ほら、アイヌは先住民族じゃ無かった。
- カテゴリ:30代以上
- 2012/11/01 12:17:12
遺跡からして、縄文時代が万年単位で古いのだから
アイヌは後から来てもともと日本に居た縄文人とのかけ合わさったんだよ。
其れを「先住民族」と言って詐欺じゃない。
自分達が恥ずかしくないのかと思う。
私達は子供時代から縄文式土器や縄文人を勉強して来たから
北海道の歴史を小学校時代に地域の歴史として習って来ていたから
其の後アイヌが其れを言いだした時は「嘘つき、歴史を捏造した恥知らず」と
見ていたけどね。
科学的に既に縄文人代の分析は出来ていたからね。
しかも北海道の縄文時代は北海道全域に広く住んでいた。
北海道全部を小学校や大きな建物を建てる度に深く掘ると
常識時だの色々出て来ているからね。
どこどこに住んでいたと言うよりは北海道全域と言う方が近いよ。
アイヌがオホーツク文化と繋がっているのなら、
紀元前に旧約聖書に書いて在る通りにその中の最初の
北方ルートの神を持って渡って来た人達なんでしょう。
そして北海道担当の部族、或いは種族だよ。
旧約聖書にはサハリンからのルートが最初は何とか歩いて渡れた。
次に行った時は木の船で渡れた。
数年後は船で渡るのは危険で別のルートを探さなければならなかったとある。
そして南のルートを開拓して、どうしても日本に渡って来た。
だから宝物殿が今特別に開かれて当時の何度も渡って来た人達の
ペルシャの物が沢山残っている。
出エジプト記をきっかけに世界に広がった人達の一部だよ。
此れは旧約聖書を戦後研究して解っている事なのに
例の日本には其の情報はまたまた例の如く隠された。
『アイヌ、琉球は縄文系=本土は弥生人との混血―日本人のDNA解析・総研大など
日本人を北海道のアイヌ、本土人、沖縄の琉球人の3集団に分けた場合、縄文人に起源があるアイヌと琉球人が近く、本土人は中国大陸から朝鮮半島経由で渡来した弥生人と縄文人との混血が進んだことが確認された。総合研究大学院大や国立遺伝学研究所(遺伝研)、東京大などの研究チームが、過去最大規模の細胞核DNA解析を行い、1日付の日本人類遺伝学会の英文誌電子版に発表した。
アイヌと琉球人が同系との説は、東大医学部の教官を務めたドイツ人ベルツが1911年に初めて論文発表した。頭骨の分析では、狩猟採集生活の縄文人は小さい丸顔で彫りが深く、約3000年前に渡来し稲作をもたらした弥生人は北方寒冷地に適応していたため、顔が平たく長い傾向がある。
http://www.nicotto.jp/blog/writeblog
』
アイヌの人達は日本国民として世界に恥ずかしいから「先住民族」を外してよね。
「歴史を捏造した嘘つき」は世界で一番許されない事。
特に神を信じる国では在ってはならない事。
★神を否定する事
★歴史と文化を否定する事
アイヌは「先住民族」に落ちる事によって、守ってきた神を否定したのよ。
歴史と文化を否定した。
そして悪魔になった。地獄の国の使いでしょ。
「熊祭り」熊を誰にささげてからみんなで食べるのよ。
昔は天高く神にささげていた。
日本人と同じ様に神棚も家に在った。
日本人より大切に朝な夕奈に神棚に手を合わせた。
「先住民族」と言う前のアイヌはそうだった。
「神棚」の神様に対する敬意の心があるから
アイヌを差別など北海道人がするわけが無い。
唯日本のだんだんできて来た西洋化の日本の法律が
アイヌの狩猟で生活する事が出来なくなった。
その代わり、ちゃんと開墾すると十分な平地を与えられた。
詰り普通の家の平均の3倍の土地を与えられた。
だから賢いアイヌの人達は3つに別けて日本人に二つ貸して家賃で食べた。
所が農地法で北海道の開拓を一生懸命最初の時にして
後から来た人に小作人として其の土地の一部を貸した
此の厳しい環境で苦労した人達と同様に自分達の土地以外を戦後の法改正で
取られてしまった。
詰り、アイヌの人と北海道開拓に一番苦労して、厳しい環境で苦労した人の
土地が取られてしまったのだ。
後から小作人として入った来た人達はある程度開墾された平地を借り受けたのだから。
我が家も父がまだ戦争から帰って来なかったので、
祖母が身内を連れて何とか守れる所しか残らなかった。
それでもまだ良い。
シベリア抑留で夫が帰らなかった多くの家は
幼い子供を抱えた母親と祖母が自分の家の周りで精いっぱいだった。
殆どを勝手に住み着いた「奴ら」に取られた。
彼らは言う荒れ地を自分達が作物が取れて税金を払える土地にしたと。
母方の祖母の家は税金の徴収が来ていたので無事だと思っていた。
所が同じ様に税金の徴収が来ているので無事だと思っていた人が
其処に住みついた人に取られて居る事に気が付いて
弁護士さんとそれぞれの元の地主を調べて連絡が来た。
税金を二重取りしていたので、何らかの手を打たなかった。
其れなら、息子夫婦に住まわせたのにと悔しがっていた。
幾らでも戦争から返ってきた身内が沢山いたのにと・・・。
でも可笑しなほうりつが在って其処に何十年住んでいると
其の土地の上の権利が付く。
しかし問題はそれ以上に税金を彼らは払っていた。
国のミスなのに、しかも払った税金も帰って来ない。
農地法と家賃を貰って無かった事で、裁判で勝つのは難しいとの事。
戦争で嫁さんと子供だけになるので、本州の実家に嫁さんと子供を
預けて戦争に行った地域の人達だ。
戦争から帰って来ると父親が死んでいたので家業を継いだが
北海道からは税金の徴収が来ていたので払い続けていた。
アイヌの人達も土地を与えられた土地を三つに分けて全部かしていた
人達は生活が出来なくなった。
そしてアイヌの御爺さんが教えてくれた伝承を破って
「この地を離れて 交えたは行けない血を交えて、神を裏切る。
其の人達は神の罰が下る。」
それは私は教えて貰った神の天罰より一つ多かった。
★で、今日の北の歌。
「霧の摩周湖」布施明
http://www.youtube.com/watch?v=Irpk9gpz8R8
観光バスで遠くに止まります。
殆ど霧で見えません。あの辺りに湖がありますと言われます。
↓大体こんな感じです。
http://www.google.co.jp/imgres?q=%E6%91%A9%E5%91%A8%E6%B9%96&start=351&hl=ja&sa=X&biw=1366&bih=648&tbm=isch&prmd=imvns&tbnid=56a0lTnspBDPzM:&imgrefurl=http://www.mapple.net/photos/H0000056486.htm&docid=NF8MemktrAb8DM&imgurl=http://image.mapple.net/img/user/00/00/05/64/H0000056486.jpg&w=640&h=480&ei=OhuSUMH7A4aGmQXy14CYBw&zoom=1&iact=hc&vpx=423&vpy=251&dur=6068&hovh=194&hovw=259&tx=120&ty=141&sig=104351322567833077728&page=18&tbnh=150&tbnw=196&ndsp=22&ved=1t:429,i:196
冬は吹雪で足元も危ないです。
冬の晴れた日に崖の下の原野の中に見えます。
夏に偶然行って見えるのは奇跡です。
何度も行って偶然見えてすぐに霧が押し寄せて見えなくなりました。
外見だけを見るとうちの親戚中色々な国だらけですよ♪
第一、父親が銀魂ですからね。背が高くて体が大きくて若白髪でテンパーです。
掘りは深くて外国人とのハーフの様ですよ。
でも日本人です。
本州の祖母系の親戚は皆そうでした。
父系の祖父系の親戚は炭の様に黒い人が多かったです。
母系は女優さんに成れるような美人姉妹の家でした。
元々は東京の目黒辺りにまとまっていましたが、
北海道が開けてから其々が手に職をつけてから来た人達です。
北海道が開拓し終わってから来た人達で、
徳川方、尊王攘夷派でも無く、多くの侍が職を失って手に職をつけたのですから。
唯、一見に遊びに行った時に無造作に槍が立てかけて在って、触ろうとすると怒られました。
其の家の子供があちこち穴だらけにするので本州の本家に引き取って貰ったと聞きました。
近所にはアイヌの人と結婚した家も在って、
遊んでいると夕方神棚に手を合わせる時間だと言って呼びに来てました。
その時だけ、早く帰るので遊びが途中になるので、違和感を感じましたけど。
例えば仕事場にイスラム教徒の人が入っていて、
仕事の途中に夕方の祈りの時間だと言ってさっさと別の部屋に行って絨毯を引いて祈りを
始められる様な違和感でしょう。
私も貴方は日本人なの?と言われますよ♪
本当に良く言われます。
日本人とかけ離れた顔達ではありません。
アイヌの方の様にあの白い肌で在りません。
良くアイヌのおばちゃんのふくよかな白い手で顔をなでて貰いました。
「私もおばちゃんの様に白くなる?」と聞くと哀しそうな顔をしてましたが、
抱きしめて何度もなでてくれました。
アイヌの御爺ちゃんは「アルプスの少女ハイジ」に出て来る様な髭をしてました。
髭をなでるのが好きでした。肌は白かったです。
その事を聞いて診ました。みんな同じ日本人でアイヌも日本人も色々だそうです。
色々な国を通って日本に付きましたからね。色々いるのでしょう。
私の親戚は少なくとも戦国時代からの日本人ですが、
浅黒い人も居れば、母は色白の美人で外国人の様に綺麗な足をしていたので
身内には美形が多いですが。
私は父や祖母と同じ様な大根足にずんぐりむっくりです。
性格がいじけたのか居直ったのか、大雑把で五時脱字を後で見返しても
余り直さない様な所なのかは解りませんが、日本人ではと聞かれます。
努力して有能で真面目に人の何倍を勉強をして良い大学に入って
成功した在日の人に庇われる事もあります。
私もきょとんとしていますが、向こうも「日本人にも・・・」 と言う言葉を言われた事が在ります。
「大根足」 は親戚で父系の中にたまに出て「あだ名」になってます。
親戚が集まった時に同じ「あだ名」で驚きました。
彼女は色が黒いので「黒大根」私は唯の「大根足」です。
石もぶつけられましたよ。近所の糞がきに。
追いかけて行ってそれ以上大きな石で捕まえて叩きましたけど。
待ち伏せて一人ずつ、怠慢で喧嘩して誤らしました。
凄かったらしく、其の待ち伏せ場がちょっとした名物に。
血だらけで返しましたので♪
壮絶な虐めの話は過去に書きましたので改めては書きません。
親戚の一部には炭の様に黒い肌も居て目鼻立ちが整っている人も居ますよ。
背は高いしモデルさんになるのかと思っていましたが、写真家の奥さんになりました。
男の人は皆背が高い、精悍な顔裁ちが多いですよ。
外国人の様な顔も居ますよ。何か?
中学の頃には、黒人のドラマから「ルーツ」と言われて苛められました。
成人になっても見知らぬ年配から「(アンタは)日本人なの?」と訊かれたこともあります。
私が言われた「土人」の意味は、黒人のようです。
私は日本人とはかけ離れた顔立ちをしています。
従兄弟たちも皆そうです。
アイヌ語は インド、ヨーロッパ語に文法的に近いとされています。
文字もペルシャからシルクロードに分布した少数民族の隠された文字に近いとされています。
現実に私はアイヌの御爺さんの家の木のスプーンに傷が付いて居るのをみました。
其れに
『1940年の二風谷アイヌ集落を記録した
鷹部屋福平の「毛民青屋集5・6」の資料整理
http://www.lib.scu.ac.jp/bulletin/20120331/kenkyuhokoku9.pdf
』
↑この中に鳥居の様な建物と出てきます。
何故数千年前からのアイヌの建物に鳥居が在るのですか?
アイヌ文化が日本にできた頃の日本はどんな時代でしょう。
12世紀の日本は伊勢神宮(その前は別の名だったかも)が力を持って来た時代。
鎌倉時代、南北朝時代。
アイヌ文化が出来る前は北海道は素通りして行って、
アイヌの人達は北海道地区を受け持って神を守る事を任務とした。
で、明治維新後にアイヌは見直されて、其の後其の為に色々在ったが
狩猟禁止の代わりに良かれと思って平均の3軒分の平地を用意したのに
当時の政府と闘いになった。
その事を子供時代に聞いた私はブちぎれてアイヌの御爺さんの所に文句を言いに行った。
「怠け者」ってね。日本人が耕せば、立派な作物が育つ豊かなしかも開墾された平地。
でも、お互い事情が解って仲直り。
そして土地を取られた者同士でどうしたら良いかと。
働いてもすぐやめて帰って来る物が続出。
本州に行きたいと言うの物が出て来たので部族の長が集まっての会議が開かれる。
御爺さんは反対の意見を言うと言っていた。
其れはアイヌの血の伝承が在るから。
で、御爺さんが神を裏切った物への天罰を教えてくれた、
私も代々伝わっている神道の神様を怒らせた怖さの天罰を言った。
アイヌの御爺さんの方が1つ多かった。
シベリア抑留を知ったのをきっかけに大挙して彼らは来て
狙って住み着きました。
夫が帰って来た時は周りの土地は殆ど取られて家の周りの土地を耕しながら
小さくおびえて住んでいた妻子がいたのは良く子供時代に聞きました。
法律的には在ってますから、誰にも文句は言えませんでした。
また、戦中に戦争に借りだれた時に妻子を本州の本家に映して
土地を残して行った地区もありました。
詰り北海道を開拓した時に藩ごとにまとまって来ていた地区が多かったので
其の地区で決めてそうしました。
戦後本州に其のまま住み着いて税金が来ていたので無事にあると思っていたら
勝手に住み着いていた大挙して組織的に住み着いた在日の人達に
その地区が取られていた事実も現に母方の祖母が其の地区にも土地を
持っていたので、其の人達から其の事実を知らされました。
弁護士さんに相談しても彼らの住民票をその時に届けて税金を払って来ているので
勝ち目がないと言われました。
小作人に取られたのではないのです。
そう言う歴史が北海道にあります。
此れも事実です。
中標津で気になる事件があります。
『日本の将来
警察や地域でもみ消された数々の事件 大津いじめ事件だけではない
今回の大津いじめ事件のように警察が地域の権力者や学校、在日の顔色を伺い、殺人事件であってもまともな捜査をしなかった事件は過去にもたくさんある。
中略
◆中標津町・木村悟くんオートバイ変死事件
釧路地検は2006/10/17、再度の不起訴処分を決めたが、未だ疑問が残る事件。
平成11年10月22日、高校2年生だった北海道根室支庁中標津町、木村悟君(当時16)が行方不明になり、3日後の25日に標茶町西標茶の町道脇で遺体で発見される。
事件は、悟君がオートバイを運転中、路外に逸脱し、立木にぶつかって、頚椎骨折により死亡したとして、解剖されることなく急いで処理された事件。
何者かがいじめでリンチ死させたものを事故に偽装
◆木村くんのメガネは衝突したにもかかわらず無傷で見つかる。
◆死因は「頚椎骨折」となっているが体には一切の外傷がない。
◆君バイクごと立木に衝突して死亡したというのに、手、足、体などに外傷が全くない。
◆現場には血痕すらない。
◆路上にブレーキ操作をした痕跡はない。
◆被っているはずのフルフェイスのヘルメットが脱いだような状態になって遺体のそばに置かれ、着用しているはずの軍手や靴、靴下が不自然な形で脱ぎ捨てられていたが、即死した人間がそういうことできるはずがない。
◆法医学鑑定によれば、死体の状況から死因は「頚椎骨折」ではなく、「腹腔内蔵器損傷による失血死」ではないかとの考えが示された。
略
http://cahotjapan.blog103.fc2.com/blog-entry-1884.html
』
北海道の明治維新後ではなく、戦後の歴史があります。
シベリア抑留に多くの北海道出身者が連れて行かれました。
其の為に戦後行った農地法の時に北海道には
夫がシベリアに抑留されて帰って来ない家が沢山ありました。
其の為に全ての農地に作物を作る事が出来ず
在れたままの土地が沢山ありました。
其処に在日の人が勝手に住み着いても誰も追い出してくれませんでした。
そしてその土地を取ったのです。
大抵は子供時代は戦後ですからね。
自分がどこから来たのかは知って居ましたよ。
そして日本人、在日朝鮮人かもね。
北海道に沢山はいって来ましたから。
大抵の子供達は自分達が何者かも知って居ますよ。
其れが北海道の歴史でしょう。
アイヌの人達がその時は差別など受けて居ませんでしたよ。
嘘をついて歴史を捏造して、神を否定した今はどうかは解りません。
私も見る目が違いますから。
差別ですか?「嘘つき」「神を裏切った」とそれだけです。
日本人に対しても同じですよ。同じ言葉を言ったら「差別」ですか?
アイヌは「先住民族」な訳が無いでしょう。
日本全土に居た縄文人が先住民族ですよ。
昔のアイヌは立派な日本人です。
今は何だか解りません。
何で「先住民族と言いだしたのですか?」ある時期突然に。
其れはもともと一緒に住んでいた人達から見れば????どうしたんだろう?の世界でしたよ。
子供時代に北海道の真ん中あたりに子供時代に行くと熊を居りに入れて飼っている家がありましたよ。
「熊祭り」で皆で殺して神に天にささげてからみんなで食べるのだそうです。
此れって、旧ユダヤのヒツジを神にささげて食べる儀式と似てますよね。
フ~ンと子供時代は見て居ました。
北海道に日本中から観光客が来る様になって
動物愛護の観点から批判されて中止になりましたけど
復活したそうです。
でも熊の肉に何に感謝して最初にささげるのですか?
昔は神にささげるのだとアイヌの御爺さんから聞きました。
そしてそれは日本人の神道の神と同じだと教えられました。
でも「先住民族」だと違いますよね。
貴方がアイヌだとしましょう。
可笑しいですね。土人と呼ぶ呼び名を北海道の人が使ったと言うのですか?
アイヌなら元は北海道のどこかはちゃんと部族で決まっていますよ。
住んでいる地域が。
子供時代にあちこちに山菜取りに言ったし、休ませても貰ったし、
迷子に成らない様に子供は其の付近の家に預けられてアイヌの人の家の
御爺さんのおひげをこっそりさわったり、大きな背中にくっついたりしましたから。
まだ本州にアイヌの人が誰も行く前です。
貴方は先祖はどこから来たのかは重要な事ですよ。
此の北海道を明治維新後にどう言う人達が開拓しましたか?
まさか、網走番外地の様に犯罪人とかが?
其れは極一部ですよ。
最初の殆どがどこから来たのは北海道の歴史に取って誰が其れを忘れる物ですか!
明治維新で負けた徳川方の侍の二男、三男が其の藩でまとまって屯田兵として
使われたのです。
映画「北の零年」で其の一端が出て来るでしょう。
北海道に伊達と言う所が在ります。あそこは伊達藩が受け持った地域です。
それ以外にも沢山ありますよ。
どれだけ過酷だったのかは想像は付くでしょう。
其の中でアイヌの人達の立場はどうだったのか、尊王攘夷派ですよ。
その前に江戸時代に幕府の命令で松浦武四郎が蝦夷地に幕府の命令で
アイヌの人の案内で調査に入ってます。
アイヌの人の言った地名を其の儘書いてます。
だから北海道の地名にアイヌ語が在るのです。
そんな事は当然です。
その前に幕府の命令で色々な藩が北海道でロシアから守る為に基地を作って居ました。
アイヌの人達に対するひどい仕打ちが在った事を武四郎は本に書いて出版しようとしますが
江戸幕府は止めます。
しかし明治政府は許可しています。
明治政府とアイヌの人達は同じ位置にいたのです。
其れは神道で解ります。
詰りアイヌの人達は北海道に住んで家の建て方も神棚も守り続けていたのです。
アイヌは柱を作って壁を作ってその上に屋根を乗せる家です。
アイヌの人が明治政府の命令で神棚を作ったとでも?
違いますよ。
神棚は私が見せて貰いました。それぞれの家に千年以上伝わっている物です。
作り方もお供え物も、見せて貰いました。
忘れましたが、いくつかの伝承も聞きました。
正に「血の伝承」です。
子供だから血が交える事が解らなかったので指でも切って血を出してお皿の上で混ぜるのかとききました。
そうでは無いのです。結婚して血を交える事を禁止の伝承が在ったのです。
北海道に留まって神を守る。この地を離れると神を裏切る血の伝承が在ったのです。
戦後、土地を失って食べれなくなったアイヌの人達が仕事についても
長続きしなかったのを見ている。
日本人が日本人に嘘をついた人に「嘘付き」と 行って差別になりますか?
★では日本人が日本人では無い人に「嘘付き」と言って差別に成ったら、それは何ですか?
◎此れは日本人に対する逆差別じゃないですか?
北海道の歴史を常識として認識していますか?
北海道で縄文時代は何年からありましたか?
約紀元前10000年前に旧石器時代がありました。
その後から北海道の縄文時代が始まります。
紀元前5世紀ごろに縄文時代と並んでオホーツク時代があります。
アイヌ時代は縄文時代と並んでその後に出てきます。
それでもアイヌは「先住民族ですか?」
下の年表を見て下さい。
北海道を時代別に分けると、旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代となります。縄文時代までは本州と同じで、弥生時代に移行せずに独自の文化を築いたのが北海道です。
『 北海道先史時代のまとめ
http://pucchi.net/hokkaido/history/history_senshi.php
』
↑此れは科学的な縄文土器を分析しての資料です。
「縄文と古代文明を探求しよう!
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/02/000737.html
』
縄文人は日本全土に広がって住んで居ました。
次にオホーツク文化について説明を読んで下さい。
アイヌ文化より前にありました。
『オホーツク古代文化浪漫
http://www.okhotsk.org/news/kodaibunka.htm 』
↑此れで日本人のルーツは北方ルート説の一つの解析にもなって居ます。
此処にも再度年票がありますので見て下さい。
アイヌは「北海道の先住民族」ではありません。
「嘘付き」はゆるしませんよ!!
徹底的に許しません。
歴史の捏造は許されません。
北海道に住んでいて此れだけある縄文文化に触れて無いのですか?
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200111/1119_01.html
戦中、戦後、北海道に入って来た人達がいます。
あえて「奴ら」と書きましょう。
彼らは夫がシベリア抑留で耕せなかくて荒れた農地を勝手に住み着いて小屋を建てて
其処に政府が決めた月数を居てその土地を法的に取りました。
夫が長いシベリヤ抑留で帰って来た時は妻と子供達が近くの畑を耕して生き延びている状態でした。
男手が無いと言う事はこう言う事でもありました。
其処に付け込んで入り込んで土地を取った「奴ら」が居ます。
其の人達がした事でしょうか?
其の人達の神は何なのでしょう。神道ですか?
神道で在るかどうかが大きな問題です。
日本人は神道ですから。宗教は仏教とかキリスト教とかありますけど。
我が家は神棚が在って仏壇が在る家ですけど。
其の状況をもっと詳しく知りたいですね。
其処に本質で出てきます。
この問題のアイヌの御爺さんが言って居た伝承の言葉です。
「神のいない人の血」です。「混ぜてはいけない血」
私は最初は其の伝承の意味が解らなかった。
其れが今日に繋がっている事の本質です。
私は其の「奴ら」に怒り心頭です。
人が居る限り差別は無くならない???
小学生でも土地を耕す手伝いをさせられてますからね。
秋には固い土地を鍬で一つでも土を剥がします。
その作業は知ってます。草を取らないと栄養が雑草に取られるのは小学生でもやって居る物には常識です。
アイヌの御爺さんに「怠け者!」とののしりましたよ。
其れなのに「やせた土地をよこして」とアイヌの人達は暴動を起こしたのですよ。
御爺さんは誤りました。だけど誰も農作業を教えてくれ無かったと言った。
其れも悪いと思わない。どっちもどっちで手打ちにしました。
其の御爺さんの残した一つの土地も草ぼうぼうで私が「こんなの見た事が無い。何なの!?
怠け者の家と言って怒られるわよ、ちゃんと今度来る時まで草むしりをしなさい」と言ったけど
差別ですか?
私に取っては日本人にも言いますよ。誰にでも当時は言ったと思いますよ。
私の周りでは其れが普通ですから。
其れと仕事の要領の悪い人は周りでも怒られていましたよ。
何でも差別にするのですね。それが正しい?
具体的にどんな差別でしょう。
私の子供の頃は尊敬の対象でした。
現在62歳。生まれた時から北海道です。
近所ではアイヌの人が住んでましたよ。
また、複数のアイヌの人の家に山菜取りに子供の時から行って
大人が山菜を取っている間は適当に入って行ってお話をしてましたよ。
サンタクロースより立派な白いひげの大きな御爺さんで気を削って居ました。
神様の話をいっぱいして、神棚も私を持ち上げてみせて貰いましたよ。
唯一心を痛めたのは沢山の農地を貰ったのに農作業をしなかった事。
其れを貸して家賃が十分得られたので働かなくなった事。
その時のトラブルも知ってますよ。
最初にアイヌの人は秋の土の耕しをしなかった。草取りもしなかった。
種だけを植えたら、草に栄養が取られて小さな野菜しか取れなかった。
荒れ地をよこしたとアイヌの人が怒った。
そこで土地を日本人に貸すとそこでは沢山の野菜が実った。
まず「荒れ地を渡したのでは無いのです」その事を私はアイヌの御爺さんに文句を言いましたよ。
「怠け者って!」 此れって差別ですか?日本人にも言いますよ。同じ事をどこが差別ですか?
御爺さんは言い訳をしました。
「狩猟をして木の実で神様が与えてくれた物を取って生活をして来て
秋に耕す事も草を取る事も知らなかった。
土地を与えられたが農作業を教えて貰えなかった」とはっきり言いました。
じゃ、どっちもどっちで手打ちにしました。御爺さんと子供で仲直り。
でも、其の後に土地を貸して地主にアイヌの人がなりました。
御爺さんに私が良く在ったのは其の後の戦後の土地が取られた時。
3つに別けたうちの二つだけ貸していた所は自分の家の土地の財産が残りました。
3つに別けて3つとも貸していた家は全部戦後の法律で小作人に取られてしまいました。
我が家も沢山の土地を取られましたから、
アイヌの人達と哀しみが一緒でお互いに共有できてその話を大人達はしてました。
生活の糧が無くなったアイヌの人達の事ですが、
初めての仕事についてなかなか容量が解らないアイヌの人達の事ですか?
其の前に貴方はどこからいつ北海道に移って来たのですか?
私の子供時代はアイヌの人との混血の人も近所に住んでいて、
夕方家族で神棚に手を合わせる時間に呼び来られて返って行きました。
我が家は朝だけ。
朝な夕なに2回はイスラム教見たいですね。
私がアイヌの御爺さんと話して色々聞いたのは今の「先住民族」になり下がった
アイヌの人達より本当のアイヌに詳しいかも知れません。
沢山の種族と言うか色々在ってナイフの形も違っていて、
其のナイフの使い方も親から子へ伝承して行く為に毎日木で色々な物を削って居ました。
其の使い方にも意味がありました。
私が教科書に載らなくなったからと祖母から交渉で伝えられた神話もアイヌの御爺さんと一緒に
復唱しました。
言葉は違うけど同じ意味で、二人で確かめ合いました。
今、其れを知ってアイヌの「先住民族」だと言っているアイヌの人達と全く違います。
祖母が解説した日本の神話と同じでした。
アイヌの御爺さんは土地を全部人に貸していて大家として遊んで暮らして居たアイヌの人達が
生活が出来なくなって、手に職もつけて無くて、仕事を求めて本州に行くのを
伝承に私に教えて嘆いて居ました。
そして神を裏切った時には自分はもういないと正しい道に戻してやる俺がその時はいないと泣きました。
御爺さんの気持ちは胸に沁み込んで行きました。
大切な伝承「この地を離れて、混ぜてはいけない血を混ぜて、神を裏切るだろう」。
アイヌは此の地で神を守る為にこの地に留まった。
其の約束をたがえた。あの約束をたがえた。
私達の祖先も「北の零年」 の映画の様にギリギリの中で此の北の大地を開墾してきました。
祖母が鍬を持って切り株と石をどけて、耕して増やして来た土地です。
ある程度できる様になると後から来た人に貸して、また新しい原野に挑みました。
アイヌの人には当時の政府が作物が育つ既に切り開かれた平地を渡されました。
ちゃんと覚えていますからね。祖母がその事を知って私に教えてくれた。
しかも平均の3倍の土地を与えた。
所が其れを秋に耕さないで、種をまいた。草取りもしなかった。
農家に貸すと見事な作物がなって土地代が入った。
その時、大地主の大家ですよ。
しかし、時代とだけの言葉で片付けるのにはもともとの土地の
所有者にしてみれば腹立たしい事この上無いでしょうね・・。
何かの番組で強制的に何年もその土地を使っていたら
そのひとのモノになる・・的な内容を聞いた事があります。
のたもたさんの書いている事になるのだと思います。
戦後・・・私の実家も強制的に土地を取り上げられて周りの人たちに
分配されるような事があったと聞いています。
かなりの土地を切り刻む様に取り上げられて他人のモノにされました。
戦後の混乱期に、何が正しかったのか・・・私にははっきりと言える事
ではないですが・・・。税金の事といい・・・その件は国が責任をもって
解決をして行くべきだと思います。
それこそ、中・韓に援助するお金があれば東北や、或いはそういう点の
間違い正しでお金を使うべきのような気がしますね。