夏のある日
- カテゴリ:日記
- 2012/08/18 06:13:51
ときどき、夜明け前に起きてしまう日があります。
NHKのラジオ深夜便を聞いていたりして、また、寝ることができなくなります。
昔、早朝に牛乳やさんのガラス瓶の音がしたことを思い出しました。
いまも、朝6時に近所のお寺の鐘が聞こえてきますが、普段は、もう少し遅く起きているのでしばらく聞いていません。
「ひとには、仕事と愛する家族が必要である」と医師の鎌田實さんが書いていたのを思い出しました。
愛する家族はわかりますが、仕事は?と考えていたら、家族とともに生き続けることができるという未来への安心かな、と思いました。
黒澤明の「生きる」という映画をみたときに、志村喬演ずる主人公が、公務員で実直に働いてきて、子供も成人して結婚しているのに、「生きていない」と冒頭に紹介されます。
判で押したように、同じことを繰り返す仕事と家の往復、これは「生きている」とはいえないというテーマです。
主人公は、病気に罹患し、死に直面して「生き」始めます。
自分にできることを見つけるからですが、その場面で他人の誕生パーティと重ねて、バックに「ハッピバースデー」の歌を流します。
自分のできることは、仕事と連関します。
そんなことを思い出しながら、
わたしは、「自分ができること」と仕事と何を連関させようか考える朝でした。
優しいご主人と出会えてよかったですね。
子供が成長して、夫婦二人になったときも、
変わらず大事にしてくれそうです。
たいへんな子育ての時間の中でも、
ゆっくり周りを見回して、自分の位置を確かめて、
また、子供を育てる。
今が、幸せな時間の渦中ですね。
ベランダから、犬の散歩をする人、ジョギングする人を眺め、
「自分は、わたわたしてるけど、
あの人にも、この人にも、生活があるんだなぁ。。。。」なんて考えたり・・・。
鎌田先生の「いいかげんがいい」という本は、衝撃でした。
久しぶりに、本棚の奥から出して、読んでみようかな^^
私は、専業主婦で、旦那は海外で働いてます。
主人が稼いできてくれることに感謝し、
「子供たちを守ってくれていてありがとう」と言われ、
なんとか2年目です。
昨日は、長女2歳の誕生日でした^^
パソコンのスカイプで通話し、一緒にハッピーバースデーを歌いました♪
あったかい気持ちになれました^^
視覚を失うことは おそろしいことです。
人の情報の8割以上は視覚から得ているように思います。
私は、山に登りますが、視覚で得る情報だけではなく、風の音、鳥の声、葉擦れの音
イオウの匂い、草の匂い、気の香り、そんな情報も感動のひとつです。
それでも、視覚の情報は圧倒的です。
私の死に対する感覚は、母を失ってから強く感じるようになりました。
それは、肉体の衰えではなく、人が世界から去る順番のような感覚でした。
マルチェロマストロヤンニ氏主演だったような。
マルチェロマストロヤンニ氏は個人的に好きな俳優です。
年はもちろん違いますが、誕生日が同じ。
「ひまわり」から始まり「普通の1日」だったかな?とか。
元に戻りますが、「生きる」の中にどのような意味づけをするかによって「生きているかどうか」の感じ方が変わるのでしょうね。
最近「死」を身近に感じます。だからこそ「生きていることの奇跡」をしみじみ感じます。
生れた人間に必ず等しく与えられるものは「死」ですよね。
その「死」までの時間は人それぞれですが
「生きている」と感じない生活は
実にもったいないですよね。
ユミハは視覚重視で生きてきた人で、
見ることイコール生きることの様だったのかもしれないと最近感じています。
ですから老朽化してきた「目」に「死」を感じているようです。
美しい風景。
たくさん目に焼き付けたい。
出張の道すがら。
仕事合間のふとした風の動き。
そんなことで幸せを感じるユミハは幸せ者かもしれませんね。
クールに生きてきてつもりが
かなり「生きる」ことに執着を感じているらしい
そんなユミハですよ。
生き続けることが、目標を達成することができる秘訣ですね。
体調に気をつけて下さい。
だんだん、いろんなパーツが老朽化してきます。
大事に使いましょうね。
肝臓もね・・・
そうですね。
無理にむずかしく考える必要はないのでしょう。
意味を考えたいときがあるのが正直なところです。
が、目標なのだよね。
これでも一家の主の私の仕事は、現在 脅かされ 闘うしかないので緊張の連続なんよ。
でも、娘の笑顔、母のゆとりを維持する為に、どこまでも頑張れるよっ!!
その為にも 病にだけは侵されてはならない我が身だ。
ここ3年健診を受けてないので、最近ちょい慌て気分なり。
どっかで予約できる間をつくらないとなぁ〜〜。
不規則な家業なので、意識してないと つい我が身健診は先延ばし。
・・と、ほっといてほしいさんのブログで 志村喬さんの表情など思い出し
今回の健診はガン検診も入れるつもりだったので、早めに日程決めとこう!
と、重ねて 時分に言い聞かせたのでした。
thanks!!
努力しないで生きている人って、いないような気がします。
何もしていないように見える人も、
無意識に、 一生懸命 生きる事への努力をしているから
生きていられる・・ような・・・。
何かをしなきゃならない・・って、無理に考えなくても、
見つかった時に、それを すればいい・・・って
私は思いながら、日々 精進しているつもり・・です。 ^^
存在意義というのでしょうか。それが必要ですね。
植物に例えるなら土壌のようなものなのでしょうが、
それだけでは、不十分なのでしょう。
花開くためには、拡大と発展、冒険といった変化が必要なのかも。
何気ない日常は幸せだと思います。
普通に思うことが難しく感じるときがあるのです。
しがらみと、解放の瞬間に感じるのかも知れません。
受動、能動は、実は一体で、感じていることの表裏のように思います。
七面倒臭いことはわからん。息してることが「生きてる」こと
って言えるようになりたい、と思います。
二つがうまく連動していないと生活はできないと思います。
生きるためには生活をする。
生きて活動していかなといけないですね。
何気ない日常が一番幸せかもしれませんね。
「生きる」という事象は
能動
受動
2種類はあるんだな。
と、感じました。
生を受けたので
日々、生きています(受動)が
目的は何なのか?と考えたり
死を意識することで
生きるようになる(能動)のかもしれないですね。
なんて、思いました。
ノアは、能動より、受動の比率が多いです。
アホな私は、難しい話を考え始めたら即!眠くなってしまいます・・・zzz
諏訪中央病院の鎌田實先生にはお会いしたことがあります。
「がんばらない」という本、読んで泣きましたっけ。
黒澤明の「生きる」っていう映画は、見てないなぁ。
深いテーマのようですね。
浅はかで単純な私には「息してる」ことが「生きてる」ことです(-_-;)
息苦しいくらいの暑さです・・・
ごめんなさいね、アホなコメントで。
そうですね。同じことを続けても、続けていることに意義を感じているといいと思います。
好きなことを仕事にできるといいんですけどね^^;
同じことの繰り返しでもそれをずっと続けることは尊いことのような気もします^^;