冬牡丹
- カテゴリ:日記
- 2013/01/06 21:53:22
風邪を引いてしまったのか、鼻水が止まらなくなったヤツフサです。( ̄ii ̄)
昨日はまるで何も見られなかったような書き方でしたが、ドジ報告は
別として、昨日徳川園で見て来た 冬牡丹 の事を書き忘れましたので、
今日の日記のネタにして見ます。
ここ数年ヤツフサが1月に見る花の代表で、名古屋では徳川園が
名所となっています。
冬牡丹ってなに?
数年前ヤツフサが始めて徳川園の冬牡丹を見ているとき、冬に
雪囲いをして咲かせている牡丹の花をみて、牡丹は本来春の花
なのに何故1月に咲いているのかと言うのが疑問でじーっと眺めて
いると、知らないじじいがやってきて隣に居る奥さんらしき人に
「こんな物は自然に咲く花をわざと温室で育てて飾るんだぞ!
名古屋人は悪趣味だな!」
と私に聞こえる様にほざいておられたので、市外の方でしょうか?
ちょっとカチンと来たものの、それもその通り、何故わざわざ寒い正月
に咲かせるのかまったくわかりませんで、ネットで調べても詳しい
歴史のわからない為、ずっと気になっている冬の名物でした。
徳川と牡丹に何か関係があるのでしょうか?
色々調べたことを書くと・・・
〇牡丹の別名は 花の王
〇原種は中国
〇戦後に芍薬を利用した接木の方法が開発されて普及したものの
江戸時代に牡丹は 高嶺の花 の代名詞だった
〇徳川園で飾られているものは 冬牡丹 ですが、本物は 寒牡丹
と言う特殊な品種で、江戸時代頃に開発され、11月から1月ごろ
見ごろになるのですが、管理が大変で通常の牡丹の寿命が20年
ほどなのに対し、寒牡丹は15年程度の上、大輪の花を咲かせる
のには10年以上掛り維持費も莫大の為、温室で管理して咲かせた
物を代用として使う事が戦後に流行り、寒牡丹と区別して冬牡丹
と言う様になった
〇名古屋の徳川園は元々1695年に作られた徳川家の邸宅で、
1931年に徳川家から名古屋市に寄付されたものの、1941年の
空襲で丸焼けになって、徳川の遺産の庭園が灰になってしまった
〇信長、秀吉の時代にお寺を焼き討ちにする事があり、その霊を
慰めるべく徳川家が沢山のお寺を建てた。 ヤツフサが除夜の鐘
を突きに行ったお寺 東本願寺別院 も元はお城だったところを
徳川がお寺にしたもので、本願寺の寺紋は 牡丹の花
〇牡丹は亜細亜の百獣の王の象徴とされ、昭和のヤクザに出てくる
映画唐獅子牡丹は男気の象徴となっている
などなど・・・
お城文化と花と言うといまいちピンと来ないかもしれませんが、
2月には梅、4月には桜、5月には花菖蒲、11月には菊など、
権力と文化の象徴として古くから愛でられてきた花の展示会や
品評会が結構開かれています。
大きなお城があった所なら、節句に花を飾るのは昔の権力の象徴
だったとしても不思議ではありません。
徳川園の冬牡丹は、もしかしたら遠い昔にここでお殿様が、本物の
寒牡丹を見て居たものを、現代にその形だけでも何とか残そうと、
毎年飾っているものなのかも知れないですね。
ニコッと検索で “徳川園 牡丹” と検索しますと、上から10個目
位のところに
寒さ耐え咲く 徳川園で「冬牡丹」 : 愛知 : 地域 : YOMIURI ONLINE
と言うニュース記事がご覧になれ、ニコットの検索を利用することで
Cコインが5ポイントあなたに加算されます。 (´ω`)
フォローありがとうございます。
自分の住んでいるところって意外と知らない事多いですよね。
ヤツフサも知らない事だらけです。
けめこ様もヤツフサに色々教えてくださいませ。 <(_ _)>
何時も楽しいし、知らない事がいっぱいなので
気になさらないでくださいね<(_ _)>
札幌に住んでいるのに、知らないほうが恥ずかしいですよ(@_@;)
調子に乗っていつも変なことばかり書いてすみません。 <(_ _)>
札幌の語源は 「サッ・ポロ・ペッ」(乾いた・大きな・川) とか言われて
居たような気がします。
ヤツフサは札幌と聞くと、食べ物の事しか頭に浮かばないので、
とりあえず 札幌ラーメン とかはやめようと思って、考え抜いたあげく
に思いついたのが 札幌に語感が似ている サッチポロ でした。
なんとなく書いてしまったことなので、まったく意味はありません。
失礼しました ><
ございます(*^-^)
サッポロの語源↓なんでしょうか??
ラジオで時々アイヌ語講座を聴いていますが
難しいです(@_@;)
じつは・・・
徳川邸が出来たのは、多分家康の死後です。 (^_^;)
たしか二代目藩主が隠居の際に建てたものだと思い
ますが、家康公は体が弱かったので薬を自分で調合
して居たのは有名ですから、その意思を組んで植えられて
居たかも知れないですね~
お城のお姫様は飲んでいたかもしれませんw
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
権力の維持の為といいましょうか、歴史、文化、書物の伝承保管には
どこのお殿様も気を使っていた事でしょうね。
犬山城の最後の頭首もお城の文献の保管の為に、明治以降権力を
失った後も出版社になって、歴史書の印刷発行を行いながら原本の
保存に力を入れていたみたいです。
残念ながらバブルがはじけて会社は倒産したみたいですが、原本は
現在でも残っているそうですよ。
そう言う意味で花も歴史文化の1つとして継承されているのだとしたら
とてもすごいことだと思いますが、本当かどうか確かめた事がありません。
お城にはお姫様も居たでしょうし、城外には簡単に出られなかったでしょう
から、お姫様もご覧になっていたのでしょうね~
と想像が膨らみますw
冬牡丹そのものが何故徳川園に飾られているのかは
よくわかりませんでした。 (´・ω・`)
札幌は書物に記述された歴史は少ないかも知れませんが、
ずっと人は住んでいたわけなので、探すと色々出てきそう
な気がします。 ただアイヌ語が解らないのでヤツフサ
には難しいかもしれません。 Orz
エ・エ・サッ・チポロ ヽ(゚ω゚=)
(干した筋子をお食べなさい)
~アイヌの伝承より~
だからいまいぬハーイヌよ、
サッチポロ(干した筋子)を食べるときは1粒づつお食べ、
サッチポロの食べ方で人か熊かわかるというものです。
牡丹の花びらを婦女子特有の痛みの緩和に用いたのだとしたら 優しい~~^^
お城って、ある意味隔離されてるから、 季節の花で、心を慰めてたのかもしれません。
それとも、茶道の影響かしら?
いろいろ想像できて楽しいですね^^
面白かったですよ♪
札幌は歴史の浅さを痛感しますね(@_@;)