Nicotto Town



此の地を離れ神を否定した血を交え神を裏切る

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まあ、「アイヌ先住民族」を言い張る人達に取っては
科学的な見解等どうでも良い事なのだけろうけど、

其れに肝心のアイヌの人達が疑問を持ち始めると
都合が悪いのでしょう。

次から次とこじつけてくる訳。

其れがどんな連中がやって居るのかを調べると
大体想像がつくよ。

例えば「アイヌの人達に伝わる神話」について
日本の古事記と酷似していると言われれば
こんなのが出てくる訳。

本多勝一と言う人が「アイヌ民族」と言う本を出して居るのだけど
彼が関わっているだけでどんな人達が此の所謂「アイヌ問題」に
関わっているのかが解るでしょう。



本多勝一「南京大虐殺」/100人斬りの大嘘http://www.jca.apc.org/~altmedka/honda-lie.html
                                                    』


↑を見て貰えば彼がどんな人間なのかは解る。

更に此れね。↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/honnin.html

http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9824296.html

詰りこう言った人間達が関わっている訳。


次にコロポックルの伝承に関して少し書いて置くね。

アイヌがこの土地に住み始める前から、この土地にはコロボックルという種族が住んでいた。彼らは背丈が低く、動きがすばやく、漁に巧みであった。又屋根をフキの葉で葺いた竪穴にすんでいた。彼らは情け深くアイヌに友好的で、鹿や魚などの獲物をアイヌの人々に贈ったりアイヌの人々と物品の交換をしたりしていたが、姿を見せることを極端に嫌っており、それらのやりとりは夜に窓などからこっそり差し入れるという形態であった。あるときあるアイヌの若者がコロボックルの姿を見ようと贈り物を差し入れるを待ち伏せ、その手をつかんで屋内に引き入れてみたところ、美しい婦人のなりをしておりその手の甲には刺青があったという(なおアイヌの夫人のする刺青はこれにならったものであるといわれている)。コロボックルは青年の無礼に激怒し、一族を挙げて北の海の彼方へと去ってしまい、以降アイヌの人々はコロボックルの姿を見ることはなくなった。現在でも土地のあちこちに残る竪穴や地面を掘ると出てくる石器や土器は、彼らがかつてこの土地にいた名残である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB
                                                』

実はこれも私達が習ったコロポックルと少し違う。

神に対しての考え方が違うと言うのも在った。
其処は削られている。


で、全部のコロポックルが逃げたわけでなく、広い北海道に多くまだ住んでいたし、
其の後、血が混じったとも思われる。

だから元縄文人のDNAが出て来ても何ら不思議はない訳。

でね、地名なんだけど、其のコロポックルがもともと付けた地名も在るかもね。

例えば、
『十勝地方に残る伝説では、コロボックルはアイヌに迫害されたために土地を去ったといわれ、去り際にアイヌに言った呪いの言葉「トカップチ(水は枯れろ、魚は腐れの意)」が十勝の地名の由来とされる[1]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB
                                           』

と言うのも在る訳。

東北地方に逃げて来たコロポックルが居たと言う所もあるしね。

だから、東北地方にアイヌの地名があると言うのも、どっちがどうなのかは
解らないけどね。

唯、科学的に言うと アイヌのDNAはモンゴロイドでチベット人と同じのが入っている。

どうせこれもその内に自分達に都合の良い様に変えるのだと思うけどね。

全くこいつらはと思うよ。

少なくとも北海道の縄文人は遥昔から居たわけで、
更に其のもの凄い後にアイヌ人が北海道に住んだのは
科学的に証明されているでしょう。

だから、何が先住民族だと思うのね。

で、北海道にアイヌの地名が多いのは当然。
其処は『松井武四郎』館にでも言って自分で勉強して来て。

平たく言えば、江戸幕府の命令で松井武四郎がアイヌの人の案内で
北海道の地図を作ったわけ。

そして言われるままに地名を書いたので其れが使われた訳。

http://www.mctv.ne.jp/~takase/E3.htm

で、アイヌの人達が苦しめられて居る事を本にして出そうとしたら幕府は禁止したけど

武四郎館に行くと明治政府は出版を許可している訳。

その事を知って居る訳?

明治政府と江戸幕府はアイヌの人達に対しての考え方がちょっと違ったのね。

嘘が暴かれるとまた嘘をつく。

そしてまた嘘が暴かれる。

縄文時代の神への考え方と昔のアイヌの神への考え方は違った。

北海道に和人が来る前からアイヌの家には神棚が在った。

そして「熊まつり」が在った。

熊の肉を誰にささげてからみんなで別け合うと言うのか?

もう否定してしまった神棚の神はいない。

縄文人には其の習慣があったのか?

あの竪穴式住居の中に強引に今度は神棚をつけるのだろう。

そうやって次から次と嘘をつく。

暴かれると嘘をつく。

だが、神を否定して、文化を否定して、歴史を否定したら、

其処は旧約聖書では何と言うか、地獄だよね。

中国以外に「神を否定し、文化を否定し、歴史を否定」したアイヌ。

結局伝承通りに神を否定した人の血を交えて神を裏切ったんだね。

そしてアイヌのある家には在った神棚ってなんだったんだろうね。


色々な物に神が宿っていると言う考え方は何もアイヌだけじゃない。

八百万の神々の国日本だよ。

日本中に在る考え方だよ。

詰り「アイヌ先住民族説」も日本の歴史、北海道の歴史を知らない人が

作り上げたんだよね。

で、無ければあの北海道のまだ続いていた縄文時代を無視できないからね。

『ウィキペディアより

縄文時代(じょうもんじだい)は、年代でいうと今から約1万6,500年前(紀元前145世紀)[* 1]から約3,000年前(紀元前10世紀)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないし新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。

縄文時代の終わりについては、地域差が大きいものの、定型的な水田耕作を特徴とする弥生文化の登場を契機とするが、その年代については紀元前数世紀から紀元前10世紀頃までで、多くの議論がある。

なお、沖縄県では貝塚時代前期に区分される。次の時代は同地域では貝塚時代後期となり、また東北北部から北海道では縄文時代の生活様式が継承されるため、続縄文時代と呼ばれる。』

詰り本州で弥生時代、古墳時代に移行しても北海道はまだ縄文時代が続いていた。
其れは小学校時代に習っているから北海道では常識の世界。

其れを知らない人で無いと「アイヌは北海道で先住民族」なんて
言い出さないでしょ。


しかも科学的に否定された。




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