世情
- カテゴリ:日記
- 2013/01/08 07:02:06
幕の内も、終わったことだし、このようなブログを書くことをお許しください。
実は、昨年の年が迫った30日の夜に、私のパートナーの一番上のお姉さんが病院で息をひきとりました。
お姉さんは、早くにご主人を亡くしその後両親の元で3人で暮らしていたそうです。
そう、子供もいない・・・
その後両親が亡くなった後は、ずっと一人暮らし、8年ほど前に施設に入り、毎月彼は千葉までお姉さんのいる施設まで通っていました。
そのお姉さんを除いて二人お姉さんがいるのですが、二人とも高齢で入院しています。
でも、そのお姉さんたちには、亡くなったお姉さんにあたる姪御さんも、甥御さんもいる・・・
彼にも、子供が二人いますが、こちらに移ってから生まれたため、亡くなったお姉さんとは、まったく面識が無く、「自分たちは、行かなくていいの?」と聞いたそうですが、甥御さんも姪御さんも「自分たちも、今大変だから、おじさんお願いします」の一言で、それっきりだったそうです。
その甥御さん、姪御さんはさんざん、亡くなったお姉さんにお世話になっていたのに・・・だから彼は、自分の子供たちには「誰もいかないからいいよ、焼き場に行って、お骨を引き取ってくるだけだから」と断ったそうです。
きっと、迷惑を子供たちにかけたくなかったのでしょう・・・その気持ちだけで充分だと・・・
最初は、私にも一人で行くからと言っていましたが、年が一回り以上違うお姉さん、彼の事を一番かわいがってくれていた。
年末だったので、供養だけはすませ・・・後は三が日が明け・・・変な話・・・焼き場の順番待ち・・・
それが、昨日だったのです。
彼も、年のせいか、寒さのせいか最近では運転に完全な右足をしょっちゅうつってしまって。
私の運転で、二人で千葉まで行ってきました。
淋しい、最期ですよね。他に誰もいない・・・
でも、これからはの時代は、こういう事が増えるのかな・・・と思ってしまいました。
一人っ子が多く、結婚もせず・・・親戚も少なくなり、みんなバラバラに・・・
「ありがとう、ありがとう」と彼は私に何度も言いました。
「私が、あなたにしてあげられることをしてあげただけだよ、お姉さん、きっとびっくりしただろうね、でもきれいな穏やかなお顔だったね」・・・
合掌
コメント ありがとうございました。
彼の姉瑛さん・・・7年以上も施設に入り、その間月に一度、千葉までかよっていました。
いつもは仕事に、出かける前に私の職場の近くの喫茶店で、お茶を飲み「ご苦労様、長い間・・・」
と、一言声をかけました。
当然、私もさすがに疲れていて「今日は、一週間で一番忙しい日だろ、無理するなよ」って
でも、どこか彼の顔は、ホッとしたようにも見えました。
ずっと、高齢のお姉さんの事を気にかけていたのでしょう。
元気で、長生きが一番幸せなのでしょうね。
そう言えば、昨年知り合いの、知り合いのお兄さんが、大の競馬好きで、弟さんに電話で投票をを頼んで、その後連絡がつかなくなり、行ってみたらテレビのリモコンを持ったまま・・・フジテレビがついていたまま・・・
90近かったけれど、とても元気だった方だったそうです。大好きな競馬を見ながら・・・きっと、その人は大往生だったことでしょう。
長生きしても幸せになれるとは限らない世の中ですね。
コメント、ありがとうございます。
亜芽さんも、昨年は色々大変だったのですね。
昨日は、彼と二人っきりだったので葬儀屋さんとゆっくりお話ができ、芸能界でもそうでしたが年末年始にかけては特に、不幸が多かったそうです。
でも、本当に身近に起きた時に色々な事を考えさせられます。
以前は、葬儀などは自宅や檀家であるお寺さんで行いお通夜の時は、個人の袖で皆で思い出を語り合いそしてその夜は、故人と同じ部屋に布団を引いて、次の日を迎えたものでした。
でも今は、メモリアルホールなどで行い、最期の夜はたった一人で広々とした、誰もいない部屋で過ごさなくてはいけないのですよね。
なんか・・・やるせないものが、胸いっぱいに広がります。
代行サービスまであるようで・・・
大変でしたね。
我が家も去年は不幸が続きました。
実父の葬儀は仕事の都合上2度葬儀を行いました。
多くの方に見送られての供養でしたが、
やはり色々な事情が絡む事でした。
家族それぞれのスタイルはありますが、
色々な思いを抱えながらのお別れですよね。
出来るだけ穏やかな気持でお見送りしたいですよね。
都内の火葬場では最後のお別れの夜
21時以降は故人を残し家族も親族も朝まで付き添えないという
スタイルになっている事に未だに不快感を感じます。
消防法の理由でということはわかりますが・・・。
なんだか心無いな。なら、流れ作業で良かろうと思ってしまいます。