Nicotto Town


❖ Aʀᴇᴀ 51


Πίστη επούλωση

そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。
大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。

さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。
多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、
その持ち物をみな費してしまったが、
なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。

この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、
うしろから、み衣にさわった。
それは、せめて、み衣にでもさわれば、
なおしていただけるだろうと、思っていたからである。

すると、血の元がすぐにかわき、
女は病気がなおったことを、その身に感じた。

イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、
群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。

そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫って
いますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。

しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。

その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、
みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。

イエスはその女に言われた、
「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。
安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。


新約聖書 マルコによる福音書 5章 21~34節

#日記広場:勉強

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2012/09/16 13:56
すみっち様 コメント有難う御座います。

はい、確かに不思議です。全然笑われることではありません。そのお気持ち分かります。
ですが実、重要なことは「着物にさわったこと」ではなくて
上記の女性が「心の中で神さまの事を信じて願ったこと」だと僕は思います。

当時のイスラエルでは病気にかかった人が不潔だと言われて隔離されることが律法でした。
もし感染者が公然と一般人と接触をしようとする場合、死刑になったことも多いらしいです。

この条件の上、彼女はイエス・キリストが神の御子ということを信じて
死の危険を甘受しながらも、
「たとえ服の一部でも触ってみると神さまが私のことを哀れんで慈悲をくださるだろ。」考えたという・・・

その彼女の心をキリストが読んでその切実な願いを、夢を適えた事だと自分は考えます。
(元々神さまはこの宇宙と動物と人間を作った存在ですから人の心が読めるのは当然のことですし)

結局、不思議なこと、ありえないことでこそ、神さまが行う奇跡だと言える証明であり
人間に出来る水準のことなら、いつでも誰かが真似ることができるし
この世の中に神さまが存在する必要が消えるのではないでしょうか。(長い文で失礼しました。)
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2012/09/15 23:50
こんなことを言うと、笑われるでしょうけど・・・。
着物にさわっただけで、長年の病気が治ってしまうとは、不思議です。



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