アブラハムが先か、イエスが先か
- カテゴリ:勉強
- 2012/11/05 20:29:24
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すると、彼らはイエスに言った、
「あなたの父はどこにいるのか」。
イエスは答えられた、
「あなたがたは、わたしをもわたしの父をも知っていない。
もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、
わたしの父をも知っていたであろう」。
さて、また彼らに言われた、
「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるであろう。
そして自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所には、
あなたがたは来ることができない」。
そこでユダヤ人たちは言った、
「わたしの行く所に、あなたがたは来ることができないと、
言ったのは、あるいは自殺でもしようとするつもりか」。
そこで彼らはイエスに言った、
「あなたは、いったい、どういうかたですか」。
イエスは彼らに言われた、
「わたしがどういう者であるかは、
初めからあなたがたに言っているではないか。
あなたがたについて、わたしの言うべきこと、さばくべきことが、たくさんある。
しかし、わたしをつかわされたかたは真実なかたである。
わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである」。
イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、
「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、
ほんとうにわたしの弟子なのである。 また真理を知るであろう。
そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。
そこで、彼らはイエスに言った、
「わたしたちはアブラハムの子孫であって、
人の奴隷になったことなどは、一度もない。
どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。
イエスは彼らに答えられた、
「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。
そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。
だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、
ほんとうに自由な者となるのである。
わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。
それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。
わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。
わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、
あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。
彼らはイエスに答えて言った、
「わたしたちの父はアブラハムである」。
イエスは彼らに言われた、
「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。
ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、
殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。
あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。
彼らは言った、
「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。
わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。
イエスは彼らに言われた、
「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。
わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ」。
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ユダヤ人たちが言った、
「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。
アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。
それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも
死を味わうことがないであろうと、言われる。
あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。
彼も死に、預言者たちも死んだではないか。
あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。
イエスは答えられた、
「あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。
もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような
偽り者であろう。しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。
あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。
そしてそれを見て喜んだ」。
そこでユダヤ人たちはイエスに言った、
「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。
イエスは彼らに言われた、
「よくよくあなたがたに言っておく。
アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。
それが、信者としての感覚なのでしょう。
誰でも罪の誘惑に常にさらされている弱い者ですが
「私の力は弱さのうちに現れる」と主は言ってくださっています。
「死に至るまで忠実に」歩むのが目標です。
歳を重ねると体が弱くなり、心もかたくなになってしまうようなので
これからよくよく気を付けていきたいと思っています。
自由・・・確かに僕自身はたまに、「自由は何か危ない言葉だ」と思っていますが。
でも、自分はまだ反発をしている段階です。まだまだ未熟ですよね。
そしてたまに自分が怖くて悲観的になる時も多いです。
キリスト教の禁止事項・・・多いです。モーセの十誡が代表的ですね、
モーセの時からイエス様当時のユダヤ人が従った禁止事項は、
全て「613」の旧約聖書に書いておる命令(ミシュナ)中、「365」項目です。
当時のユダヤ人にさえ、それはとっても難しいので
表面積だけで守る振りをしたから(バリサイ人)、それをイエス様に看破されたという・・・
使徒パウロの言う通り、人間的に旧約による613項目で救われるのは「絶対無理」に見えます。
せめてイエス様のことを信じ、天国に行くことが最も望ましいでしょう。w
私は子どものときから神様を信じていたけれど
クリスチャンになると「あれをしてはいけない、これはしてはいけないetc・・・」
禁止事項が多く、これから長い人生を自由に生きられないと嫌になり、反発もありました。
聖書の言う「自由」とは罪からの解放、罪の奴隷でなくなること
教えを受けていたけれど、若い時はよくわかりませんでした。
洗礼を受け、信仰が深まれば深まるほど罪に敏感になり葛藤は続きます。
当時のユダヤ人はそのような葛藤はなかったのでしょうかね。