☆三国志
- カテゴリ:その他
- 2012/09/15 00:03:59
三国志の中心人物である曹操と劉備は直接対決するまでに結構時間がかかりました。これは劉備が曹操の世話になることが多かったためです。
しかし、袁術の動きがきっかけになり、劉備は曹操の元を離れることになります。つまり、袁術は孫策から「伝国の玉璽」を入手していたので勝手に皇帝であることを宣言したので、その討伐に立ち上がったわけです(劉備にとっては願ってもない理由になりました)。
また、その袁術はやりたい放題をはじめたので、民衆は離れていくわ、有力な将軍も次々と離れていくわで、とうとう皇帝の座を譲ることを条件に袁紹に助けを求めるに至ったわけです。
しかし、その袁紹もなしのつぶてで、仕方なしに袁術は袁紹の元へ向かいます。そこで、この情報を入手した劉備は徐州で待ち伏せし、あっさりと決着をつけてしまいます。また、袁術は逃亡の途中で喀血して死んだとされています。
ところで、このことで勢いづいた劉備は曹操に反旗を翻します。また、袁紹と同盟を結ぶなどその勢力は膨らむ一方になりました。
しかし、曹操は自ら劉備討伐に立ち上がりました。そして、「劉備と同盟を組んだ袁紹ではあるが背後から攻めてくることはない」と読み、劉備軍に総攻撃をかけます。曹操はさすがの劉備より役者が一枚上だったわけで、劉備の妻子と腹心の関羽が捕らえられてしまうことになり、さらには張飛もはぐれてしまうことになりました。
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- りんご
- 2012/09/16 12:43
- へぇ~
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