今しっかりと真実を知ろう。
- カテゴリ:30代以上
- 2012/07/12 18:11:21
日本の捏造歴史を教えられた事は日本人として侮辱された事です。
教えた教師達の責任はきっちりと付けさせよう。
◎彼らは業者が募集しています。そんな事は今の90代80代の人達は
常識として知って居ます。
其の人達が戦後、自分達の稼いだ金で店を開いたり
土地をかったりして急にお金持ちになった人が近隣に居て、
其の人達の前の職業も噂になってました。
やっかんでも彼女達は自分の身で稼いだお金です。
『従軍慰安婦の証拠を検証するページです (図解入り)
★従軍慰安婦と聞くと「かわいそうな人たち」をイメージする方も多いようですが
戦争中は慰安行為(売春)によって収入を得る女性が多く存在しました
通称「慰安婦」と呼ばれる人たちです
慰安婦の中には親に売られてしまった人や借金を背負っていた人もいました。
本人が望まずにそのような仕事についた人達は現在、日本に謝罪と賠償を求めています。
さらに言えば、問題にされているのが軍による強制が本当にあったのか?の点です。
なぜなら彼女達は、慰安所から高額な収入を得ていたことが分かっているからです。
★「従軍○○」とは軍に同行する人を指します。
従軍記者、従軍カメラマン、従軍看護師などは存在が確認されています。
上の写真のような「従軍(追軍)慰安婦」はいくらでもいましたが
強制によるもの?がいたかどうかは証言以外に証拠がありません。
(当時は、慰安婦を公募集すればいくらでも女性が集まる時代です
以下はすべて、従軍慰安婦として有名な「黄錦周」(ファン・クムジュ)さん1人による証言です。
(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」
(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」
(3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV番組より(従軍慰安婦問題)
「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」
(4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期
「満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」
(5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』
(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて
「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」
.
★公演するたびに、証言が変わるのが特徴
しかし彼女は、日本軍に従軍慰安婦を強制された有力な証言者とされており
歴史学者達に長い間引用されてきた。
「文玉珠」さんの証言
「文玉珠さん」という(自称)従軍慰安婦女性は、平成4年に日本の郵便局を訪れ、
2万6145円(当時の金額)の預金返還の訴訟を起こしています。
千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べていますが、
現在の価値なら、4000万~5000万円程度の金額を、
彼女が慰安婦であった約3年間で貯めていたことが分かります。
(クリックで拡大)
慰安婦であった期間に文原玉珠名義で、合計12回の振込み(計26,145円)を行っていますが
当時、家が20~30件買えるほどの大金
ナヌムの家に住む(自称)従軍慰安婦 「李容珠(イ・ヨンス)さん」の証言
1944年、16歳の時に強制連行され台湾へ。
旧日本軍の従軍慰安婦としての生活を3年間強制された。(1947年まで)
(※終戦により日本軍がいなくなった後も、現地で2年間ほど働いていたことになる)
↓
このことを指摘され、従軍慰安婦の期間を 3年間→1年間に修正
2007年さいたま浦和の公演の配布資料
(クリックで拡大)
チョン・ソウンさん
証言内容
「13歳(1937年)の時にインドネシアに強制連行され、従軍慰安婦として
7年間(~1946年まで)性奴隷にされた。」
2004年他界。享年80歳
(日本のインドネシア攻略は1941年。それ以前はオランダの植民地です)
http://makizushi33.ninja-web.net/
』
此れでも↑まだ貴方は捏造された日本の歴史を
日本の子供達に教え込まれた事を許すのですか?
次にワイドショーにロンブーのあつしがコメンテーターで
出ているのを見たけど、日本の政治をコメデアンがもっともらしく語るほど、落ちぶれたと其のテレビ局は見て利う訳?
何か視聴者をどう言う風に見ているのか、日本の政治や経済の行く末、そして色々な事件の被害者の事をどう思ってそんな企画を立てるのかと疑問に思う。
自分の娘も息子も怪しげな教師から従軍慰安婦、強制連行を習って来た世代です。
其れを話し合う前まで知らずにいました。
すぐに妹と「からゆきさん」の話を確かめました。
妹も私も山崎豊子の小説を読んでましたし、映画も見ました。
やはり、妹の子供達も従軍慰安婦、強制連行を習っていました。
公募して行ったと言う所は知らされてません。
高額な給料も知らされてません。
朝鮮半島は朝鮮半島の業者の人が公募で集めました。
其の公募の資料を何と韓国は強制連行の資料として
HPに載せてました。
指摘されると外しましたが、彼らは解っていてやってます。
まず、韓国、北朝鮮、中国に対しての日本からの援助を完全に無くす事が必要です。
徹底的に其れをする所から始めないといけないと思います。
噂で過去は「からゆきさん」だったらしいと言う大きな飲食店も、地主の家も親から聞いてました。
差別と言うよりも自分の体で稼いだお金です。
その前にGHQの政策で土地を取られた我が家がやっかんでも仕方ない。
此れは別問題だからと祖母に言われました。
実際に我が家は「パンパン」 が「オンリー」さんになった人に借家を貸してました。
現実に見た事が何も無かった事にされたり、嘘が本当の様に子供達に教えられたり
する事は毅然と無くして行かなければなりません。
ちゃんと歴史を知って居る人は真実を知ってます。
未だに「シベリア抑留」をマスコミは大きく扱いません。
日本人に知らせるべき事が載って無くて、嘘の歴史を教える、
その裏に日教組や人権屋があるのなら、彼らは糾弾の対象に成るべきです。
今回の虐めの扱いもその前の虐めとは、余りに扱いが違いすぎます。
今までの沢山の虐めと今回の虐めの扱いの違いに何があるのかも
マスコミのやる事を見て行くべきです。
ほんの少し前のレールで死んだ子の扱いとの余りの違いに
驚いてます。
何故今回だけこんなに扱うのか?
勿論虐めを扱う事は良い事です。
しかし、僅かの間の此の差は奇妙に感じます。
レールで自殺した子は何故もっと掘り下げないのでしょう。
此の二つの事件のマスコミの扱いの差に驚いてます。
私も子供のころは「従軍慰安婦」なるものがいたんだと思ってました。
大人になり、成人してもしばらくの閒は
のたもたさんが書いてっしゃるような内容を知らずにいて
友人に教えてもらって初めて知ったとき、愕然としました。
中国や韓国の教科書ならいざしらず、日本の教科書なのに
なにやっての!って思いましたよ。
従軍慰安婦の問題は書いた本人も別の所の経験を書いたフィクションです。と言っている。
では其処の場所を詳しく聞くとまた言わない。
詰りに嘘がばれるとまた別の嘘を言う。こうやって嘘に嘘を重ねて行って、それが次から次と暴かれて行って居る訳です。
『吉田清治という詐欺師
http://www.tamanegiya.com/yosidaseiji.html
』
朝日新聞のこう言った罪は断罪されるべきです。
『ウィキペディアより
1996年(平成8年)5月29日付の週刊新潮インタビューで、吉田は「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認めた。しかし、現実の問題として吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず、検証が不可能であるために、2007年現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることは、ほぼなくなった[1]。
1998年(平成10年)に、吉田は秦との電話会見に応じ「人権屋に利用された私が悪かった」と反省の弁を告白した[4]。秦はその後の調査結果をまとめ、公刊した[5]。