τι γίνεται με τον Μωυσή
- カテゴリ:勉強
- 2012/09/15 21:54:31
パリサイ人のある者は、
「そのイエスというやつは、神様から遣わされたんじゃないぞ。
安息日(日曜日)に仕事なんかしたんだからな」ときめつけます。
しかたなく、その盲目だった男に、
「おまえの目を開けてくれた人のことをどう思うか」と問いただしました。
「きっと神様が遣わした預言者ですよ」と男は答えました。
指導者たちは、男をもう一度呼び寄せ、きつく申し渡しました。
「イエスなんかじゃなく、神様をあがめなさい。 やつは悪党だ。」
「さあ、あの方が善人か悪人かは、わかりませんがね。
これだけは、はっきりしています。
私は今まで見えなかったのに、今は見えるんです。」
「だが、あいつは何をした? どうやっておまえの目を開けた?」
男はまたかと腹を立て、大声で言いました。
「そのことは、もう話したではありませんかっ!
お聞きにならなかったのですか。 もう一度言えとは、どういうことでしょう。
あの方の弟子にでもなるおつもりで?」
こう言われて、指導者たちは男をののしりました。
「なにっ、おまえこそあいつの弟子のくせに。 われわれはモーセの弟子だ。
神様はまちがいなく、モーセにお語りになった。
だが、あいつはどこの馬の骨かわかるもんか!」
☧ 新約聖書 ヨハネによる福音書 9章
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このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。
それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、
神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。
さて、イエスは彼らに答えて言われた、
「よくよくあなたがたに言っておく。
子は父のなさることを見てする以外に、
自分からは何事もすることができない。
父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。
なぜなら、父は子を愛して、みずからなさることは、
すべて子にお示しになるからである。そして、それよりもなお大きなわざを、
お示しになるであろう。あなたがたが、それによって不思議に思うためである。
すなわち、父が死人を起して命をお与えになるように、
子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。
よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、
わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、
またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。
よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、
神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。
そして聞く人は生きるであろう。
このことを驚くには及ばない。
墓の中にいる者たちがみな「神の子」の声を聞き、
善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、
悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、
それぞれ出てくる時が来るであろう。
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、
この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。
あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。
もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。
モーセは、わたしについて書いたのである。
代わりに神様は、イスラエル人の中から私のような預言者を起こされます。
その預言者の言うことを聞きなさい。 これはあなたがたが願ったことです。