福沢諭吉の「脱亜論」を改めて読んでみる。
- カテゴリ:30代以上
- 2012/08/17 19:19:19
『1885年3月16日、福沢諭吉が「時事新報」紙上に掲載した社説を「脱亜論」と呼んでいる
世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、草も気も此風に靡かざるはなし。
蓋し西洋の人物、古今に大に異なるに非ずと雖ども、其擧動の古に遅鈍にして今に活發なるは、唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。
故に方今当用に國するものゝ為に謀るに、此文明の東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども、苟も世界中の現状を視察して事實に不可ならんを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。
文明は猶麻疹の流行の如し。
目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延する者の如し。
此時に當り此流行病の害を惡て此れを防がんとするも、果して其手段ある可きや。
我輩斷じて其術なきを證す。
有害一遍の流行病にても尚且其勢には激す可らず。
況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや。
當に之を防がざるのみならず、力めて其蔓延を助け、國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。
西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開國を發端として、國民漸く其採る可きを知り、漸次に活發の氣風を催ふしたれども、進歩の道に横はるに古風老大の政府なるものありて、之を如何ともす可らず。
政府を保存せん歟、文明は決して入る可らず。
如何となれば近時の文明は日本の舊套と兩立す可らずして、舊套を脱すれば同時に政府も亦廢滅す可ければなり。
然ば則ち文明を防て其侵入を止めん歟、日本國は獨立す可らず。
如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の獨睡を許さゞればなり。
是に於てか我日本の士人は國を重しとし政府を輕しとするの大義に基き、又幸に帝室の神聖尊嚴に依頼して、斷じて舊政府を倒して新政府を立て、國中朝野の別なく一切萬事西洋近時の文明を採り、獨り日本の舊套を脱したるのみならず、亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は唯脱亞の二字にあるのみなり。
我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に亞細亞の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。
然るに爰に不幸なるは近隣に國あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云ふ。此二國の人民も古來亞細亞流の政教風俗に養はるゝこと、我日本國に異ならずと雖ども、其人種の由來を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺傳教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國三國相對し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、此二國の者共は一身に就き又一國に關してして改進の道を知らず。
交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風舊慣に變々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し。
我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。
幸にして其の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。
如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。
輔車唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。
例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。
之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然も殘忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮没するものに異ならず。
其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と云ふ可し。
左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。
惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。
我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。
『時事新報』1885(明治18)年3月16日
http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html
』
韓国では無く、中国の話ですが、ジャッキーチェンの映画で良く騙される場面が出て来るし、
「騙される方が悪い」と諭されていました。
中国大陸は朝鮮半島も含めて、慣習の様な物なのでしょう。
日本に武士道が在る様に、イギリスの騎士道が在る様に
中国大陸には策士、弱肉強食、覇権主義があります。
数千年もその中で生きて来た人達が日本人が沖縄で無くても自害しただろうと思われる様に
中国、朝鮮人もどの人も変わらないと思います。
恐らくキリスト教の中で数千年も生きて来た人に取って
敵に捕まる事を恥と思って自害を選択する等考えられないと思います。
同じ様に彼らが詐欺、陰謀、工作活動、虐殺も歴史から見れば当然なのかも知れません。
其の人達が日本に深く入り込んだ此の今の日本が
彼らを此の日本に入れた事が
此処まで日本が腐食された現状で
彼らの実態を思い知らされています。
日本だけでなく、多くの国も入れるべき人達では無いと其の国の為に思います。
今さっき、別のネットのサイトを見ていたのですが
諸外国で「韓国人は嘘つき」という評判が定着しているのだそうです。
テレビに出演する韓国の若い一般人が傲慢なのは知っていましたが、日本以外の複数の国で
嘘つきと言われているとは・・・
このサイトのこのニュース、どこまで信用していいのかはわかりませんが、あっちこっちででたらめなことをしているのでしょうね。
こういう輩にはそれなりのつきあいかたをする必要があるのではないかと思います。
腐りきったマスコミのテレビに出て司会をしている人たちの怪しさを見て下さい。
島田伸介があのテレビでやって居た芸人に絵をかかせて売ったお金の内訳を説明しましたか?
あの利益はどうなったのでしょう。
あの放送局はきちんとお金の計算書を国民に説明する必要があるでしょう。
幾らなんでも、あのままでは詐欺ですよ。
あいつが居なくなったと思ったら今度は誰が出て来たのですか?
何処かの芸人がまた二番煎じで利用されるのでしょうか?
東ちづるが何でコメンテーターに白々しい綺麗事を言って、
何を企んで其処に居るのかと思いますよ。
「ドラえもん募金」も此れだけ化けの皮を剥がされても未だに続けている其の厚顔には
怒り以上の物を感じます。
人の善意を利用して金を集めて、それが赤軍派と繋がっている連中に渡っても
使途がどれだけ不明で追及されても尚も続けらえる此の国の国民の惨めさです。
こんな国を未来に子供達に残して良いのでしょうか?
此の国を本当に脱亜をして、子供、孫たちに引き渡したいと切望するばかりです。
そして私達団塊の世代を過去に自分達がして来た事の罪滅ぼしをしてから死ぬべきです。
其れをしないで勝手に老後に入ってのうのうと今の人達のお金を貰って年金暮らしをする事は
余りにも無責任だと思います。
せめてもとに戻して、自分達のした事の責任を取るべきです。
私は民主党に入れて民主党政権を作った人達にも罪滅ぼしをすべきだと思っています。
責任を取るべきです。
そして民主党議員全員に責任を取らせるべきです。
どんなに彼らが今後、重罪に問われようと、きちんと責任を取らせるべきです。
はっきりと罪を暴き、彼らに其の罪の償いをさせるべきです。
其れをさせなければ彼らは絶対に悪を止めません。
日本から出す前に全ての財産を没収すべきです。
そして重罪の刑に処すべきです。
彼らを一人残らず断罪させなければ、次の世代に残すべき日本は無くなります。
ちゃんと人を見る目を持って居る人は見抜けたのですね。
朝鮮を併合等、頼まれても此の「脱亜論」を勉強してすべきではありませんでした。
其処に間違いが在ったのです。
ほおって置けば今のこんな事態は防げたでしょう。
世界もまさに朝鮮半島が中国に侵略されて、
あの毛沢東時代の大飢餓の時代に滅んでくれれば良かったのですよ。
更にキッシンジャーが日本の金を使って今の中国を作った。
どいつもこいつも罪深い、悪魔の使いですよ。
ほおって置けば旧ソビエトと同時に今頃は唯の砂漠になって居たでしょうに。
特亜が無くなった地球を考えて見て下さい。
どれだけ世界が平和だったのかと推測が付くでしょう。
モンゴルはあの大平原の中で二つに分けられずに今も多くの人々が草原の中を暮していたでしょう。
チベットも昔の美しい神秘の国だったでしょう。
トルメキスタンもまさに平和なイスラム教徒の国だったでしょう。
スーダンの悲劇も無かったでしょう。
アフリカの内戦も深く中国が関わっています。
其れも無かったでしょう。
全て中国の策謀が入り込んだ国が此の地球を蝕んで腐食しております。
アメリカもロシアもヨーロッパも其処に気が付くべきでした。
しかし彼らの過ち、そして日本の韓国併合の過ち。
全て中国、朝鮮を選んだからこそ、今の地球の苦しみが在るのです。
>交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風舊慣に變々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し。
>今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。
「東アジア共同体」 を実現し、域内諸国の通貨か共通通貨バスケット建てとか…
頭に悪い虫でも湧いているとしか思えません。
が、お花畑脳の国民は民主党を選択しました。
正気の沙汰とは思えませんでしたが、現実です。
聞く耳を持たず、見える目を持たなかったことも原因でしょうし、
耳と目を塞ぐ手伝いをしたのは、マスメディアです。
127年前でさえ見えていたのに、情報社会と言われる現代人には見えないようです。
むしろ、見えているからこそ、彼らを利することで私服を肥やしたい人が居るのかも知れません。
そこにあるのは、私利私欲であって国益ではありません。
今さえ良ければ的、自分さえ良ければ的な利己主義です。
当時と現在の違いとして大きいものは、
(利己主義に対する)恥の概念の欠如、道徳心の欠如でしょう。
教育の荒廃を思います。
卵が先か鶏が先かと言われますが、教育の問題は政治が変わらねば変わりません。
政治は、国民が変わらねば変わらないと思います。
我々、今を生きている人々が問われているのだと思います。
昔の日本人は、「嘘つきは(泥棒ではなく)朝鮮人の始まり」と言っていたらしいですね。
GHQに洗脳され、贖罪の気持ちを植え付けられた今の日本人より
昔の人の方が余程中韓の事をわかっていたと思います。
だからこその脱亜入欧論だったのに、その欧米が日本を恐れて中国と一緒に反日政策をとった訳ですから、
日本てまったく不幸な国だと思います。