萩へ行ってきました。
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2012/12/08 14:28:24
12月1日(土)・2日(日)
のことですが、
山口県萩市へ行ってきました。
山口県萩市は
1600年、関ヶ原の戦いで敗北した西軍・毛利輝元が移封され、
萩へやってきたところから時代が始まります。
何もなかった土地に輝元&家臣達が土木開拓を行い、
萩の基礎を作り上げました。
時が経ち、江戸幕末、
萩では天才児・吉田松陰が現れました。
世界情勢が変わりつつあると見込んだ松陰は
日本各地を回り、日本の現状をこの目で見て確めてきました。
萩へ帰った松陰は見てきた日本の現状を家族・親戚・近所の人に話し、
武士・農民関係なく萩の人々は松陰の話を聞きました。
いつしか寺小屋(松下村塾)の師範に任命されると、
教え子達は日本を変えてやると奮闘し、
明治時代になれば
教え子達は近代社会の基礎を作り上げたのです。
今回旅行で訪れた場所は
12月1日(土) 1日目
萩城跡
↓ 1604年に毛利輝元が築いた城
毛利輝元:毛利元就の孫にあたり中国地方の広大な領地をもっていたが、
関ヶ原の戦いの敗北より領地を取られ、萩にやってくる。
いい人らしい。
天樹院墓所
↓ 天樹院(毛利輝元が崩御された後の名)のお墓。
天寿院の他に正室・殉死した家臣長尾元房も眠っている。
田中義一銅像
↓ 萩出身で26代内閣総理大臣・田中義一の像。
田中義一時代では立憲民政党が結成・第1回普通選挙が行われている。
広場に立てられていたが、何故ここに建てられているのかは不明。(資料不足)
菊屋住宅
↓ 藩御用邸の町家で将軍様がこられたとき、宿泊する場所。
江戸時代に暮らした生活感がそのまま残っている。
こと事
↓ 旅行本に載っていた民家カフェ。
萩焼のお皿に盛られた手作りカレーを食べた。
木戸孝允旧宅
↓ 木戸孝允(桂小五郎)が生まれた家。
ここで20年間過ごした。
木戸孝允(桂小五郎):
長州藩士。尊皇攘夷運動を展開し、薩摩・西郷隆盛と薩長同盟を結んだ。
青木周すけ旧宅
↓ 青木周すけ一家が住んでいた家。
弟の研蔵が隠した埋蔵金が平成5年に発見されて驚かれた。
青木周すけ:周防大島にいた凄腕の医者。
当時の藩主毛利敬親によって召しかかられ、萩にやってくる。
青木研蔵:周すけの弟。シーボルトの元で医学を学び、
天然痘にかかった高杉晋作を治した実績が残っている。
円政寺
↓ 同じ敷地内に神社とお寺がある珍しい神仏一体社。
大きな天狗面があることから、物怖じしないように、
高杉晋作は小さい頃よく連れてこられた。
高杉晋作誕生地
高杉晋作が生まれた場所。
見た目は平屋だが、実は2階建てだという裏話しがある。
高杉晋作:長州藩士。尊皇攘夷運動を展開し、民兵奇兵隊を組織。
第2次長州征伐で幕府を破る
12月2日(日) 2日目
松下村塾
↓ 玉木文乃進が自宅で開いていた私塾
玉木文乃進→久保五郎左衛門→吉田松陰と師範が継承される。
吉田松陰が師範の時は、教え子に高杉新作・伊藤博文・久坂玄瑞など
長州維新志士が多くいる。
玉木文乃進:長州藩士。吉田松陰の叔父に当たり、自宅で作った寺小屋。
松下村塾の師範であった。
吉田松陰:長州藩士。兵学を学び、日本各地を遊学。
松下村塾で新政府を担う人材を育成するが、
安政の大獄で処刑されてしまう。
松陰神社
↓ 松陰の教え子たちが感謝の意をこめて作った神社。
学問の神とされている。
伊藤博文旧宅・別邸
↓ 旧宅 伊藤博文が6歳の頃家族一同で越してやってきた家。
別邸は、初代内閣総理大臣となってから建てられた。
当時、職人の技術を総集めした贅沢な家。
伊藤博文:長州藩士。立憲政治の確立して初代内閣総理大臣となった。
大日本帝国憲法・立憲政友会・韓国併合など尽力してる。
展望台
↓ 萩市全体が見渡せる展望台。
展望台から見える日本海では俳優・松形弘樹が巨大マグロを捕って優勝したとか。
吉田松陰誕生の地・お墓
↓ 吉田松陰が生まれた場所。建物は残っておらず、跡地しかない。
昭和天皇が訪れた石碑がある。
お墓は実際に眠っているのは東京であり、
萩のお墓では松陰の一部・髪の毛が納められている。
松陰のお墓の周りには、松下村塾の生徒達もここで眠っている。
東光寺
萩藩藩主3代・5代・9代・11代が眠っているお寺。
なお、偶数の藩主は大照院で眠っている。
何故、奇数・偶数で分かれているのかは日が昇る・沈む方向にお寺が建築され
日の昇る時・沈む時に拝めば先祖供養となるではないかのとんち。
感想
萩は観光客がいるにもかかわらず
とても静かで時間の止まった心地よい場所でした。
町並みは夏みかん畑がずっと続いており
白い堀・緑の木々に黄色い夏みかん。
色合いがとても美しい。
また、萩の方たちはとてもフレンドリーで
「萩へよう来たwよう来たw」
と笑顔で出迎えてくれて
当時の歴史を色々と教えていただけました。
あと皆地元・萩が大好きなんだな~と実感しました。
萩市ではだんだん人が少なくなっているのが悩みだと聞き、
萩へお嫁に行きたいと思ってしまうことも(笑)
萩へまた訪れたいですが、
さすがに片道4時間は疲れます。
あとグニャグニャ山道を通らねばいけませんので、
乗り物酔いも覚悟していかないといけません。
(車に弱いため、強烈な車酔いに襲われて、体力消耗激しかった)
今回旅した教訓は
・萩へ行くときは必ず酔い止め薬を持参すること
・大事なものは和紙に来るんで名前を書くこと
↑青木周すけ邸に訪れた時、
埋蔵金が1つ1つ和紙に包まれて名前が書いてあったので
和紙に墨で名前を書けば、何十年経っても消えることはない。
とガイド役の叔母ちゃんが教えてくれた。
車酔いでの体調不良は想定外でしたが
とても楽しい旅でした。
来年も益々仲良く遊んでほしいです~ヽ(*゚∀゚)人(゚∀゚*)ノ
元気でステキな年を迎えてネ☆。゚+.(人-ω◕ฺ)゚+.゚
お節作りながらの訪問です~♪
友達巡回すてぽお届け中でーす^q^
…というわけで、ステキボタンをぽちっとな...w
個人的にグッと来たのは、カレーon萩焼皿~☆
中国地方は城跡と城下町がセットで残ってるトコ多くて羨ましいです^^
以前は、宇喜多氏関連の史跡めぐりしたので、次は毛利か尼子、もしくは大内関連で回ってみたいな~
ねこ社長のお母さんが亡くなりました。
会葬に行ってきます。
ご冥福をお祈りください...........
風景が目に浮かぶようです。
ありがとうございます。
時が止まったような静かな佇まいの街ですね
できるなら永住したいと真剣に思いましたw
森鴎外のお墓に行ったんですが。。。
文豪のお墓にしてはと思った思い出が^^;
そして乙女坂で雨に降られて
小さなお店のご主人が
温まれと出してくださったおでんが
いまでも忘れられません^^
もう一度行ってみたい街です^^
私はまだ全然年賀状書いてません><
墨は水性インクであるにもかかわらず
一度乾けば水に浸してもにじみません
和紙も、現代の紙が100年もたてば
変色し、ぼろぼろになってしまうのに対し
1000年以上たっても劣化しない優れた紙です
現代の紙とインクで書いてあったら
残らなかったでしょう
わたしは最近まで
萩は瀬戸内海側だとばかり
思っておりました(^^;
ぜひ行ってみたいと思います
お嫁にww
街並みが綺麗ですよね。
松下村塾に行った憶えはあるのですが、
その他にどこにいったかとんと憶えておりません^^;
高杉晋作さんは私の大好きな幕末の偉人です。
私の住むところの近くには
高杉晋作が幕府の追ってをのがれるために
隠れていた場所があるんですよ^^
著名な方々がたくさんいるんですね~^^
蘭丸さんのブログを読んで行ってみたい場所になりました^^
町並みも当時のままの所が結構残っていると聞きますから、景色もすごくなごみそうですね。
この萩から近代日本を作り上げる頭脳が輩出していたことを考えると、ホントにすごいことですよね!
東光寺で書かれた太陽を拝むという考え方は、萩藩主のご先祖である戦国大名毛利元就が生涯続けていたという太陽信仰(毎日朝日を拝んでいたそうです。)にあやかっているのではないかと思います。
おぉ~ウチ歴史意外とスキなんで
行ってみたい・・・(*n´ω`n*)
前職で山口の会社と取引してました。
出張行きたかったなぁw
でもちょっと怖い。
以前、親父が○○○県に社員旅行に行って、タクシーに乗ったんですよ。
で、運ちゃんに
「お客さん観光客だね?どこから?」
と聞かれ、出身地を言ったら
「敵じゃー!!!~~~(方言で分からん)降りろ!」
って、赤信号の交差点で下ろされたと、ブチ切れて帰ってきました。
この現代に、まだそんな事言ってるのか。と。
一つ一つ丁寧に見学していますね。
萩市はよく小学生が修学旅行で行くところです。
勉強しようと思ったらいっぱいできるところですね。
乗り物酔いがつらかったでしょうね。