マリヤとラザロ (長文注意)
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- 2012/10/13 22:58:30
さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、
マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの人であった。
このマリヤは主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって、
病気であったのは、彼女の兄弟ラザロであった。
姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、
「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。
イエスはそれを聞いて言われた、
「この病気は死ぬほどのものではない。
それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって
栄光を受けるためのものである」。
イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
ラザロが病気であることを聞いてから、なおふつか、
そのおられた所に滞在された。それから弟子たちに、
「もう一度ユダヤに行こう」と言われた。
弟子たちは言った、
「先生、ユダヤ人らが、さきほどもあなたを石で殺そうとしていましたのに、
またそこに行かれるのですか」。
イエスは答えられた、
「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。
この世の光を見ているからである。しかし、夜あるけば、つまずく。
その人のうちに、光がないからである」。
そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、
「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。
すると弟子たちは言った、
「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。
イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、
弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。
するとイエスは、
あからさまに彼らに言われた、「ラザロは死んだのだ。そして、
わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。
それは、あなたがたが信じるようになるためである。
では、彼のところに行こう」。
さて、イエスが行ってごらんになると、
ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。
大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、
マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、
マリヤは家ですわっていた。
マルタはイエスに言った、
「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、
わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、
神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
イエスはマルタに言われた、
「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
マルタは言った、
「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
イエスは彼女に言われた、
「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、
たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、
いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
マルタはイエスに言った、
「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、
神の御子であると信じております」。
マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、
「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。
これを聞いたマリヤはすぐ立ち上がって、イエスのもとに行った。
イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。
マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、
マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、
彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。
マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、
その足もとにひれ伏して言った、
「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、
わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。
イエスは、彼女が泣き、また、
彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、
激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた
「彼をどこに置いたのか」。
イエスは涙を流された。
するとユダヤ人たちは言った、
「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
しかし、彼らのある人たちは言った、
「あの盲人の目をあけたこの人でも、
ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。
イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。
それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。
死んだラザロの姉妹マルタが言った、
「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
イエスは彼女に言われた、
「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
人々は石を取りのけた。
すると、イエスは目を天にむけて言われた、
「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。
しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、
あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
こう言いながら、大声で
「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。
すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。
イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
マリヤのところにきて、
イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。
実に賢明な御目ですね!
僕もそこまで思われなかったのです。
確かにイエス様はあの3人をその深い愛も無く選んだのではありませんね。
それは現代を生きて行く私達とは勿論、今は側にいない方々とも
主は前からともに嘆き、人々が落とした多くの涙を感じていましたでしょう。
ここの箇所のテキストを読んだり、礼拝メッセージを聞くと
彼ら彼女らの不信仰を嘆いたからだと言われています。
でも、私は違うような気がしてならなかったのです。
数か月前、ここを読んだとき思ったことがあります。
イエス様はマルタ、マリヤ、ラサロの3人を深く愛しておられた。
そして、ご自分が十字架にかかる前に、自分は死に打ち勝つことができることを示すためには、
誰かが一度死に、そしてキリストによって生き返えらなけばならなかった。
その誰かとして選ばれたのはラザロだった。
深く愛されてる故に、この苦しみを耐えることに選ばれてしまった。
大きく深い苦しみを悲しみに必死に耐えるマルタとマリヤを見て
主はその苦しみをよくわかっておられた
彼女らの弱さをよく御存じだった。
愛するものを一時的にでも苦しみを与えたことに主は心の動揺を覚えのかもしれない。
私たちは苦しみの意味に向かい合わなければならない。
主は私たちの弱さをよく御存知で、憐れんで励ましてくださっている。
東日本大震災を受けた意味
愛するものを失う意味
苦難を受ける意味
どうしてですか?わからないです。もう耐えられないと嘆く私たちに
主はともに涙を流してくださっていると思うのです。