Nicotto Town


❖ Aʀᴇᴀ 51


アブラハムが先か、イエスが先か

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すると、彼らはイエスに言った、
「あなたの父はどこにいるのか」。

イエスは答えられた、
「あなたがたは、わたしをもわたしの父をも知っていない。
もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、
わたしの父をも知っていたであろう」。


さて、また彼らに言われた、
「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるであろう。
そして自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所には、
あなたがたは来ることができない」。

そこでユダヤ人たちは言った、
「わたしの行く所に、あなたがたは来ることができないと、
言ったのは、あるいは自殺でもしようとするつもりか」。

そこで彼らはイエスに言った、
「あなたは、いったい、どういうかたですか」。



イエスは彼らに言われた、
わたしがどういう者であるかは、
初めからあなたがたに言っているではないか。

あなたがたについて、わたしの言うべきこと、さばくべきことが、たくさんある。
しかし、わたしをつかわされたかたは真実なかたである。
わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである」。


イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、
「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、
ほんとうにわたしの弟子なのである。
また真理を知るであろう。
そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。



そこで、彼らはイエスに言った、
「わたしたちはアブラハムの子孫であって、
人の奴隷になったことなどは、一度もない。
どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。


イエスは彼らに答えられた、
「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。
そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。
だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、
ほんとうに自由な者となるのである。


わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。
それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。
わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。
わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、
あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。


彼らはイエスに答えて言った、
「わたしたちの父はアブラハムである」。

イエスは彼らに言われた、
「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。
ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、
殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。
あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。

彼らは言った、
「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。
わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。


イエスは彼らに言われた、
「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。
わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ
」。


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ユダヤ人たちが言った、
「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。
アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。
それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも
死を味わうことがないであろうと、言われる。
あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。
彼も死に、預言者たちも死んだではないか。
あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。


イエスは答えられた、
あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。
もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような
偽り者であろう。しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。

あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。
そしてそれを見て喜んだ」。


そこでユダヤ人たちはイエスに言った、
「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。


イエスは彼らに言われた、
「よくよくあなたがたに言っておく。
アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。


新約聖書 ヨハネによる福音書 8章19-58節から 

#日記広場:勉強

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2012/11/06 20:59
✜茉莉香✜様の 貴重なコメント、今回も勉強になりました。有難うございます。<(_ _)>
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2012/11/06 20:23
私も自分が怖くなることがありますよ^^
それが、信者としての感覚なのでしょう。
誰でも罪の誘惑に常にさらされている弱い者ですが
「私の力は弱さのうちに現れる」と主は言ってくださっています。

「死に至るまで忠実に」歩むのが目標です。
歳を重ねると体が弱くなり、心もかたくなになってしまうようなので
これからよくよく気を付けていきたいと思っています。
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2012/11/05 21:59
✜茉莉香✜様 有益なコメント有難う御座います。

自由・・・確かに僕自身はたまに、「自由は何か危ない言葉だ」と思っていますが。
でも、自分はまだ反発をしている段階です。まだまだ未熟ですよね。
そしてたまに自分が怖くて悲観的になる時も多いです。

キリスト教の禁止事項・・・多いです。モーセの十誡が代表的ですね、

モーセの時からイエス様当時のユダヤ人が従った禁止事項は、
全て「613」の旧約聖書に書いておる命令(ミシュナ)中、「365」項目です。
当時のユダヤ人にさえ、それはとっても難しいので
表面積だけで守る振りをしたから(バリサイ人)、それをイエス様に看破されたという・・・

使徒パウロの言う通り、人間的に旧約による613項目で救われるのは「絶対無理」に見えます。
せめてイエス様のことを信じ、天国に行くことが最も望ましいでしょう。w
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2012/11/05 20:55
「自由」という意味はとても難しいと思います。
私は子どものときから神様を信じていたけれど
クリスチャンになると「あれをしてはいけない、これはしてはいけないetc・・・」
禁止事項が多く、これから長い人生を自由に生きられないと嫌になり、反発もありました。

聖書の言う「自由」とは罪からの解放、罪の奴隷でなくなること
教えを受けていたけれど、若い時はよくわかりませんでした。
洗礼を受け、信仰が深まれば深まるほど罪に敏感になり葛藤は続きます。

当時のユダヤ人はそのような葛藤はなかったのでしょうかね。



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