青い目の人形
- カテゴリ:勉強
- 2012/08/15 21:18:24
これは日本とアメリカのお話。
日本はロシアと戦争に勝利した後、
中国進出を狙っているアメリカと政治的緊張感が続く関係になっていました。
昔、中国と戦争して手に入れた領地。
アメリカがいつ狙ってくるのか分からず日本はずっとピリピリしています。
そんな時、平和を愛するアメリカ宣教師は
日本のとある文化を目につきました。
「日本では雛祭りがあるんだってね!雛祭りにちなんで人形を送ろうではないか!」
戦争なんてしてはいけない。
アメリカと日本。
日本の子供達を喜ばせようと友好の架け橋として
手紙と一緒に青い目をした人形を送りました。
柔らかい蜂蜜色をした長い巻毛。
海と思わせるような深い藍色の瞳。
ミルク色の肌の頬には淡い桜色が添えられていて優しく微笑んで見える顔。
日本に届いた人形達は
日本人にはもっていない色を宿した人形を目にしてとても感激しました。
友達と思ってくれているアメリカに子供達は喜びました。
青い目の人形のお返しとして
今度は日本からアメリカに人形を送ることにしました。
プレゼントを贈るというクリスマスの文化にしたがって
クリスマスの時期までに
子供達は少ないお金を出し合って市松人形を用意したのです。
鏡・たんすなど市松人形達が不憫にならないように生活道具を携えて
アメリカ行きの船に人形を乗せました。
「市松人形さん!アメリカの子供達に伝えてきてね!私達は友達だよって。」
人形を見送りにきた子供達。
子供達の期待を一緒に沿えて市松人形はアメリカへ出発したのでした。
しかし
子供達の期待とは裏腹に時代というものは残酷です。
大人の事情により関係が悪くなった日本とアメリカは戦争してしまいました。
異国に関するものは全て削除する。
せっかくアメリカからもらった青い人形達は大人達に奪われてしまい
炎の中に投げ込まれてしまいました。
炎に包まれてしまった愛らしい人形は
身体が黒く焼けてしまい灰になっていくまでずっと
熱い。苦しい。助けて。と訴えかけるように悲しい瞳でずっと子供達を見続けます。
(ごめんね。助けることができなくてごめんね。)
子供達はずっと心の中で誤りました。
人形の姿が消えていくまでずっと。ずっと。
日本とアメリカの戦いは一向に終わりを迎えることはありませんでした。
むしろだんだん争いは過激になりアメリカは子供達のいる日本に攻撃をしてきます。
子供達は
食べるものも
住む家も
大事な家族や友人も
爆弾を積んだアメリカの飛行機が頭上を通る度
毎日、毎日、子供達の大事なものが奪われてしまいます。
身も心も苦しんでいく子供達。
毎日生きていくのが精一杯で
子供達の記憶に残っていた青い目の人形はいつしか存在自体消えてしまいました。
アメリカとの長くて過酷な戦いは終わりを向けました。
子供達は心に大きな傷をおったものの
前へ前へと明日に向けて精一杯生きていきます。
時が経過して
子供達はお父さん、お母さんとなりました。
新しく出来た家庭を守る為必死で働きます。
そんな時、懐かしくて嬉しい知らせを耳にしました。
小さい頃、アメリカに送った市松人形が里帰りとして日本へ帰ってきたのです。
てっきり市松人形も青い目の人形みたいに燃やされたと思っていたのに・・・
さらに日本では存在しないであろう青い目の人形は
実はまだ数体残っていたことも判明しました。
友好の印として頂いた青い目の人形を処分なんてさせないと
人形を隠して戦争を乗り越えていたのです。
小さい頃の友好の絆が実はまだ繋がっていたなんて
無くしてしまった過去の温かい思い出が甦り嬉しい気持ちになりました。
後に
青い目の人形は平和を語る資料として大切に保管され
市松人形はアメリカを転々と渡りながら、たまに日本へ里帰りをして
友好の絆は今も続いています。
* * * *
補足
青い目の人形は
1924年アメリカの宣教師・シドニー・ギューリック博士が親善活動として12,739体の青い目をしたビスクドールが日本に送られた。
日本側は渋沢栄一を日米関係委員会委員として任命し
「返礼人形」として青い目の人形を贈られた各地域よりお金を出し合って市松人形を製作。
アメリカへ行く船の一等席に乗せて市松人形は旅立った。
対戦中、青い目の人形達は焼却処分となったが
人形を処分するなんてできないと思った人達が必死に隠し
323体の青い目の人形が現存する。
~ウィキペディア参考~
偶然、
青い目の人形という存在を知り
8月15日の終戦記念日にあわせ
真剣に作成してみました。
人形は言葉で話すことができなかったけれど
こういう史実があったことを
わかってほしかった。
でもその代わりに市松人形を送ったことは
知りませんでした。
日米の友好の印を
大人達が台無しにしてしまったのですね
青い眼の人形を隠した人達は
見付かったら罰せられることを覚悟して
隠したのでしょうね
大変だったろうなあ
母校ではないけど、近所の小学校のロビーに展示してあったのを覚えてます。
竹やり訓練の的にされちゃった人形もあるとかで、子供ながらに(どうして人形まで??)と悲しく思いました。
ウ~~!ウ~~!
ネイルサロン1回我慢すれば¥5000って??みんな言ってますよね??
おいおい?
ネイルサロン自体が、むだな贅沢では??
逆のブログを書こうと計画してましたが、どうしたものか…
大人の事情でねえ
人形を処分できなかった人が
けっこういたんですね
残してたけど空襲で焼けちゃった
っていう人もいたでしょうね
残っていた青い目の人形と、
市松人形が子供たちの願いを繋いだ絆だったのですね。
素敵な話を教えてくださってありがとうございます。