子供時代の思い出
- カテゴリ:人生
- 2012/12/27 14:18:00
北海道の窓は私の子供時代から二重だった。
廊下は別だが、我が家では居間とか個人の部屋は二重だった。
その外側の窓が冬になると結露が凍って開かなくなる。
当時は掃除機などなかったので箒と叩きで掃除をする。
窓が開かなくなると叩きで掃除ができなくなるので
箒でゴミを玄関に最後は吐き出した後は
それまで叩きで誇りを舞ちらしていた所は水ぶきになる。
一期に掃除が辛くなる。
お湯を沸かしてぬるま湯いまでやり始めても最後は水になるし、
お湯を沸かしている間も面倒なので冷たい水でやり始める。
勿論私だけが掃除をするのではないが、
別に役割分担があるわけでも無いが
私は其れが嫌だった。
其処で凍りつく様な廊下の掃除を選んでやった。
拭き掃除でも細かい所が少ないし、
窓のさんは毎日拭き掃除をしなくても許された。
その窓のさんをしなくて良い時を私は選んで
さっさと廊下の拭き掃除を済ませて自分の分は終わりとした。
その後に窓に霜が付いて居るのに爪で掻いて絵を描いた。
それで廊下は誰がやったのかを家族は推測した。
で、現在もついにこの寒さであちこちの窓が凍りついてあかなくなった。
二酸化炭素の独特の匂いが家にこもる。
ふとその匂いで子供時代の窓があかなくなった家をの中を思い出した。
家族全員が長い嫌な冬が始まったと欝になる。
厳しい環境の現実に耐えるよりしょうがない。
住んで居る人達は過酷な環境です。
ですが、此処に住み続ける事は北海道をロシアから守ることでもあります。
歴史的にロシアは北海道を欲しがってきました。
アメリカが拒否をし続けています。
そう言う事を知っているのです。
北方4島もアメリカは納得していません。
しかし旧ソビエトは言う事を聞かなかったのです。
竹島も同じ歴史があります。
国際条約も無視して占領した者勝ちが第2次世界大戦後に起きているのです。
特に中国、旧ソビエトはそうでした。
同じように韓国もそれに便乗したのです。
どこも信用できな国の筆頭です。
其の歴史を日本のマスコミも伝えてこないという異常な状態の国が今の日本です。
沖縄、北方大臣がいるように過去に北海道も非常に乏しいので沖縄同様に援助の対象でした。
公共事業も含めて、開発費が出て居ました。
バブル崩壊後に多くの事業が頓挫して錆び付いたままほおって置かれています。
中国が東アジアの色々な国を占領して居ました。
ベトナムも含めて多くの国が島を軍事侵略されて取られていたのです。
日本を守る為に補助金を沖縄に一本化する事を飲まざる得ませんでした。
拓銀も潰されて、夕張も破綻するのを選択させられて、
沖縄に補助金が持って行かれました。
それ以外にも利権がらみで沢山のお金が見えない方法で日本国民の税金から
流れました。
其の色々な隠れた仕組みは多くの当時の大人の国民は日本を守る為と
我慢をして地元の錆び付いた途中で投げられた公共事業の後を見ながら
我慢をしました。
鉄道もたくさん配線になりました。
代替えバスの最初のうちと違って本数が減らされました。
それでも沖縄にはモノレールが作られて、大型水族館も出来ました。
辺野古にも移設が決まってからお金が行き続けました。
北海道は除雪費も減らされる始末で、事故が多発して行きました。
シャッター街の中、必死に観光で工夫に工夫を自分達でして
民間のチカラでほそぼそと生き続けてきました。
その間も沖縄は補助金で生活保護も多いです。
私達から見れば遊び半分で日本国民の金で暮らしているように見えます。
冬のスポーツ(私は寒がりなので1度もスキーなどした事がありませんが)をするのに
雪を求めてみんな行きますが、住んでいる人達は、暖房、雪、交通手段・・・全て冬は大変ですね。
お体に気をつけて過ごして下さいねo(^-^)o
男の人の車での仕事をしてないのなら、都会は割と快適です。
ただ田舎になるとバスで病院へ行くお年寄りは冬は辛いです。
私もそうですが、持病の薬は12月の末に3ヶ月分をもらってきます。
この次は3月に行く事になるのでそれほど長期に出すのは北海道の特徴だと思います。
(勿論冬場以外はひと月分しかくれません)
昔は掃除と言えば叩きと箒と雑巾がけでしたね。
今は掃除機と100円ショップで買ってきた棒の先に細かい紐がいっぱい付いた布を付けたやつで
掃除機の後に拭きます。
色々な種類があってあれで拭いて終わりで楽になりました。♪
家事は圧倒的に楽になりましたね。
子供時代は家の掃除の手伝いは当たり前でしたね。
自分の部屋は当然ですが、玄関か、廊下か、階段は子供の仕事でした。
我が家ではどこを何時やっても良いのですが、どこかはやらなきゃならなかったので
一番楽な廊下の掃除が好きでした。例のよつんばいになってだだだっと走る奴です。
窓のさん拭きは一が付く日だったと思います。
流石に廊下の窓のさんは数が多いのでその日は玄関用の箒を妹と取り合いになりました♪
妹は今でも掃除になると喧嘩していじめられたと言ってます。(´▽`)V
娘からの電話が「凍死してないかい?」である。
電話に出ているので生きているのだが、お互いに「さむいさむい」でいかに自分の家が寒かを
言い合って終わる。
手袋を二重にしました。5本指の手袋の上に「ぼっこ手袋(親指以外は一つになっている手袋)」を
履きます。
帽子をかぶった上におしゃれじゃなくマジにフードをかぶります。
今はあったか下着ができたので2枚重ねで来ます。昔と全然違います。
その上にフリースを二枚重ねで来ます。
外に出ない限りは何とかお陰さまで生きて行けます♪
あったか下着(ヒートテック)を開発した人には抱きついてブチュー(´ε` )をしたいくらいです♪
北海道の冬の厳しさを感じました。
寒さの厳しさの程度を別とすれば
清掃のイメージは、私の子ども時代ともつながります。
現代の北海道の冬は、どんな感じなのでしょう?
私も一度も北海道に行ったことがありません。
私は本州から出たことがないので想像つきません。
これから長い冬も本番ですね。
どうぞご自愛なさってください。
そうそう、雑巾の匂いで小学校の掃除当番の机ふきを思い出します。
後は真っ黒になった木の窓のさん。
古い家の誇りの匂いも昔の思い出です。
戦後の昭和はおもしろかったですねぇ。
九州と言えば、色々なフルーツが入ったアイスクリームがあるそうで、
それを一度は食べて見たいと思います。
九州を旅行した妹がそれを何時も自慢するので♪(´▽`)
ゆきは、九州から出たことないのでちょっとでも雪が降ると喜んでしまいますが、北国では、そうもいかないでしょうね。。。(*_*)
ちなみに ココの寒さでも辛いでつ。。。←
唯一開くのが最後は玄関だけになるのです。
となりの猫がいつもの調子で入り込んで唯一開く玄関を閉められて
自分の家に帰れなくなって玄関にうずくまってしょんぼりしていたのを思い出します。(^O^)
どうやら、どこか抜け道の屋根裏の板が緩んでいた所も凍り付いた様です。
本当に瀬戸で出来た置き火鉢の周りで家族が気を失っているのを
近所の人が助けてくれた事がありました。
玄関の鍵も開いていたが幾ら読んでも返事がない。
遠くに行くので最後の挨拶にと付け届けと置き手紙でもと中に入ってきて
火鉢の周りで家族が倒れて居るのに気がついた。
その人が来なければ、家族全員其処で死んでいたそうです。
炭は本当に怖いですよ。