唯一の出した自称証人が言う事が変わる。
- カテゴリ:四川省
- 2012/11/25 10:20:27
四川省 で遊びました。
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唯一出して来た従軍慰安婦の言う事がコロコロ変わる。
『李容洙(イ・ヨンス)
【2002年6月26日】「しんぶん赤旗」::
「14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられた」。
「拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけた」。
【2004年12月14日】に京都の市民集会での証言:
1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。
移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。
その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、
抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの暴行を受けた。
【2006年10月13日】「埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議」:
「15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、
敗戦で解放されるまでの3年間」の経過を証言した。
【2007年4月27日】「慰安婦問題で在米韓国人ら抗議デモ ホワイトハウス前で」:
「私は15歳の時に拉致された。まわりの女性は誰も売春婦のようにはお金をもらっていなかった」。
【2007年4月28日】にハーバード大学:
「16歳の時に強制連行され、2年間日本兵の慰安婦をさせられた」。
「日本兵に足をメッタ切りにされ、電気による拷問を受けた」と証言している。
姜日出(カン・イルチュル)
【2007年9月3日】毎日新聞:
姜さんは1943(昭和18)年、まだ16歳だった時に「工場で働かないか」と
だまされて中国の牡丹江などの「慰安所」へ連行された。
「無理やり連行されたのに、金のためにやっていると言われて傷ついた」などと涙ぐみながら話した。
また、「腸チフスにかかった者は山に連れて行かれ、穴の中で生きたまま焼かれた」
などと声を詰まらせながらも強い口調で証言した。
【ナヌムの家歴史館ハンドブック】:
慰安所に来た翌年の春に腸チフスにかかり、高熱が続き、食事も摂れなくなってしまった。
1945年初夏の頃、軍人に連れられて車に乗せられて山のふもとに行くと、すでに薪を積み上げ、火を燃やしていた。
しかしそのとき、朝鮮人たちが日本の軍人と乱闘のすえ、ハルモニを背負って逃げた。
【2007年3月13日】北海道新聞:
従軍慰安婦だった韓国人の姜日出(カンイルチュル)さんが、
自宅から日本の官憲に連行される様子を帯広市内で本紙に語った。
「カーキ色の服を着た軍人と、黒っぽい服を着て腰にサーベルを付けた巡査に
両腕をつかまれ、トラックに乗せられた」。
▼十六歳だった。そのまま慰安所に行かされた。いま七十九歳、道内各地で証言を続ける。
釧路の集会では、安倍首相が「官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はない」
などと「狭義の強制」を否定したことに、憤りの涙を流したそうだ。
【2004年12月5日】毎日新聞:
旧日本軍の「慰安婦」にされた姜日出さん(75)=韓国籍=を招いた証言集会「消せない記憶」
(12・4 全国同時証言集会・福岡実行委員会主催)が4日、福岡市早良区の西南学院大学であった。
約200人の聴衆は、60年以上前の悪夢を語り、現在の小泉政権の危うさを訴える姜さんの言葉に耳を傾けた。
証言によると、姜さんは14歳のころ「慰安婦リスト」に掲載されたことを知り、
小学校をやめて親せき方に隠れ、連行を逃れた。
だが、実家に戻ったところを巡査に連れ去られ、中国で慰安婦にさせられたという。