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TAKEのつぶやき


☆清河八郎と新撰組結成

清河八郎は徳川幕府の終焉を予想し、尊皇攘夷の運動をスローガンに活動を開始します。そして、文久二年(別の説もあるそうです)に清河を盟主として山岡鉄太郎らとともに尊皇攘夷党である「虎尾の会」を結成しています。

その後、文久三年二月、将軍・家茂は上洛する事になり、清河が発案し結成された浪士組はその前衛として京都への出発を命じられます。そして、清河は浪士二百三十四名と本部役員三十名を京都に引率するのですが、京都に到着すると清河は浪士隊を壬生の新徳寺に集め、浪士組の目的は将軍警護ではなく尊王攘夷の先蜂にあると演説し一同に血判を求めました。その翌日、八郎は浪士の中から優秀な六名を学習院に出頭させ、建白書を受け取ります。しかし、浪士組から離れた近藤勇らによって清河と山岡鉄太郎の暗殺未遂事件が起こります。また、浪士組に反発した近藤勇や芹澤鴨らが中心となって新撰組が結成されることになります。

このような浪士組の動きに不安を抱いた幕府はすぐに江戸に呼び戻します。しかし、八郎は江戸に戻ってからも浪士組を動かそうとするのですが、幕府により麻布一の橋のほとりで暗殺されました。享年34歳だったそうです。

清河の浪士組の結成が無ければ、新撰組も無かったんですね。




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