「契約の龍」(69)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/07/03 19:29:56
シェリルという名の、亡くなった公子の子を宿した女性は、確かに具合が悪そうだった。顔は青白くむくみ、何より不幸そうな表情をしていた。
「…水毒が出ているな。食事に気を付ければ収まるんだが…」
ぽつりとそう言ったクリスは、ギレンス伯から紹介を受けた後、シェリルの手を取って、「どうかじょうぶなあかちゃんがうまれますように」と、平板な声でつぶやいた。気休めではなく、ちゃんと念を込めて。
「…ああ、もしかしたら、双子なんでしょうか?それで普通より苦しいんですね?」
シェリルが驚いた顔をした。
「…わかるんですか?」
「ええ、まあ…ぼんやりと、ですけど。それじゃあ、大変ですよね。ほんのちょっとだけ、ですが、楽にしてさし上げましょうか?…この部屋に、水差しは?」
シェリルが枕許の小テーブルを指差す。そこには、洗面用と思われる水盤と水差しが置いてあった。クリスが許可を求めて水差しの水を水盤にあける。シェリルの手を水盤の水に浸けて、呪文をつぶやきながらゆっくりともみほぐす。
しばらくしてクリスが手を水から引き上げ、乾いた布でふき取ると、手のむくみがすっかりなくなっていた。
「少しは、楽になりましたか?」
「…すごいわ。すっかり楽になった。どういう魔法なの?」
「魔法は…少しばかり血のめぐりをよくしたのと、汗を出やすくしたのだけです。ああ、汗の成分を少し普通と違うようにしたかな。それだけです。なので、本当に大したことはしてません」
「…本当に?」
「ええ。ですから、今後は、食事に気をつけて、少し動くようになされば、今までより楽になると思います」
「食事?」
「ええ。もう臨月でらっしゃるなら、少し足りないかな?くらいでいいのではないかと。双子なら、もう召し上がるのも苦しいのでは?」
「それが…おなかは苦しいのに、食べ足りないような気がして、つい」
「そういうときは、おなかの方に従いましょう、ね?」
お大事に、と部屋を辞去すると、ギレンス伯が、「換わった特技をお持ちですね」とクリスに訊ねてきた。
「祖母のまねごとです。うちは辺地にあるので、人手が足りなくて、小さい時から手伝わされていましたので」
「はあ…左様で…」
「ところで、彼女はいつも一人であのお部屋に?ご親族とか、お友達とかは訪ねていらっしゃらないのでしょうか?」
「それが…遠方の方が多くて、ここに移ってきた当初はかわるがわるにみえられたのですが、夏を過ぎてからは、ほとんど…」
「何か、気散じになるものがあればいいのですけど。体が辛いのも事実でしょうが…たった一人で、初めてのお産で、しかも双子で…きっと不安でいっぱいなんだと思います。その不安が、体を蝕んでいるのだと思うんですが」
「ああ…なるほど」
「生まれた子が、「金瞳」を持っていてもいなくても、ジリアン大公の血を引き継いでいるのは確かなのですから…大事にしてあげてください」
ギレンス伯が、虚を衝かれたような顔をした。
「…ええ、それは、はい」