神林長平トリビュート 其の二
- カテゴリ:小説/詩
- 2012/07/25 00:08:48
ということで、個々の作品の感想つづきから。
敵は海賊 虚淵 玄
選んだ題材をボカして始まるが、虚淵が敵海を書くと聞いて「書くのはあの陣営だろう」と思っていたので、即ネタ割れした(書かれた側、書いた人物、両方を知っていると見当がつく)。他の人物周辺について書いていれば喝采したが、それをしない/できないのが虚淵の方向性/限界なのだろう。
が、神林が敵海では使っていなかった、この実に神林的なテーマを、このシリーズのこの題材で仕上げたのには舌を巻く。やはりこの人は二次が上手い。あまりに神林の色が濃くて、もっとオリジナリティーが欲しいくらい。このネタに関してはコレが正史でいいとさえ思う。
もっとも、彼の人物の口調に(肉声で名乗るシーンは特に)違和感があった。
過去話なので、これくらいの稚気はあってもいいか? う~む……
我語りて世界あり 元長柾木
不愉快を通り越し、つらつら考え込んでしまった。
尻までねぶる勢いで面倒を見てくれるシステムがある前提の、ワガママ放題、「ウザイ」のは何が不快でどうすれば改善できるのか考えることさえないオコサマの話だ。個性的であろうとしているのだ、と反応するだけで碌に思考しない人間は、管理しやすいだろうな~、と生暖かく思う。
とは言え、敵側も主人公と同じく自身(の意見)を押しつけるのみで(本当の意味では)対話しようとしない同じ穴のムジナで、どちらにも感情移入できない。
考えてみれば、〈敵は海賊〉のヨウメイも「他者に命令させない・誰にも行動を掣肘させない」が行動原理で、そこはこの作品のヒロインと大差ない。が、ヨウメイにこのヒロインのような不快さがないのは、その行動を押しとおすことは別に正当ではない、むしろ悪だと自覚し認めているからだろう(どころかしばしば「太陽系に自分以外の悪はいらない」と行動するため、実質太陽系圏の守護者になってしまっている)。
ヨウメイは自由であるために自身の存在を賭け、他者に何の保証も(また、評価も)求めない。いっぽうこの作品の主人公は世話を焼いてくれるシステムと制度の上で気ままに振る舞うのを個性とし、保証された正当性を疑わない。同じ行動理念に見えても、前提が違いすぎる。比較するのが失礼だった。
主人公のオコサマ加減がひたすらに不愉快。そう思わせるべく書いているのか、とも考えたが、それにしては筆が足りない。……ここまで思わせるのもある意味才かもしれんけどね~。
言葉使い師 海猫沢めろん
面白く読んだ。のだけど、元作品やその他神林作品を知らない人にとってはどうなのだろう?
元作品とは対照的な結語で閉じられる物語だが、「言葉」の捉え方の違いが作品の差異になっているように思える(神林の場合、言葉はツールである以上、二人称小説なら「あなた」と言っている「私」の存在が自明なわけで、ではその語り手は……ということになる)。
その昔、神林作品を読み倒していたところに『奇跡の人』の舞台を見て(「ウォーター」の場面ね)言葉=概念だと気付いた時を思い出した。エウレーカ!
以上、旧作に寄せて作品を書いた若い作家さんたちもいいが、やはり神林本人の作品が読みたい。
近年、過去作にあった疎外されてると感じる重苦しさが無くなったかわりに、思索的な部分の比重が高い作品が多い。そろそろ血湧き肉躍る活劇を読みたいな~、なんて思う今日この頃。
頑張ってアタックしてみようか知らんw
〈敵は海賊〉はスペースオペラですけど、長編では必ずSF的に突っ込んだ試みをやる、結構骨のあるシリーズ(というかパラレルなんですけどね、作品同士は)だと思います。SF慣れしてないと読みづらい話もあったり。
忙しく……短編の「忙殺」かな?
神林長平は、わたしは凄く好きですが、あぁこれは慣れてないとノりにくいだろうな〜、と感じる本もあります。
でも、いいですよ〜。SF好きならおすすめです。
世界が便利になるほど人は忙しくなる(うろ覚え) て言葉は
何かにつけて思い出します^^;