様」とだけ書いてあって、番号は書いていなかった。
仕様なんだろうか。もう、思考が麻痺してきたけど。


未紗さんはスライド式の扉の前に立ったまま、それきりずっと黙っていた。
僕は静電気を恐れるように銀色の取っ手に手を伸ばした。
指先に伝わった冷たい感触に怯む。


「……開けても、良いですか」
「俺が案内してあげられるのはここまでだよ」

申しわけなさそうに未紗さんは笑った。
そして「帰るときにまた声かけてね」一歩さがって、僕を残して。

かつん、かつん、と遠ざかっていく足音。
僕は取っ手を握りこんで、俯くばかりで。


もし扉を開けてしまったら、乾がどこかに行ってしまいそうで怖かった。
もう乾に逢えないような気がして、



「…………乾、僕は君が好きだ」



――だから、それで終わりにしたかった



そう思うだけで、想うだけで、充分だった。

僕には傍に居てあげる資格がなかったんだ。



両手で取っ手に縋って、歯を食い縛って俯いた。
熱い目頭から、涙が目を覆って零れ落ちる。
胸が苦しい。喉が震えて嗚咽が溢れそうになる。
噛み殺して崩れ落ちた。
きつく閉じた目から、涙が止まらない。

どうして、なんで。
今更のように湧き上がる疑問は渦になって、
怒りになって、悲しみになって、悔しさになって零れた。



夢だったら、良かったのに。




*****



ここまでお付き合いくださった画面の向こうのあなたに、伝えきれない感謝を。



-糾蝶-






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