あかし
- カテゴリ:勉強
- 2012/12/25 23:55:34
シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。
見よ、あなたの王はあなたの所に来る。
彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。
すなわち、ろばの子である子馬に乗る。
ꔫ 旧約聖書 ゼカリヤ 9章9節
そしてオリブという山に沿ったベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、
ふたりの弟子をつかわして言われた、
「向こうの村へ行きなさい。そこにはいったら、
まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。
それを解いて、引いてきなさい。
もしだれかが『なぜ解くのか』と問うたら、
『主がお入り用なのです』と、そう言いなさい」。
そこで、つかわされた者たちが行って見ると、果して、言われたとおりであった。
☧新約聖書 ルカによる福音書 19章29-32節
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神様は、私の救い主にお告げになりました。
「わたしの代理として、右の座について治めてくれ。
わたしは敵を征服し、おまえの前で土下座させよう。」
ꔫ 旧約聖書 詩篇110篇(ダビデの詩)
その後、神殿の境内で教えておられた時、イエスはこうお尋ねになりました。
「ユダヤ教の教師たちは、どうして
キリストがダビデ王の子だと言いはるのですか。
ダビデ自身が、といっても、
ほんとうは聖霊がダビデを通して語られたのですが、
こう言っているではありませんか。
「ユダヤ教の教師たちは、どうして
キリストがダビデ王の子だと言いはるのですか。
ダビデ自身が、といっても、
ほんとうは聖霊がダビデを通して語られたのですが、
こう言っているではありませんか。
『神が私の主に言われた。
「わたしがあなたの敵を
あなたの足台とするまで
わたしの右に座っていなさい。』
ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、
どうしてキリストがダビデの子でありうるでしょうか。
どうしてキリストがダビデの子でありうるでしょうか。
☧新約聖書 マルコによる福音書12章35-37節
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しかし、このことを信じる人はなんと少ないことでしょう。
いったいだれが、耳をすまして聞くでしょう。
神様はだれに、救いの力をお示しになるのでしょう。
神様の目から見れば彼は柔らかな若芽のようで、
不毛の地の根から芽を吹き出したのです。
ところが私たちの目から見れば、人目をひくものは一つもなく、
好意をいだかせるものも一つもありません。
私たちは彼をさげすみ、のけ者にしました。
彼は悲しみの人、人生の苦しみをなめ尽くした人でした。
私たちは彼に背き、そばを通ってもそっぽを向きました。
彼が侮られても、そ知らぬふりをしていました。
ところが、彼が背負い込んだのは、
実は私たちの悲しみであり、彼を押しつぶしたのは、私たちの嘆きでした。
私たちは、彼がそんなに苦しむのは、
罪を犯して神様に罰せられているからだと考えていました。
しかし実際は、私たちの罪のために傷つき、血を流したのです。
彼は私たちに平安を与えようとして、進んで懲らしめを受けました。
彼がむち打たれたので、私たちはいやされました。
私たちは神様の道を踏みはずし、羊のようにさまよい出て、
自分勝手な道を歩いてきました。
ところが神様は、私たち一人一人の罪を彼に負わせたのです。
彼は痛めつけられ、苦しみ、悩みました。
それでも、ただのひと言も口にしませんでした。
子羊のようにおとなしく屠殺場へ引いて行かれ、
毛を刈り取られる羊のように、
非難をあびせかける者たちの前に黙って立ちました。
実は私たちの悲しみであり、彼を押しつぶしたのは、私たちの嘆きでした。
私たちは、彼がそんなに苦しむのは、
罪を犯して神様に罰せられているからだと考えていました。
しかし実際は、私たちの罪のために傷つき、血を流したのです。
彼は私たちに平安を与えようとして、進んで懲らしめを受けました。
彼がむち打たれたので、私たちはいやされました。
私たちは神様の道を踏みはずし、羊のようにさまよい出て、
自分勝手な道を歩いてきました。
ところが神様は、私たち一人一人の罪を彼に負わせたのです。
彼は痛めつけられ、苦しみ、悩みました。
それでも、ただのひと言も口にしませんでした。
子羊のようにおとなしく屠殺場へ引いて行かれ、
毛を刈り取られる羊のように、
非難をあびせかける者たちの前に黙って立ちました。
ꔫ 旧約聖書 イザヤ書 53章1-7節
さて、イエスは総督(ローマの総督)の前に立たれた。
すると総督はイエスに尋ねて言った、
「あなたがユダヤ人の王であるか」。
イエスは「そのとおりである」と言われた。
しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、
イエスはひと言もお答えにならなかった。
するとピラトは言った、
「あんなにまで次々に、
あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞えないのか」。
しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、
イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。
さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、
ゆるしてやる慣例になっていた。 ときに、バラバという評判の囚人がいた。
それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、
「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、
それとも、キリストといわれるイエスか」。
彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、
ピラトにはよくわかっていたからである。
また、ピラトが裁判の席についていたとき、
その妻が人を彼のもとにつかわして、
「あの義人には関係しないでください。
わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。
その妻が人を彼のもとにつかわして、
「あの義人には関係しないでください。
わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。
しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、
イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。
総督は彼らにむかって言った、
「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。
彼らは「バラバの方を」と言った。
ピラトは言った、
「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。
彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。
☧新約聖書 マタイによる福音書 27章